荷風をさがして:2
(承前)
荷風の書斎に置かれていた解説パネルの記述に、わたしはすっかり魅せられてしまった。
それは、一昨年亡くなった日本文学研究者のドナルド・キーンさんがこの部屋を訪ね、生前の荷風に面会した際のエピソードの引用であった。
日本人はよく「汚い家ですが」と謙遜しても実は大変清潔であるが、荷風の部屋は腰を下ろすと埃(ほこり)が舞い立った。荷風は間もなく現れたが、前歯は抜け、ズボンのボタンも外れたままの、薄汚い老人そのものだった。ところが話し出した日本語の美しさは驚嘆するほどで、感銘のあまり家の汚さなど忘れてしまった。こんなきれいな日本語を話せたらどれほど仕合せだろうと思った(ドナルド・キーン『わが街、東京』)
みすぼらしい乞食と思いきや、その正体は神や仏の変化(へんげ)した姿であった……といった筋の逸話は、古くは聖書や仏典、寺社の縁起や仏教説話などで普遍的にみられる。浦島太郎も似たパターンの話といえるだろう。
荷風のエピソードは、そういった伝説・寓話の類型を彷彿とさせて興味深い。
すなわち荷風は文豪たるみずからの実像を容易にはさらけだすことなく、世を忍ぶ仮の姿をとって、人混みのなかにまぎれ生きていた。ちょうど荷風の自宅が、似たような家屋が続くなかの一軒にすぎなかったように。
かといって窮屈に縮こまっていたわけではなく、「清貧と安逸と無聊の生涯を喜び、酔生夢死に満足せんと力(つと)む」(『江戸芸術論』)、なにものにもとらわれない悠々自適な暮らしぶりであった。
この箇所は30代中盤に書かれたものだが、その生き方は晩年もなんら変わらずに貫かれていた。このあたりの実際は『断腸亭日乗』に詳しい。
好き好んで身なりを粗末にするようなことはしないが、いくら外見(みてくれ)を飾りたてたところで、もとの粗材は変わりはしないのだということは忘れずにいたい。ほんとうに大切なのは中身であり、実相であり、生き方だろう。キーンさんは汚らしい見かけに惑わされず、しなやかで素直な感性をもってして荷風の輝きを捉えた。
荷風とは直接関係はないが、「葆光(ほこう)」という言葉がある。『荘子』に由来する言葉で、簡単に言うと「光に薄絹をかけて見る」ような状態のこと。
最上の徳・品格といったものは、内に秘めていても隠しきれずに洩れ出てくる。その輝きようはけっしてギラギラとしたものではなく、やわらかである。そんな光をもつ人のもとには自然に人が集まり、たとえ死した後であっても惹かれる人が跡を絶たない。
キーンさんのエピソードからは、荷風の醸し出すそのような空気がたしかに感じられ、荷風という人への憧憬がさらに強いものとなった。(おわり)
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