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【小説】革命のエチュード


<9:17>

タクシーは、首都高速を東に進んでいた。
目的地の羽田空港に近づいていないことが明らかであっても、料金メーターに遠慮というものはない。

カチッカチッと音を鳴らし、料金を刻むが、どこに進んでいるかわからないときに跳ね上がるメーターほど歯がゆいものはない。

目の前に設置されたTVでは、くだらないワイドショーが映し出されている。気を紛らすために画面を眺めても、気持ちは落ち着かない。

「さっきからどこに進んでいるんですか!?羽田空港方面じゃないですよね!?」
後部座席に座っているモモは、くりっとした目で男を睨みつけた。

「大丈夫だ、安心しろ。それにお嬢ちゃん。そんな怖い顔をしたら可愛い顔が台無しだぜ?」
ここまで沈黙を保ってきた男は、口を開いた。

「可愛いとかどうでもいいんです。とにかく羽田空港に…」
バックミラー越しに眉間に皺を寄せるモモの表情を見た運転手の男は、彼女の性格を察した。

「結婚よりも仕事・出世ってタイプ?」

「そうですけど、悪い?周りの同年代は、バーゲンセールかと突っ込みたくなるほどの結婚式ラッシュ。私には結婚よりも大事なことがあるの!」

敬語が抜けて語調を荒げるモモに対して、男は飄々と問いかけた。
「何を焦っているんだ?」

「結婚は焦ってない!」モモはギュッと拳を握りしめた。

「そっちじゃねえよ。羽田空港の方」

「今日は、人生で一番大事な商談があるの」

「商社ウーマンがやっと掴んだチャンス、って顔だな」

「そう。女の私が、男たちを見返すための…」

「…」
男は何も言わなかったが、モモは言葉を続ける。

「男女同権社会なんてスローガンだけで、実際の世の中は男性優位。
私は今日まで、“女のくせに”と言う言葉を幾度も浴びせられてきた。
けど、仕事と向き合っている以上、男も女も関係ない!」

男は、モモの情熱に反比例するように、「へえ」と力のない声を落とした。
そして、片手で運転を続けながら、器用にタバコを取り出した。

「あ、同じ銘柄だ」と、モモは無邪気な声を出す。

「お嬢ちゃんも吸うのか?」

「中年上司とのコミュニケーションはタバコ部屋で育まれると思って吸い始めたら、今やヘビーよ」

悲壮感すら漂うモモの仕事への覚悟に、男は理解ができない。
「なあ、お嬢ちゃん。仕事のためにタバコまで吸って何になる?
あんたは美人なんだから、”俺の嫁になって寿退社”なんていう同僚も…」

モモは、男の言葉を遮るや否や、運転席をドンと押した。
「そういう同僚の言葉が一番嫌なんです!養ってもらわなくて結構!」

「おお…強気だねえ」

「セクハラ、パワハラ、事務の女性社員からの嫉妬。嫌なことや理不尽な仕打ちを挙げだしたらキリがないわ。でもそんな外野の妨害は関係ないの。私は、自分の野望を果たすためなら…」諦めたようにため息をつくと、モモは外に目を向けた。

男は窓から煙を吐き出すと、呟くように漏らした。
「お嬢ちゃんの原動力は、見返すってことか…」

「そうよ。なんか文句ある?」

「ねえよ。人生は所詮ゲームだ。好きなようにすればいいさ。
だが、見返したその先に、何があるのか、と思ってよ」



<8:17>


決戦は、18時。
商談の重要さを鑑みれば、会場に前入りすべきだったが、重要度の高い別案件の都合で前日入りはできなかった。

この日は、朝8時に出発して、午前11時の飛行機に乗る予定だった。

シックなスーツに身を包んだモモがJR吉祥寺駅にたどり着いたとき、異様な光景が飛び込んできた。駅の構内が人でごったがえしているのだ。

どうしたのかとあたりを見回すと、電光掲示板には驚くべき情報が表示されていた。


-人身事故により、中央線、総武線が運転を見合わせ-


「仕方ない。京王井の頭線に乗ろう」と思ったのも束の間、京王井の頭線も事故により、運転見合わせと表示されていた。ダイヤが大幅に乱れ、短時間での復旧の見込みは薄いらしい。

こんな同時に人身事故が起こるなんてありえるのだろうか、とモモは訝しがったが、電車が動いていないのならば仕方がない。仕事にも人生にもトラブルはつきものなのだ。

しかし、駅の隅に貼られていた忌まわしいほどに真っ黒なドクロのシールは彼女の体に阿寒をもたらした。


電車の運休に慌てた人々は、活路を求めてタクシー乗り場に殺到した。もうすでに長蛇の列ができており、すぐに乗車できる状況ではない

モモは駅から少し離れたところに待機しているタクシーを探すため、乗り場を後にした。
1本路地に入ると、眩しいほどの黄色いボディに包まれたタクシーが目に入った。車体には、「先回りtaxi」と書かれている。

「先回りtaxiってなによ?」
モモは聞いたことがないタクシー名に疑問を呈したが、他に手はない。今は緊急事態である、一刻も早く羽田空港に向かう必要がある。

彼女は、見たことも聞いたこともない「先回りtaxi」の後部座席に飛び乗った。



<8:39>

チャリン…チャリン…

タクシーメーターに感情はない。淡々とメモリを積み重ねていく単純作業。
信号待ちの時間も、渋滞に巻き込まれて進まない時間も、容赦なくメーターの金額は上がっていく。

「信号待ちはかわいそうやから、メーターあげないでおこう」などという温情はない。

気のせいかこのタクシーはメーターの上がり方が早かった。一体どのような仕組みで値段が上がるのか、モモには詳しくわかっていない。

「あっ!」

そのとき、モモは大きな声を出した。経費で落とせるタクシー代は3000円までだが、「先回りtaxi」のメーターは、乗ってから5分もしないうちに3000円を超えてしまった。

「これは経費で落ちるの?いや、落ちません」

モモは、自問自答ののち、回答を出した。
時間通りに目的地に着いてさえすれば、自腹でも問題はないと思った彼女だが、この値上がり幅には異常性を感じた。

メーターの業者が違っても料金の違いはないとわかっても、どこのメーカーかを確認してしまう。三葉計器株式会社、と書かれたメーター計が気になって、グーグル検索を行ったが、なぜか圏外で検索ができなかった。

「ぼったくりバー、じゃないや、ぼったくりタクシーか」

モモはぶっきらぼうに呟いた。


イライラするときにはウィンストンだ、と思った彼女は、鞄の中に手をつっこんだ。しかし、チクッとする痛みが手を襲う。どうやら、食器洗いのために使っていたスチールウールを間違えて鞄に入れていたようだ。肝心のタバコは入っていないが、ライターはあった。

「どんなミスだよ…バカ」とため息を落とした。



<9:37>

千葉方面、という案内標識が目に入ったとき、モモはたまらず叫んだ。

「もういいです。降ります!」


時速100kmで車が進んでいるにも関わらず、彼女はドアノブに手をかける。危険だとわかっていたが、とにかくここから出なければならないと思ったのだ。

すうっと息を吸い込んで、レバーを引く。
しかし、ロックがかかっており、ドアは開かなかった。

「おろしてください!」と訴えても、男は「いいからじっとしておけ」としか答えない。

モモはここで抵抗を試みた。運転席と後部座席の間はガラスで区切られていたが、渾身の力を込めて、ドンドンドン!と、ガラスを叩いたのだ。

モモの様子に気付いた男は、ハザードをつけて路肩に停車する。

高速道路は原則駐停車禁止である高速道路内では、非常に危険な行為だったが、モモにとってはチャンスだった。

彼女はこの機会に車から逃げ出そうと考えた。このまま羽田空港から遠ざかるよりは車から降りる方が良い、と考えたのだ。

車を停車させたあと、男は、席を区切っていたガラスを下げた。そして、モモの方を向くなりにっこりと笑った。

そのとき、男はモモの口に、何か布のようなものを押し当ててきた。モモが「あっ」と、声を出しかけた瞬間、ふわっと意識がなくなってしまう。

かつて麻酔薬として使われていたがクロロホルムだろうか。モモの意識は、徐々に遠のいていった。

「今日の商談のためにあんなに頑張ってきたのに…なんでこんな目に…」


意識を失ったモモの様子を確認すると、男は誰かと交信を始めた。



<10:17>

数十分後。
モモが意識を取り戻したとき、タクシーは大きな施設のロータリー内を徐行していた。


目に入ったメーターには、20万円という金額が提示されている。
「法外だ…」と呟いたモモだったが、ふと横を見ると、”空港ターミナル”という案内表示版が掲示してあった。

「羽田空港に着いたんだ!」モモは20万円という法外な金額を忘れて喜んだ。どこの馬の骨ともわからないタクシーに乗り込み、羽田空港にたどり着けないと思っていたら、無事に到着。地獄から天国とは、まさに今の彼女のためにある言葉だ。

しかし、目の前に設置されたTV画面には、衝撃的なニュースが流れていた。

-羽田空港のターミナルで大規模な爆発が発生。現場には真っ黒なドクロのチラシが撒かれており、黒い幽霊と呼ばれるテロリストたちによる犯行と思われております-

空港のエプロンは黒煙に包まれ、人々が逃げ惑う姿が画面上に映し出されている。画面の隅には、忌まわしいほどに真っ黒なドクロのチラシがあった。

ニュースを確認したモモは、慌てて外を見た。しかし爆発に伴う煙も、慌てる人々の姿もない。どう見ても平和なロータリーの光景だ。

「フェイクニュースか」モモがどこかの国の大統領のように呟いたその時だ。男は、口を開いた。

「ここは成田空港だぜ」



「どういうことですか?」モモは眉をひそめて男に尋ねた。

「今の映像を見ただろ?羽田空港はテロの被害にあって大変な状況だ。だから俺は成田空港にやってきた。成田空港からなら代替便もある。それに乗りな」

ありがとうございます!と、答えるのが妥当なのだろうが、モモは違う言葉を使った。
「あなたはなぜ知っていたの?羽田空港でテロがあることを見越していたのよね?」

男は、布を押し当ててきた時と同じ笑顔を浮かべた。そしてワイシャツをめくり、自分の左肩に刻まれた真っ黒なドクロのタトゥーを見せた。

「そのマークは…もしかしてあなたは?」引きつった表情で尋ねるモモに、「俺はテロリストの仲間だ」と男はそう答えると、モモにナイフを向けた。

「お嬢ちゃん。命が大事なら、商談に間に合いたいなら、メーターに刻まれた20万円を払え」

モモの顔から血の気が引いた。人身事故の現場にも、TV画面からも、男のタトゥーと同じドクロマークが表示されていた。高速道路で停車したときよりも、生きた心地がしなかった。再びドアノブに手をかけるが、やはりドアはロックされている。

クレジットカードで支払おうと観念したその瞬間、モモの頭に過去の忌まわしい記憶が走馬灯のように浮かび上がった。

「また、力に屈するの…?」モモはそう呟くと、カッと目を見開いた。

「この、ぼったくりタクシーが!」と、咆哮をあげると、鞄から取り出したボールペンを男の目に投げつけた。

ボールペンが目に命中すると、男は「いってえ!」と叫び、目を抑えてうずくまった。
しかし、男の動きを一時的に止めたとしても、ドアは開かない。脱出をするには不十分だ。

「一か八か…」と呟いたモモは、ライターに火をつけて、スチールウールに火を灯した。

そして、それを男に向かって投げつける。男のセーターに命中したスチールウールは、徐々に燃え上がり、車内に煙が充満していく。

目を傷めていた男は、うまく火を消すことができないが、これはモモにとっても賭けだった。車内の酸素濃度が薄まっていくのは、男だけでなく、彼女にとってもリスクだった。

「うお!」と、叫んだ男は、たまりかねたようにドアを開けて、車外に飛び出していた。

「今だ!」開いたドアから、モモも脱出する。そして、燃えている服を脱ぎ捨てている男を指して、こう叫んだ。

「助けてください!この人は詐欺師です!」



モモの呼びかけのあと、周囲にいた人々は男を確保し事件は無事解決した。

犯人は暴力団排除条例によって生活に困窮した暴力団のようだった。

職務質問の結果、その男はこう言ったそうだ。
「人間をだますのは簡単だ。閉鎖的な環境で、偽の情報を流して動揺させちまえばいいんだから。この世界には俺みたいなアウトローは五万といるぜ、奴がそれを束ねれば…」


to be continued

最後まで読んでくださりありがとうございました。

他には、コメディ記事も書いています!


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