上場会社VSベンチャー 伝統校・名門校VS新興校
今日もスタバの子に会えなかった。
明日は会えるだろうか。
時間帯を変えてアプローチしたら会えるだろうか、と
営業の新規開拓的発想になってくる。。。
世の中によくあるバーサス(VS)として
上場企業 VS ベンチャー
名門校・伝統校 VS 新興校
国内校 VS 海外校(インターナショナルスクール含)
あとは何だ、あ、
日本の会社 VS 外資系の会社
あたりだろうか。
どれも一概には比べられないが
傍から見ていて見ていて思うのは
たいていの場合、メリットを享受できていない側の人たちが
もう一方の側へ向けて僻み・負け惜しみとも取れるヤジ飛ばし雪合戦を
頑張っているという構図だ。
「じゃない側」が「きっと相手にはないだろう」と「思い込んでいる」数が多ければ多いほど、ブログなどに書きこまれる数が多くなる。
ポイントは、そう思い込んでいるだけで別に事実かどうかは関係ない点だ。
意外と相手の方は、眼中になかったりするのだ。
だから相手がた(享受している方)の書き込みは世の中にあまり情報が出回っていない。
よってさらに「じゃない側」が多くなるデフレスパイラルだ。
最近は「じゃない側」の方が多いから、そっちへ向けて書いたPV目的の転載記事が溢れている。
するとさらに「じゃない側」に加担する記事が増えるので、気が付いたら
『ほら世の中同じように思っている人たちが多いじゃないか』マーケティングがさらに助長される。
いつの時代も巻き込まれる人は自ら進んで巻き込まれていくのだ。
そう、流れるプールに入りたい人たちが自ら飛び込むのだ。
私は子供のころ、流れるプールは大好きだったが、
SNSは危険だとFacebook社員が言ったのはこのからくりだ。
メリットを享受している側はできればメリットを享受していると宣伝したくない。はっきり言って自分たち側に入ってきてほしくないと思っているのだ。一線を引き続けたいのだ。(このあたりの話が上手なのは橘玲さんだと思う。最近はそのあたりの書籍を出されているか分からないですけど。)
ちょっと何のこと言っているか分からないんですけど、
という方は「じゃない側」の人だ。
今後もいい人として生きていってほしい。
知らない方が幸せなこともあるのだ。
橘さんがズッタ切っているフリして優しく世の中の残酷な構造を細かくわかりやすく説明してくれているが、そのズッタ切られている側の人だ。
最終的にはすべて好みだ。当然だ。どの意見も尊重されてよい。
が、だったら
上場会社の社員を羨むな。
羨んでいる時点で自分は本当はそっち側に行きたかったのだ。
日系企業の社員を蔑むな。
組織の駒になれるということは素晴らしいスキルなのだ。
伝統校・名門校と新興校の間にある透明で分厚くて絶対に越えられない壁を羨むな。
羨んでいる時点で、自分はそっち側ではないと受け止めるのだ。
あるいは、同じ場所に立ち同じ空気を吸っていると思っているかもしれないが、そう思っているのは「じゃない側」だけだ。壁は透明で見えないのだ。
使い方は違うが、海外で言う the glass ceiling と似ている。
日本は目に見える階級がないから、
余計に見えない壁がわかる人とわからない人にはっきりと分かれるのだろう。
流れるプールは、楽しそうに見えるが
流れるプールで人を楽しませている側も別の意味で楽しいのだ。