「だいじょぶだぁ」って言ってくれよ

今日、親戚のおじさんが死んだ。

親戚といっても血縁はない。会ったことも、ない。

しかも、そのおじさんはぼくのことはなにも知らない。

でも、ぼくは小学生のころから、そのおじさんのことをよく知っていた。

おじさんとの出会い

そのおじさんを知ったのは、小学一年のときだった。

教室で、そのおじさんのモノマネが流行っていた(特に男子のあいだで

一瞬でぼくの笑いのツボは鷲掴みにされた。とてつもないほど、つかみはオッケーだった。(これはおじさんを慕う3人組のよくいうセリフだ

そしてこういう噂を耳にする。

「どうやらテレビに出てるらしい」

「土曜の夜8時らしい」

その番組は「カトチャンケンチャン」という耳になじみやすい二人組の名前がヒントだった。

さっそく家で土曜のテレビ欄を見る。

すると「加トちゃんケンちゃん」という言葉を見つけた。

しかし、しかしだ。

当時「加」という漢字が読めなかったぼくは不安になった。

「これは本当にあのカトチャンケンチャンなのだろうか」

「カロトちゃんケンちゃん」

カロトちゃんってだれだ? カトちゃんじゃないのか?

もしこの番組がクラスで人気の番組じゃなかったらどうしよう・・・

いいようのない不安で背中がうすら寒くなった。

当時の我が家のチャンネル権は完全に親父の手中にあった。

しかもジャイアンツ戦が繰り広げられている土曜の8時にチャンネルを奪うなど、獰猛なライオンが咥えている肉を素手で取りに行くようなものだ。

文字通り決死の覚悟が必要だった。

親父に懇願する恐怖と番組が違っていたらどうしようという不安を抱えたまま夕食を食べた。今思えば、ご飯が喉を通らなかった、と思う。

そして、恐る恐る親父に言った。

「テレビが見たいです・・」

あれほど緊張してお願いしたのだが、あっさりと認められた。

そして土曜の夜8時。あの番組が始まった。

チャンネルをゲットできた安堵はあったものの、まだ不安と疑いが残っていた。

「カロトちゃんケンちゃんであっているのだろうか?」

そんな不安を抱えながらテレビを観はじめたぼくだったが、不安は瞬くの間に霧散した。

腹を抱えて悶絶するほど笑った。笑った。笑った。

笑いすぎて泣いた。

こんなに笑えることがあるのかとワンワン泣いた。

それ以来、必ず毎週土曜の8時にそのおじさんの一挙手一投足その全てをブラウン管越しから食い入るように見るようになった。

悲しみ笑い

あれから30数年たった今日、ぼくは泣いている。

こんなにも悔しくて悲しいことがあるのだろうかと泣いている。

小学生のころ、どんなに嫌なことがあっても、すべて笑いで慰めてくれたおじさん。

どんなに悔しくて不安なことがあっても「だいじょぶだぁ」と笑い飛ばしてくれたおじさん。

スケベで、お酒が好きで、人が大好きだったおじさん。

殿さまなのにバカでもいいんだよと教えてくれたおじさん。

悲しくて悲しくて仕方がないのに、おじさんとの思い出を振り返るとどうしても笑ってしまう。

悲しみの涙を流しているのに、それでも笑ってしまう。

笑いながら、また泣いている。

泣きながら、また笑っている。

そして、また泣いている。

おじさん、志村けんのおじさん!

コロナで死んだのはうそだといってくれよ!

さすがにコロナは怖いぞ、「だいじょぶだぁ」じゃないから、死んだふりして病気の怖さを伝えるギャグでしたって、しばらくしてから笑いながらアイーンしてくれよ!

そしてコロナが落ち着いたら、もうだいじょぶだぁっていってくれよ!



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