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あれから13年 ただの都会に感じられるようになったバンコク -第4章ー(1)  一緒に遡ったNickの半生

KOBORIの新しい彼女となってしまったNick。その後4年もの間お付き合いする事になるのだが、Nickの育ちの悪さからかどうしても受け入れない事が山のように積み重なり、ついにエベレスト越えしてしまう。

Nickとのお付き合いは、彼女の生い立ちを遡る旅でもあり、彼女の理解できない行動を理解する指標になったような、ならなかったような。

物乞いの子として生まれて


Nickは物乞いの子として、姉1人、妹1人、弟1人の4人兄弟の次女として生を授かった。バンコクから車で北に約4時間、ナコンサワン県に架かる橋サパーンデーシャーの下の河原に実家があった。辛うじてトタン屋根と壁があるだけで、強い風が吹けば、実家は風と共に吹き飛ばされた。
両親は働く気力などなく、というよりは働いてお金を稼いで暮らすという資本主義のシステムを理解していないようだった。橋の下で眠り、起きたら物乞いをして、また子供達にも物乞いをさせることで暮らしていた。

一見自由そうに見える物乞いとしての生活は、決して幸せではなかったようで、夫婦間での喧嘩も絶えず、言葉は悪いが両親、兄弟ともに野生で育ったかのような気性の荒さだった。初めて僕が会った時はそんな印象で、何だか恐ろしかったのを覚えている。

拾われた物乞いの子

物乞いをして暮らしていたNickに転機が訪れたのは、Nickが6歳の時だった。公用でナコンサワンに来ていた孤児院の女先生が、道端で物乞いをしているNickと出会う。なんでこんな所で、幼い子供が物乞いをしているのか。孤児院の先生は、その現実に納得がいかなかったし、この子だけでも何とか救いたかったようだ。

Nickの両親を説得し、この子を自分が勤めるバンコクの孤児院へ連れて行くことにした。なぜ4人兄弟の中でNickだけが選ばれたのか、理由は分からない。Nickは可愛らしいえくぼがあったから、何かえくぼの中に将来への光を感じさせるものでもあったのだろうか。

Nickは、この孤児院の先生、のちに育ての母となる人と一緒に、バンコクのドンムアン空港近くの孤児院へ来る事となった。15歳にになったら、またナコンサワンの両親の所へ戻ってくる、という約束をずっと信じて。

孤児院での生活

Nickは、孤児院での生活にすぐ慣れた。最初の何か月かは両親の事を思い出し泣いた事もあったけれど、自分と同じような、もしくはそれ以上に不幸な境遇に置かれた子供達と一緒に過ごす孤児院での日々は、苦痛ではなかった。
ここで働く先生全員が、子供達にとってのお父さん、お母さんであり、実際に子供たちは先生達をお父さん、お母さんと呼んでいた。過酷な環境におかれた影響なのか、孤児院内での子供たちの結束も強かった。

Nickにとっても、孤児院の先生達がお父さん、お母さんとなった。ただ自分を拾ってくれた先生は、ずっと特別なお母さんであり続けた。休みの日には、特別なお母さんであり、孤児院の先生でもある育ての母の家があるバンコク郊外のサラヤ―の家に寝泊まりする事もあった。孤児院に預けられながらも、特別なお母さんを一人保有しているという、院の中でも一風変わった境遇だった。

15歳になって

Nickは15歳になり、孤児院でも自然と孤児を育てる側の立場になってきていた。それでも15歳になったら両親の元に帰れるという約束を、片時も忘れる事はなかった。
ただ育ての母にいくら催促しても、ナコンサワンの両親に会いに連れて行ってくれる事はなかった。Nickはそんな育ての母に絶望していた。お母さん、いつになったら私をナコンサワンに連れて行ってくれるの?と。いつまで経っても、母からの返答はなかった。Nickはもう育ての母の事が信じられなくなってきていた。

Nickは高校生となり、学生寮のあるカンチャナブリーの高校へ行くことになった。新たな環境に身を置いたこと、育ての母の束縛からの解放感、また守られなかった約束への憎しみ、反抗心が、齢と共に自然と現れた結果、Nickは高校で知り合った不良グループの同級生男子に惹かれていく。そして当然の如く、知り合って数か月で妊娠した。

妊娠した事は、育ての母には絶対話せない。身籠った体で、育ての母から逃げるように10ヵ月の時を過ごした。もちろん幼過ぎて籍は入れられないが、内縁の夫の実家があるカンチャナブリ―の山奥の家に身を潜め、密かに子供を産んだ。

後先も考えず子供を授かってしまった若い夫婦には、物事を一緒に進める力などなく、また内縁の旦那はNickと生まれたばかりの子供を自分の実家に残し、音信不通となってしまった。恐らく他に女性ができたのだろう。
Nickは子供を養う為、旅行者の集まるカンチャナブリーの飲み屋街のような所で働いて子供を養いつつ、何とか高校卒業まで漕ぎ着けた。


Thomasとの出会い

カンチャナブリ―は、バンコクから西へ車で3時間ほどの田舎ではあるが、映画「戦場にかける橋」の舞台で有名になった事もあり、国内外からの旅行者が多い街だ。
Thomasはドイツ育ちのタイ人で、年に1回は家族でタイに帰省していた。そんな一時帰国の際にカンチャナブリ―を訪れ、Nickと出会った。

短い期間ではあったものの、2人はお互いの愛を確かめ合い、Thomasはドイツ帰国前、知り合いのおばあちゃんが働いているバンコクのゲストハウスにNickを預ける事にした。俺がドイツから少しの仕送りをするから、ドイツから帰るのをここで待っていてくれ、と。おばあちゃんには、破天荒なNickの監視役もお願いしていた。

KOBORIとの出会い

家出ハウスでThomasを待っているのは、希望に満ち溢れているようで、退屈だった。Thomasと会えるのは年に1、2回で、しかも結婚を約束された訳でもなかった。そんな折、家出ハウスに若い日本人が来たので、ちょっかいを出してみる事にした。 -そんな軽い気持ちだったはずだ。
そしてその日本人将校KOBORIと、2人でタンデムを組んで逃げるように家出ハウスを脱出したのだが、パラシュートをつけ忘れていたので、苦労は絶えなかった。Nickの問題行動は近所中に知れ渡っていたし、おばあちゃんの手前もあって、みんなから歓迎されて結ばれたような2人じゃなかった。
この時Nickは、KOBORIとの行く末なんて全く分からなからない19歳だった。ただ数年経って、自分がどこから来たか、これからどうしたいのか、KOBORIに話すことができた。
そこで反故にされた約束、ナコンサワンにいる実の両親に会いに行く事となった。


家族との再会

ナコンサワンのサパーンデーシャーの下にあるはずの実家は、そこにはなかった。近隣の人の情報を集め、近くの寺の路上で暮らしているらしいことが分かった。言われたとおりの場所に向かってみると、家族は本当にその路上で暮らしていた。Nickが両親、兄弟たちに会うのは、10年以上ぶりだった。

Nickは大喜びしていたものの、家族は「感動」という感覚すら奪われてしまったようで、Nickが故郷に錦を飾って帰ってきたこと、またその連れの僕が何者なのかすら全く興味がなく、終始無感動だった。
ビニール袋にぶちまけるタイプのコーラを買ってあげたら、お母さんがおいしそうに飲んでいたので、Nickの母にとって僕は「コーラを買ってくれた人」ぐらいの認識しかなかったのだろう。コーラを買いにお母さんを車に乗せた時も、恐怖からか運転中に助手席のドアをパタパタと開けてしまうので、傍からはまるで飛び立とうとしているように見えたかもしれない。

家族が寝床にしていたのは、道端の朽ち果てたコンクリート上で、辛うじて屋根はあったものの壁はなく、とても現代人が暮らすようなスペースではなかった。
実の姉には子供がいたが、夫が誰なのかは誰も分からなかった。弟は、近所の中華料理屋の駐車場係として働いていたが、給料はゼロだった。「ご主人様が、毎食食べさせてくれるんだよ!」と嬉しそうに教えてくれたが、無知な人間からの搾取に他ならなかった。お父さん、お母さん共にボロ着をまとい、ひどい匂いを放っていた。そして床に横たわっては、時たま声にもならない奇声を発していた。

妹だけが唯一人間らしく、またかわいらしかった。ボロ着をまといながらも、Nickと同じかわいらしいえくぼがあり、また血の通った会話ができた。社会性を備えているという意味では、妹に一番可能性があると感じた。Nickも同じことを感じていたようで、後々、妹をバンコクに呼び寄せる事となる。

弟、両親との別れ

感動の再開から数週間、こちらはバンコクに戻っていつも通りの生活を開始していた。僕はNickとの関係は長く続くものではないと感じていて、その日の為に備えて大学へ通わせていた。Nickはかろうじて高校を卒業していたので、大学へ行く資格は持ち合わせていたのだ。お金さえ準備すれば、私立大学への入学は何の問題もなかった。大学を卒業していれば、僕が居なくても何とか自活していけるだろう、と考えていた。

ある日、Nickの携帯電話へ妹から電話があった。弟が交通事故で死んだ、との事だった。ご飯を食べさせてくれるからとタダ働きさせられ、ピアスの代わりに安全ピンを耳に刺していた弟。10年ぶりに再会したそんな弟と、数週間後には永遠のお別れ。人生ってこんなものなのか、と思った。Nickは泣いていた。

それから数週間後、また妹から電話があった。今度はお父さんが死んだとの事だった。道ばたで生活をしていたぐらいだから、当然病院など行っているはずもなく、ある日横になったまま死んでいたらしい。何か持病があったのだろうが、死因など分かるはずもなかった。

この時は、さすがにお葬式にも参加した。
どうやって嗅ぎつけたのか、父方の親戚一同が集まってきていたが、誰も葬式の諸費用を支払う事ができず、全て僕が負担する事となった。肉親、しかも実の父のお葬式という事で、三日三晩お寺での読経に参加した。遺体火葬の前に、Nickが火の中に飛び込もうとするトラブルがあったものの、葬儀自体は厳かに済んだ。

父の急死からバンコクへ戻り数か月後。毎度おなじみ、妹からの電話だった。お母さんが亡くなった、との事だった。朝起きるとお母さんは寝小便をしており、確認すると死んでいたとの事だった。父同様、もちろん死因は不明だった。
なぜかお父さんと違い、お母さんは親類からも嫌われていたようで、葬儀には誰も集まらず、自然と家族葬となった。

この時ほど人間の死を身近に感じた事は、それまで一度もなかったし、これから先もないだろう。その後もNickとKOBORIの付き合いは続いていくわけだが、破天荒だけど、このどうしようもない境遇が彼女を作り上げたかと思うと、もう自分の手には負えないのは十分に分かっていた。

※登場人物は全て仮名です。

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