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一人暮らしをはじめて10ヶ月経過した話

まずはおいたちをひとしきり

私の故郷は、東京からおおよそ1時間半を要する場所に位置している。

いわゆる"田舎"と呼ばれる地域である。

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この為、豊かな自然に囲まれて育った。といっても、家は市街地にあった為、純粋な"田舎"とは呼べないかもしれないが、10分程度自転車を漕げば、イノシシの現れる山・カエルが騒がしい田んぼ・鯉が群れを成す川に出会うことができた。

高校・大学共に東京迄、通学していた。友達に、「●▼●(故郷)から通っている」という話をすると、

「●▼●!?冗談でしょ... ●▼●から通学なんて小旅行じゃん...」

「●▼●に遠足に行ったことがあるよ!」

「●▼●では、携帯の電波が通じにくかった...」

などなど、なかなかバラエティに富んだ反応をされたものである。

個人的に、自然が豊かな環境で育てたことは、なかなか運がよかったのではないか、と考えている。水も空気も美味しいし、何より自然の面白さや素晴らしさに触れることができる。

自然と人間の生活は切っても切り離せない。例えば、社会のコンテクストの中にも自然をトピックとしたものが多数存在している。

最近では「でんでん虫虫かたつむり〜♪」という童謡を子供に聞かせても、「でんでん虫」を見たことがない為、「ナニソレ、オイシイノ?」という反応をされるそうである。

でんでん虫が、石壁を覆い尽くす様を眺めながら、梅雨の到来を悟って育った自分からすると驚愕の事実だが、もしかするとこれも時代の潮流なのかもしれない。

一人暮らしを開始するに至った理由

就職を期に、一人暮らしを開始した。「故郷からオフィスが遠すぎるから」という点が一番の理由である。

東京の隣の県に住んでいたのだが、はたまた東京と境を接している県へと居を移した。

大きな川の隣のワンルーム。そこが私のねぐらとなった。

所感を述べる

ここからは一人暮らしを始めてわかったことをつらつらろと書いてみようと思う。

1. "人と暮らす"ということは、"人の声と共に生きる"ということを意味する

一人でいる時は、当然ながら人と会話をすることがなく、また、人の会話を聞くこともない(電話を除く)。即ち、"人の声"を聞く、という状況が発生しない。壁が薄い場合には、お隣さんの声を聞くこともあるのかもしれないが。

ずっと家族と暮らしていた為、"人の声と共に生きる"ということが当たり前になっていた自分にとって、この事実はとてつもなく新鮮であり、寂しさを感じると共に、"人の声(音)"以外の音に敏感になったように思う。

実は人の生活は音に彩られている。

車タイヤとアスファルトの摩擦音。朝の鳥の鳴き声。ゴミ収集車の軽快な音楽。風が通り抜けていく際に発する音。夕方5時に流れるアンニュイなメロディ。

気に留めなければ、聞き流されていくこれらの音を、敏感に拾えるようになってきた気がする。

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2. 一人で暮らす、ということは、自分で全てを選択・決定しなくてはならないということを意味する

「夕ご飯何にしようかな」「明日はゴミを捨てよう」「部屋の掃除をしなくては」

上記の事柄は、一人暮らしの場合、全て自分で決定し、自分で行わなくてはならない。

"生活する"という行為は、膨大な細かな選択・決定によって構成されている、ということに気付かされた。

3. 自分に向き合う時間が増える

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1. とも関連するが、一人で暮らしていると、他者が居ない環境のせいか、自省する機会が増えたように感じる。

自分のことを振り返り、そして向き直る良い機会にもなるが、あまりにも考え込みすぎると、精神衛生上良くないことにも気付かされた。

自分に向き合うと共に、他者との関わりも増やしていかなければ、と思う今日この頃である。

まとめるよ

まあ、まとめると...

一人暮らしになって、

「家族という存在を、いかに自分が当たり前と捉えていたか」

「人の生活は膨大な細かな選択・決定で構成されていたこと」

「自分に向き合いすぎると、精神衛生上ヤバイこと」

に気付かされた。

何はともあれ、自律性は明確に高まっていると考える。一人暮らし万歳。

一人で暮らすってのも悪くない。

(taro)

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