[実録] 悪質訪問販売の話術が凄まじかった話 〜前編〜
「お休みのところすみません。区画整理に伴う件でお話がございます」
2020年2月上旬。例年のような厳しい寒さは姿を潜め、この季節にしてはうららかで過ごしやすかった土曜の午後。午睡に身を委ねる穏やかな時間は不動産業者を名乗る二十代くらいの男の訪問によって破られた。
ぼくのアパートは録画機能付きのインターフォンがあるのだが、ぼくはあまりインターフォンを好まない。自分がインターフォン越しに応対されるのが好きではないからだ。
しかし、今回ほどインターフォンを活用すべきだったと思った日はない。
二度目のインターフォンが鳴る。ベッドから身を起こして玄関を開けると男は冒頭のように告げた。名前と所属を問うたところ男は一度で聞き取れないほどの早口で社名と姓を名乗った。聞き返すもまた、早い。再び尋ねるのも面倒だと思い、諦めた。振り返って思えばこれも全て計算のうちなのだと思う。
「区画整理に伴う件でお話がございます。先日伺ったのですが、夜の20:00とかってお仕事でいらっしゃいましたか」
「ええ、まあ」
ぼくは嘘をついた。その時間は家にいた。誰かが来たことなどないし、20:00までの残業などここ数週間していない。そして、目の前の男も多分真実をぼかしているという違和感に勘が働いた。夜の八時にわざわざ訪ねてきたというのもおかしい。のちにインターフォンの録画で訪問者を確認したが、男はやはり今日初めて来た人間だった。
「それはお忙しい中、大変失礼しました」
男は大げさに深々と頭を下げる。
少しだけ、慇懃無礼だと感じた。しかし、土曜の午後に働く人を無碍に扱うのは公正さに悖るとも思い、疑念を押し殺した。そしてなによりも区画整理とは少々気になる。ぼくはこの時点では男を行政かその委託業者の職員だと思っていた。
「不在票を投函させていただいたのですが、ご確認くださいましたか?」
「すみません、確認してないですね」
結論から言えば男は不在票など入れていない。これもおそらく計算ずくである。
「そうでしたか、でしたら紙に描いてご説明したいので少々よろしいでしょうか」
なぜ区画整理についてリーフレットも印刷していないのかと疑問が浮かんだが、紙に描いてとは印刷物に追記してとういう意味かもしれない。そしてぼくは様々な疑問を抱きつつも男を玄関まで入れてしまった。
………
男は雑談が好きなようだった。玄関に腰を下ろしてからやたらと無駄な話が多い。早く説明が聴きたいと促すとようやく赤いペンと紙を出した。
「まず、住まいとは賃貸と持ち家に分けられると思います。賃貸はオーナーの一存で入居者が不利益を被る例もあるのですが、ご存知ですか」
男は紙に大きく『住』という字を書いた。ぼくは男を遮った。
「区画整理の話では?」
ぼくは男に問う。
「区画整理に[伴う]と申し上げたのです。住まいについて若い人に知って、考えて欲しいと思い」
「区画整理は無関係ということですか?」
「無関係ではありません。住むことに関連することなので」
全くの詭弁である。
「区画整理が主要件ではないのならなぜ区画整理と言ったのですか?」
「ですから、住まいについて考えるきっかけをご提供したくお伺いさせていただいたのです」
男は区画整理と騙った理由を明言しない。
「それはわかりました。ですが、この話がどう落ち着くのか見えません。結論からお願いします。私にどうして欲しいのでしょうか。住宅のセールスですか?名刺やパンフレットなど残る形で所属を明らかにできるものはいただけますか」
ぼくは男に問いただした。セールスならば興味はないという言葉も混ぜて。すると男はのらりくらりと、セールスではなく話をしに来ただけ、名刺はいたずらでネットにアップしたりする人もいるので必要以上に配らない。区画整理で突然賃貸を追い出されることがある。というように答え、回答を避ける。胡散臭いことこの上ない。
「話、話と言いますが、住まいという茫漠な話題から入られましても要領を得ません。賃貸を追い出されれば別に借りるまでです」
「ですから、説明をしようとしてもさっきからまくし立ててきてわかろうとしてませんよね? 年を取った時賃貸に入居できない例もあるんですよ」
「まともな話なら耳を傾けましょう。セールスでないなら最終的にどうしたいのですか?結論からお願いします」
「ですから……」
ぼくと男は同じ問答を延々と繰り返した。やたら男が食い下がってくる。終わりの見えない相似形の言葉の応酬に変化をもたらしたのは男の言葉だった。
「さっきから、こうして訪問している人物に対して失礼ではありませんか?私共のことをどう考えていますか」
「セールスですよね」
「違います」
「そうでなければ犯罪のような怪しいなにかに巻き込もうとしているようで正直怖いです」
「犯罪? 私は所属も名前も明かして会社を代表して来ています。誤解をとかせてください」
「では、きちんと目的を話してください」
「ですから住まいについて考えてもらうための話を」
「それは聞きました。大丈夫ですか?本当にどういったご用件なんですか?私に貴方の話を聞くことを断る権利はありますか」
「大丈夫とはどういう意味ですか?さっきから疑われてまるで犯罪者扱いじゃないですか!」
先ほどまでの丁寧さとはうって変わり、男は感情をあらわにして凄んだ。
「誤解を恐れず申し上げるならそのように疑っています」
「私は会社を代表して、身分を明かしてお伺いしているのに犯罪者あつかいは失礼じゃありませんか。ニヤニヤしてますけど」
ぼくはたしかに笑っていた。しかしこれは穏便に、紳士的にと努めて作ったものだった。突然の逆上に戸惑いつつも相手を公正に扱うようにしていた。しかし、男はまるで自分が不躾な対応を受けたかのように厚かましくも逆上してきた。
「突然訪問してきて名刺など残る形での身分の開示もありませんよね。そして管理会社も行政も関係ないと仰られれば疑念を抱くのは当然です。犯罪者扱いについては謝罪します。すみませんでした」
謝罪するべきではなかった。これをおそらく狙って男は感情的に威圧してきたのだから。
「ちゃんと謝ってください」
そう。つまり、こういうことだ。
ちゃんと謝る。というのは非常に難しい。謝罪する側にとって相手に主導権を取られる。どこまで、どんな風に謝罪すれば許されるのか相手の裁量次第だからだ。
ぼくは声音は真剣にしていたつもりだが、悪いとは思っていなかったので頭は下げなかった。それも、男に付け入る隙を与えていた。
「謝りましたよね」
「だからちゃんと謝ってください。なにに対してですか?」
「貴方と御社を犯罪者扱いしたことについての謝罪です」
結論から言えば彼はまごうことなき犯罪者なのだが、それを知ったのは後になってだった。
「ちゃんと謝ってください」
「はあ、すみませんでした」
ぼくはもううんざりしていた。今度は棒読みの感情のこもっていない謝罪だった。
それに対して、男は持っていたペンをあからさまに大きな音が発生するよう`床に落とした。ぼくもぼくで腹が立った。
「ペンを落としましたよ」
「置いたんです。それがちゃんとした謝罪ですか?」
「ペンを、落とし、ましたよ」
ややゆっくりと、そして少し大きい声で、同じ言葉を繰り返す。
「置いたんです」
「落としましたよ」
「拾えってか」
男の言葉遣いが変わった。威圧してくる。
ぼくも苛立っていたので、もう相手のペースには取り合わない。どうにか相手の情報を手に入れられないだろうか。
「謝罪は後日改めて、御社の担当部署にメールと電話で差し上げようと思います。ご連絡先をー」
「結構です。必要ありません」
「では、今回の話は日を改めていただいても良いでしょうか。お互いに誤解があるようですし、冷静になりましょう」
「いいえ、改めて来ることはありません」
「では、お引き取りください」
「いいえ、犯罪者扱いのままなので誤解をとかせてください」
まだ居座る気か。
「結構です。お引き取りください」
この後も男は相変わらず論理的な受け答えをせず、犯罪者扱いへ不満を理由に食い下がり続けた。毅然とした態度に努めたが、正直怖かった。顔を見られているし住居も把握されてしまっている。
「出て行ってください。警察を呼びましょうか」
問答の末に、恐ろしさの裏返しでついに漏れた言葉だったが、相手にも最も効果があった。しかし、一度だけではやはり食い下がる。自分は真っ当な理由でここにおり、身の潔白を説明できるので呼べば良い。男はそう言って腰を動かさなかった。
「今すぐ出て行ってください。本当に呼びます」
「失礼ですよね」
「早く出て行ってください」
「会社でもそんな態度なんですか」
会社は関係ない。大きなお世話だ。男は荷物をまとめながら、ぼくの態度や、言動について悪し様に言い始める。
「今すぐ出て行かないと警察を呼びます」
そして、男はそそくさとぼくの家のドアを開けて立ち去った。やっとの思いで男を追い出したぼくは時計を確認する。30分ほどの時間が過ぎていた。永遠のような時間だった。
ぼくはスマホを取り出し自身のアパートの正規の管理会社の番号をダイアルした。男とのやりとりの中で浮かんだ疑問や区画整理など彼の話の事実を検証するためだ。
後編はこちらから。
(kobo)
[画像の引用]
https://pixabay.com/photos/scam-hacker-security-virus-fraud-4126798/
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