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モヤモヤの正体

義理の弟が、
社内留学制度をつかって
国内のビジネススクールへ進学するらしい。

自身のキャリアアップを考え
社内の制度へ応募して受験したようで、
その意気込み、姿勢、意欲は素直に讃えたい。

がしかし、
スッキリと心から2年間頑張ってねと
背中を押してあげられないのはなぜなのか。

妹から電話がかかってきて、
どうしてもモヤモヤする。
「週末は極力子どもたちと遊ぶようにするから」
「よろしくね」
と言われたけれど、なんかモヤモヤする。

勉強大変そうだな、大丈夫かな。
洋服買っておこうかな、どうしよう。

なんて浮つく夫の様子を尻目に、
心がザワザワ、なにか不安な気持ちに包まれていく。

どうしたらいい?
このままだといらぬ喧嘩をしてしまいそうだ、と。

そういえば私も、7年前には
妹と同じ立場に立っていたなぁと懐かしく思い出しながら、
妹のモヤモヤの正体を一緒に紐解くことにした。

男の人って、
と一括りにするには語弊があるかもしれないが
私の周りの男の人っていうのは
将来のことを考えるのが得意。

うちの旦那さんは数週間も先の長期休暇のスケジュール、
来年度のレースのこと、などなど「未来」の話を
楽しそうに、嬉しそうに悩みながら常に考えている。
と、そう思っている。

「今」を必死に生きている主婦にとって考えられる「未来」は
今週のスケジュール(子どもの送迎、買い出し、食事etc…)を
どうやりくりするか、
今週末、家を空けるにあたって家の片付けをどうしておくか
週末明けの学校の準備やお弁当の準備は大丈夫か、、、
くらいが限界で、数週間も先のスケジュールだなんて
「その時になってみないとわからない」のが正直のところ。

キラキラした目で来年の春の遠征のことを考えている旦那さん
それに向けて細かいところを埋めていく作業をする私。
そして私がその予定をせっせと遂行している間に、
きっと旦那さんはまた先の夏か冬かのことを考えているんだろう…

その、計画を立てるだけたてて
結局のところ必死にそのスケジュールを遂行しているのは私…
みたいなところがモヤるんだよね、いつも。
宿泊先の予約とか、移動手段とか、もろもろの登録とか、
計画の骨格を整えたら、あとは当日を迎えるだけ〜と。 
いやいや、それ以外にもたくさん仕事はあるんだぞ、と。

だから義理の弟が来年の春からの進学を想像して
色々と心躍らしている様子も理解できるし

夫が進学することで変化するだろう過程内の様子や
その埋め合わせに奔走するだろう自分の姿を想像して
ため息が出る妹の気持ちも重々に理解できる。

それから、
「飲み会に行く」という事象一つとっても、
男性は「飲み会あるから行ってくるね」の一言で
当然のように飲み会に行って帰ってくる。
家庭内の役割に対して無責任に思えて仕方がない。

母親はそうはいかない。
飲み会の日程が分かり次第、
子どもたちのスケジュールと照らし合わせ
送迎の手筈を整え、夕ご飯の支度まで考えて
ごめんね、よろしくね、と言いおいて
家を出る直前まで家事を終えて出ていく。

夫と妻の間にこれだけの差が出ていいのか、
と思うほど「飲み会にいってくるね」の言葉の重みは
大きく違うように思う。

今回の
「ビジネススクールに進学することになったから」
という義理弟の報告は

「今度飲み会に行ってくるから」
と同様、非常に無責任な発言に聞こえてくる。
そこにモヤモヤしているんだと、私は思う。

私もよく旦那さんに
「やればいいじゃん」
「好きなことやってよ」
と言われてきた。

私に対して理解ある優しい言葉のようにも思えるが
同時に無責任にも思えていつも嫌だった。

私が何か新しいことを始めるときには
それまで自分がやってきた家事や育児に関する時間は
当然のごとく夫婦で分担してもらわないといけない。
と思うのだけど、旦那さんの
「やればいいじゃん」には、
自分の生活リズムを変えるなんて気は
サラサラないように響いてしまう

実際はそんなことない、
きっと困ったら手伝ってくれるんだろうけど。



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