親の心子知らず。子の心親知らず。

この夏、日本から4人の子どもを預かり、
自分の子どもと合わせて総勢7人の子どもたちの
夏山合宿を請け負った。

13歳、12歳、12歳、11歳、10歳、10歳、6歳。
男子6人、女子1人。
大人は私たち夫婦だけ。
期間は1ヶ月。
途中子どもたちはレースにも参戦する。

なかなかヘビーな1ヶ月だと想像できるので
私たち夫婦はそれなりに前準備をして挑んだ。

が、相手は生き物。
思春期に片足を突っ込み出した子どもたち。
思ったようには動かないし、
想像以上にレスポンスがない。

日々の練習時間も、
せっかくの環境を自ら生かしていこうという
前向きな雰囲気を感じられず、
何しにきたの??と思うことも。

レースに対しても
当事者意識が薄いように思えたり。

もっと自分で意欲的に考えて動いて欲しかった。
いくらでも求めてくれれば
こちらは最大限のサポートをしてあげるつもりで挑んでいたのだから。


7人を相手に、私も旦那さんも本当によく
悩み、考え、言葉を紡ぎ、背中を押し、
1ヶ月を充実したものにして欲しいと願い、 
サポートしてきたと思う。

私たちの準備不足を悔いた場面も多々ある。
一番後悔が大きかったのは、
参加者各々の目的を前もって明確にし、
すり合わせていなかったこと。

前準備では親との連絡は密に取り合っていたが、
参加者本人の意思・意向・意気込みなどは
そういえば本人からは全く聞いていなかった。

そこに大きな問題があった。。。
そもそも我が家でも
子どもたちの目標設定のすり合わせに苦労しているのだから
どうして親の話だけしか聞かなかったのか・・・

親の「〜して欲しい」が、
子どもたちの「〜したい」だと思うなんて。
今考えれば馬鹿な話だ。

親たちの「こうであって欲しい」と
子どもたちの「こんな感じでいい」の
噛み合わなさったらない。

レースに対する意気込みでさえ、
それぞれの親子間に差があるようにみえたのだから
日々の練習姿勢に対してなんて
幅も深さもかなりなギャップが存在した。

人間とは、
やはり相当強固な意志を持たない限り
下流へと流されてしまう生き物で。

口うるさい私たちを両親にもつ我が子たち、
殊に今の長男には明確な目標と、
それを達成するための過程が必要で
目標を達成するために今回の合宿に挑んでいた。
これはしっかりお互いに擦り合わせ、
お互いに納得した上で合宿に挑んでいた、はずだった。

が、長男もまだ11歳。
いくら目標があったとしても、
楽しいもの、楽なもの、に意識が向くのは性。

長男一人の力では、
仲間たちの皆の意識を上向かせることは難しく、
親でもない監督・コーチでもない私たち夫婦の力でも、
それはまたとても難しいことだった。

そんな背景によって生まれた不協和音で
私たち夫婦と子どもたちの意識差を縮めることに苦労し
大変な合宿生活だったなぁと振り返り思う。

親の心子知らずだし、
子の心親知らず、だな。

親からの子どもへの想いや期待は
子どもの想像を超えて
愛に満ちているものだと思うけれど

それは一方的なものであって
決して子どもたちに同等なものを求めてはいけない。

親は子どもたちに目線を合わせて、
今一度、子どもたちの言葉で目標設定をしなければならない。
子どもたちが自分の力で自分の言葉で落とし込めた目標を
親はサポートしていく形が望ましいのかな。

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