中学受験の偏差値操作

今日も朝活でスタバで仕事を片付けていたら、

同じく朝活中と思われる親子連れ(きっと休校なんだと思う)が話をしていた。

S中学やH中学は急激に偏差値を伸ばしているとか

自主性を重んじているしその結果海外の大学へも進学しているとか何とか。

寒気がするくらい親がゴリ推ししていた。


よくある話だろうが、

驚くほど偏差値というものに対する理解がないので(失礼!)

支離滅裂な話が展開されていて思わず割って入ろうかと思ったが

大人しくやめておいた。

自主性を重んじたら海外の大学に進学するって・・

「自主性を重んじたら」と「海外の大学に進学する」の間に

一体何段落分の文章を省略したらそう着地するのか。


偏差値は一回習えば構造を理解できると思うが

なぜ偏差値を順位と混同したり

あるいは同列に比べられない別の模試同士の偏差値を比べたり

「僕の偏差値は95だ」といった、まず前提条件を疑わないといけない話を鵜吞みにして天才と称したりするのだろうか。


そもそも先生や教育カリキュラムが変わらないなかで、

急に”学校”の偏差値が10上がることはないとなぜわからないのか。

(そもそも学校ごとに偏差値を付けることも本来はできない)

校長先生・教頭先生・全先生・全カリキュラム・そのほか設備やら校風やらを丸ごと”刷新”したとして、

急に偏差値が5~10上がったという建前か。

いや全刷新はないだろう・・・。

なんでそんな話を信じるのか。


偏差値の考え方については、

「偏差値」「標準偏差」「ばらつき」といったキーワードで

図解してくれている優しい方々がたくさんいらっしゃるので説明は割愛するが、

悪質な偏差値操作について

あのスタバのあの子に来年届けばよいなという想いで少しだけ触れたい。

(どうやらその子は5年生っぽい)


いわゆる名門校(K成・A布といった進学校やK應・W田といった付属系)は、そのほとんどが一発入試で150~300名程度を募集する。

2月1日の本命一発勝負、ほとんどの子が第一志望という命がけだ。

その本命の前に慣らしで受験するのが、千葉や埼玉などの都内以外の中学校だ。

この慣らし受験校は、1月入試だけではなく2月1日以降もシレっと追加募集を行っている。

ちなみに2月1日を避けた2月受験の都内の学校の中にも、シレっと2次募集・3次募集・帰国子女募集・特待生募集など、少しずつバリエーションを変えながら追加募集を行っている学校が最近は多い。というか、かなり一般的だ。


「何回も試験しないといけないなんて、最近は少子化でどこの学校も生徒の確保に大変なのね」


少子化は間違いではないが、それは人が良すぎるというものだ。

何のために何日も受験日を設けるのか。

表面上の偏差値操作のためだ。


本来偏差値というものは、

絶え間なき先生方と生徒たちの努力により少しずつ校風がよくなったり

結果として進学実績がよくなったり

その結果として人気が高まったり

その結果として入学試験の時に応募してくれる学生の質が少しずつ上がったり

といったことを繰り返して上がっていくのが

「A中学はいい学校になった。偏差値も上がってきている」という話だ。


でも表面偏差値は不動産投資の表面利回りのように操作できてしまうものだ。

「何回も試験しないといけないなんて、最近は少子化でどこの学校も生徒の確保に大変なのね」理論に基づくならば

一度に200人やら300人やらを合格させればよいものの

なぜか複数回の試験日を設けて

50人・20人・100人といったように不自然に少ない合格者数を設定する。かつ日程によって意味不明に増減させる。(なお合格者数は本当の合格者数ではない。公表値ですよね。大人なら察するはず。)


「日の並びによっては、競合する学校があるものね」


あなたは相変わらず人が良すぎる。そんな優しい話ではないのだ。

大人数が試験を受けたとき、

基本的には高得点層は少なく、中間層は厚く、低得点層は少ないという

富士山のような線グラフ分布に落ち着く。

富士山の裾野の長さ(ばらつき)がどれくらい広がるかは

試験によって微妙に線形が変わるが基本的に富士山だ。

分布が右肩上がりになるとか、

全員が同じ点数で円柱一本のような分布になるということはない。


受験というものは、学年ごとの受け入れの定員が決まっているので

基本的には「高得点者から数えて200人」という形で合格を出す。

考えてみよう。

当然のことながら、富士山の端っこは少ない、真ん中にいくほど多いわけだから、意図的に端っこの人だけの合格を出す試験を小刻みに繰り返せば、あら不思議、

「この学校の合格者は、塾内偏差値の60以上になったな」的な話になる。

これが偏差値操作のからくりだ。

これは塾業界では当たり前すぎる常識で話題にするまでもない話らしいが、

なぜか”偏差値”という魔法の単語によりファンタジーの世界へいざなわれた親たちが「S中学は千葉の奇跡だ」「いや系列のS中学や新興H中学は7年で追いついた」「元H中学からつながっているM中学は今度入りにくくなるぞ」といった不毛な推し対決を繰り広げる。

そう、まさに実在しない偶像へ向けて闘いを繰り広げる推し闘争に似ている。子どもは置き去りだし、あるいは可哀そうなことに「A中学は素晴らしい中学なんだ」と信じ込まされていたりする。


少し前の話にもどそう。

御三家・名門校はそのようなステルスマーケティングのようなことはしない。ほとんどの学校が一発勝負だ。

一発勝負で、富士山の端っこの方を子たちが毎年合格・入学する学校と

何回も間口を広げて富士山の端っこの方の子たちが合格する学校だと見せかけて端っこの子たちはもっと良い学校に行くので辞退していて、枠が埋まらない分を「帰国子女枠」とか「特待生枠」とか「一芸入試」とか「2次募集」「算数一択枠」とかなんとかなんとか・・・・で入学してみたら富士山の真ん中以下の子たちしかいない学校と

あなたはどちらにご子息・ご令嬢を入れたいだろうか。

本当の偏差値とステルスマーケティングが施された表面上だけの偏差値、

どちらも偏差値の数値だけはたいして変わらないかもしれない。


このからくりがわからない無知な(失礼!)親やメディアが

「名門校陥落!」

「新興A中学大躍進!」

「今となってはこれが新御三家!」

とか意味不明な記事を無責任に書いた結果として

塾やメディアとの癒着などつゆも疑わないスタバの5年生が生まれるのだ。


ああ偏差値教育の弊害。

明日またあの子に会えないかな。

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