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人生をかけて観続けようと思った映画たち 2-1~映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツオトナ帝国の逆襲~前編

人生をかけて観続けたい〜は実はシリーズものです前回のものは上記のリンクよりどうぞ。

やあ、外に出られなくて暇そうだな。ぼくは筋トレが捗って仕方がない。
そして、ある驚愕の事実に気がついた。

例えば、女のセックスアピールは豊満なバストやヒップ、あるいは内側へ美しい曲線を描くウェストだとすれば男の性的魅力は筋肉だと思う。
つまり、見方を変えれば、筋トレで男らしく鍛えれば鍛えるほど自分をえっちな身体に改造しているようなもんだよね?(感度3000倍並感)
気に入らない上司や同僚をいつでもぶち殺せるフィジカルがほしくて鍛えはじめたけれど、まさかこんなのとんだど変態じゃねえか。母の日が近いのに親を泣かせるような人間になっちまったよ、ぼかぁ。

まあ、辛い時こそ映画を観て忘れればええがな。ええがな!

……今回ぼくが取り上げたいのは
『クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツオトナ帝国の逆襲』

今更語るには失礼に当たるほどの名作中の名作が、大切なものを大切だと言うことに恐れや遠慮は却って無作法だろう。

そもそも、なんでオトナ帝国?

たしかに、原恵一氏が監督を務めたしんちゃん映画は97年の暗黒タマタマ、98年ブタのヒヅメ大作戦、99年 温泉わくわく大決戦、2000年 嵐を呼ぶジャングル、01年オトナ帝国、02年アッパレ!戦国 の6作品。そして、この中でもおそらく最も人気なのはアッパレ戦国だと思う。
 ひまわりが初登場した暗黒タマタマではお兄ちゃんとしてのしんのすけの成長が見られ、ブタのヒヅメで描かれる野原一家の絆は、その後のしんちゃん映画の一種の様式を決定した。嵐を呼ぶジャングルではカスカベ防衛隊の友情とキレッキレのクレしん的ギャグ(アクション仮面のタマキンにぶら下がるシーンは抱腹絶倒ものである)が溢れている。そして、アッパレ戦国での又兵衛と廉姫の身分差の恋愛や、しんのすけが経験した大切な人との別れは多くの人の感動を呼び、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門において大賞を頂くに至った。個人的には子どもに見せたくない番組の常連だったクレヨンしんちゃんが政府より表彰を受けたことは、これをおかずにご飯のお替りが止まらないほど気持ちいい。そして、この評価は必然だと思う。
 なぜ、オトナ帝国なのか。それについて語る前にしんちゃん映画そのものについて考えたいと思う。
 93年ハイレグ魔王より変わらないクレヨンしんちゃん映画の共通点、作品が普遍的に愛される理由でもあるだろう、とは一つに大人たち(ひろし、みさえを筆頭に彼らに味方する人たち)がしんのすけ達の直面した問題を子どものウソや遊びだとして一蹴せず、これに対してしんのすけと一緒に真剣に向き合っている点だ。何かに立ち向かう子ども、それを馬鹿にせずに背中を押し、時に同じ目線で悩む父と母。クレヨンしんちゃん映画で描かれるこのような家族の姿は、家族観が変容しつつある現代にこそ、あるべき形を案内する一種の理想としてまばゆい。

 しんちゃん映画の魅力は幸せな家族である。お互いの短所をお互いの長所で補い合い、泣き、笑い、より強い絆をつないで行く姿だ。
物語の中心には必ず野原一家たちがおり、彼らの巻き込まれた彼らだけの問題が実は他者の命運にも関わっていたりして、家族を救うおまけに世界を救ってしまう痛快さだろう。
その点において、オトナ帝国は最高のバランスを持つ映画なのだ。つまり、クレヨンしんちゃんという作品の世界の中でなければ絶対成立し得ない物語、野原一家が、カスカベ防衛隊が、彼らがファイアーしなければ救われない世界の問題こそが20世紀博を本拠地とするオトナ帝国の逆襲なのだ。このため、アッパレ戦国はしんちゃん映画である必然性という視座において、オトナ帝国の後塵に拝する。
 しかし、勘違いしないでほしい。アッパレ戦国が素晴らしいことは否定されない。
 突如戦国時代にタイムスリップしたしんのすけを探すためにみさえとひろしが奮闘する姿は、例えばブタのヒヅメ大作戦での二人を彷彿とさせ、家族を思う人間の姿は相変わらず踏襲されているように思う。しかし、この作品を見終わった時、ある点に気がつくははずだ。

アッパレ戦国におけるしんのすけの役割。

実は、冒頭で終わっているのだ。それはつまり、死ぬはずだった井尻又兵衛の命を救うことである。ひろしとみさえにしてもタイムスリップに成功し、しんのすけと合流後は自分たちの時代へ帰れないためになし崩し的に春日城にお世話になる。野原一家は最終的に侵攻してきた高虎を打倒するに至るものの、冷静になってみると物語の中心は春日城の趨勢であり、野原一家は又兵衛たちの助力というポジションに終始している。しんのすけたちが、春日城勢力と関わる必然性といえば、現代の春日部でひろしが確認した歴史の著述だけだ。

脚本とゲストキャラクターの魅力がしんちゃん映画としての魅力を希釈した。

 アッパレ戦国の主人公はしんのすけではない。そう、この映画は突如変な服を着た五歳児に命を救われた男の物語である。そして、恋する人を守るために散ったある不器用な侍の、また、その侍を愛した姫の悲恋の物語なのである。
 しんちゃん映画としての、大切な存在を守るための苦闘という構造は野原一家の間以上に、又兵衛と廉姫の間に比重を占めている。
彼らの存在が、しんちゃん映画としての枠を超えることに寄与し、またそれゆえに、アッパレ戦国という傑作をしんちゃん映画であることの必然性から遠ざけてしまったのだ。

そのため、映画クレヨンしんちゃんという尺度で作品を評価する際に、もしも何が最高かを選ぶならば、ぼくはアッパレ戦国ではなくオトナ帝国を選ぶのだ。

次回はぼく自身のオトナ帝国の逆襲という作品との出会いとこれの魅力についてつづりたいと思う。

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後編はこちらから

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(kobo)

アッパレ戦国好きな方、ぼくも大好きです。いつかアッパレ戦国の魅力も飽き殴りたい。
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