芸術家の才能は枯渇するか

お疲れ様デウス

なかなかイカつい開会式でスタートしたオリンピック、連日連夜報道される日本選手のメダル獲得シーンを見ると、こちらも嬉しくなるよね


スケートボードの吉沢選手が若干14歳で金メダルを獲得し、一方これまで人気だった阿部詩選手の敗戦後の振る舞いがSNSで叩かれる

数日前まで「え?オリンピック始まってんの?!」くらいの知識しかなかった私でさえも、やれテレビニュースだのSNSだのを何の気なしに見るにつれ、まんまとその世論という名の渦に飲み込まれ続けております


しかしながら、忘れてはならない事がある
それは、あのステージに立つ選手は全員漏れなく各国内最高峰の実力・センスを持つ人達であるという事

そう考えたらオリンピックって凄いよね

当たり前やけど各競技においてオリンピックに出場している選手なんてもんは、幼き頃から周囲の人間に「いやいやお前には敵わんて!お前絶対オリンピック出れるやろ~!笑」とか言われ続けて育った人ががほとんどというね


そしてそんな超人達が世界中にたくさんいて、なんやかんやあって今年はパリに大集結し、1つの画面に収まってテレビに映っちゃってる事、刃牙よりも刃牙すぎる


オリンピック選手たちは間違いなく身体的に選ばれし者で、努力を惜しまない強い精神力があり、運も持ち合わせつつ、何より才能がある

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いやしかし、才能ってのは一体何なんやろうね

「才能」を英語で言うと、「talent」と言うらしい
それを知った当時の私は、日本における「タレント」を思い、「いやネーミングおこがましすぎるやろ」と思った記憶がある



僕の職業ですか?
「才能」、ですかね…?


とか言うてるやつおったら腹立つな…と思っていた


しかし実際に(めちゃくちゃ失礼やけど)勝俣氏とか出川氏とか見てたら、たしかに才能で芸能界にずっといる人ってのは一定数おるんやな、とも思う

勝俣氏なんか、もともとアイドル的な立ち位置やったんよね?知らんけども

今となってはそんな姿は微塵も見えないけれども、片鱗が無くても芸能界で生き残っている

つまりそれこそがtalentなんやろう

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才能は、いつ枯渇するんやろか


身体を使うスポーツや格闘技では、老化がそのまま才能の枯渇と言い換える事が出来る

あの頃みたいに早く走れない、重いものが持ち上げれない、反射神経が、視野狭窄が、骨密度が…
全てが才能の種を摘まれるきっかけとなりうる


ほとんどのスポーツ選手・格闘家は20代~30代で引退する

まだまだ現役を続けたい、限界まで挑戦してみたい、と思っていても身体が動かなければ現実問題、夢や才能を諦めざるをえない

見方を変えると、身体が自分に教えてくれている


「夢を追うのはもう終了だよ、別の夢を探そうね」と囁くアラームのように

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一方で、芸術の才能は枯渇するのか

音楽、絵画、演劇などもある程度のフィジカルは必要
とはいえ、スポーツやら格闘技やらに比べたらめちゃくちゃ低燃費で稼働出来る


仮に老化が進み、昔のように早く走れない、重いものが持ち上げれないという状況になっても、まだまだイケる

声を出すのは声帯で、声帯は筋肉である、という原理は、ボーカルの中では常識になっているけども、映画「アルマゲドン」の主題歌を演奏したエアロスミスのボーカル、スティーブンタイラーは声帯を負傷し、ボロボロになりながらも未だにライブをしている

1970年のデビューから今年で54年、彼自身はなんと76歳、それでも現役として活動している


芸術家には、アスリートが持つ「限界でっせアラーム」は存在しない

老化=才能の枯渇、という厳しい条件を突きつけられるアスリートとは違い、芸術家の老化は才能の枯渇に直結しない


アスリートに比べ芸術家は、自身の私生活レベルを気にしなければ時間に縛られずのびのびと活動できる

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もしも芸術家にとっての「才能の枯渇」というものが本当にあるとしたら、難点としては、芸術家自身が「才能の枯渇」に自分で気づかなければならない、という事やろう

売れている芸術家にとっての才能の枯渇とは「売れなくなること」、売れていない芸術家にとっての才能の枯渇とは「もう何も浮かばなくなること」


芸術品の売れ行きや、ライブの集客を見たり、自分の生活を見つめて、「ああ、私はここまでやな」と、芸術家として自刃するに至る

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さて、私は音楽をやってるわけやけど、自分自身に音楽の才能があるのかどうか、たまに考える

先日レコーディングをしました

特に曲作りの時、その考えは浮かび、消えて、また浮かび、消える

なんじゃこの曲は、と思いながら作り進めたり、これはえぇ曲になる!と自信を持って進めたりする


なんじゃこの曲、と思っても作る手は止めない

過去に、「なんか出来たわ」って感じの軽いノリで30分くらいで作った「ハイウェイ」という曲が、たくさんの人達に気に入られた事がある


誰がどの曲を好きになるかなんて、生まれたての曲をいくらリピートしても自分ではわからん

だから、とりあえず作る、というのが大切になったりする

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そんな自分が思う、「芸術家としての才能の枯渇」とは、集客データの上がり下がりでも、画期的なアイデアが浮かぶか浮かばないかでもないと思っている

「芸術家としての才能の枯渇」、それは、インプット・アウトプットが出来なくなる事じゃないのかと考える

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いつもいつも同じような曲が出来てしまって困るとか、同じような曲しか出来ていない事にすら気づいてないとか、そういうのはインプット不足

1曲を完成するまで極端に遅い、ていうか1年に3曲しか新曲が出来ないとか、そういうのはアウトプット不足

知識・感覚の代謝が健康的に出来なくなり機能不全に陥った時こそ、芸術家にとっての才能の枯渇と言える

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アスリートにとって身体的な健康が必須である事に対して、芸術家にとっては精神的な健康が大切

しかし芸術においては、精神的に不健康な人は、特有の素晴らしい作品を残したりするから厄介やし、それが「芸術」と呼ばれる世界の懐の深さのような気もして、なんとも意地らしいな〜と思う

たまに、全然曲作ってないけど少ない曲数でやたら売れてるみたいな人もいるけど、それは特例です
特例なんてもんはどの世界にでもありますからねぇ

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芸術家において「才能の枯渇」という言葉は、いつでも背中にぴったりくっつく影のように精神を追い立てる

しかしそれはあくまで影であり、実態は自分自身にある

芸術家の皆様、よくわからん影に脅かされず、共に代謝を上げていこう!

ほなおつかれい〜



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