淡路島に巨大な観音像があるのをご存じですか。アメリカの「自由の女神」を抑え、高さで一時、世界一に輝きました。一般公開が中止されて久しく、外壁がはがれ落ちるなど危険性が指摘され、解体に向けた工事が始まっています。そもそもなぜこんなノッポ観音像が淡路島に誕生したのでしょうか。播州人3号が紹介します。
観音像があるのは淡路島の北側です。
国道沿いの丘陵地に大阪湾を見下ろすようにそびえ立ち、島のランドマークとしても知られています。
完成は40年前の1982年7月。盛大に開眼法要が行われました。
当時の記事です。
最近の紙面では「世界平和大観音像」と呼んでいますが、当時は「ジャンボ観音像」「ノッポ観音像」などと表現されています。
像の高さは78・6メートル。台座のビル(地下1階~地上5階)の高さ(22・6メートル)と合わせると、101・2メートル。鉄骨の骨組みにセメントを吹き付け、頭の部分は特注のアルミ板を貼り合わせています。
内部にエレベーターが備えられ、胸部に開けられた展望台まで上れたようで、台座部分(5階建て)には美術館や売店、レストランもあり、賑わいました。
当時、米ニューヨークの「自由の女神」像が世界一の高さを誇りましたが、それを抜いたとあります。
そのためでしょうか、敷地内には自由の女神像があるといいます。
観音様見守る自由の女神
淡路市釜口
驚くことに、この巨大観音像は個人の建造です。
淡路島出身の大阪の男性が建てました。
町長らも出席した法要で、施主の男性は「十数年来の構想がようやく実現し、うれしい。地域の文化、観光の発展に少しでも役立ちたい」と語っています。ふるさとへの熱い思いが観音像建立の背景にあったことがうかがえます。
ただ、個人で建造したことが、その後の管理に大きく影響します。
男性が6年後の1988年に他界し、観音像は男性の家族にいったん相続されます。ただ、その家族も2006年に亡くなり、施設は閉鎖。観音像は相続されないまま所有者が存在しない状態が続きます。
管理が行き届かなくなると、安全面から「解体」や「撤去」が議論されるようになりました。
淡路のランドマーク
巨大観音どうなる
買い手なし、撤去には数億円―
対応に市苦慮 鉄骨むき出し危害懸念
とうとう心配されていたことが起きます。
観音像の外壁一部崩落
淡路、台風11号の影響か
高さ100メートル、06年から放置状態に
4年後の台風による風雨で穴は2カ所に増えました。
そして、ついに撤去が決まります。
所有者がおらず、国が解体業者を公募し、大阪市の建設会社が落札しました。契約金額は8億8千万円でした。
ドローンを使った観音像の動画はこちら
巨大な観音像をどうやって解体するのでしょうか。
淡路「世界平和大観音像」どのように撤去?
頭から解体、破片は像内部空洞へ
強風と粉じん対策両立
冒頭に掲載した、観音像から光線が発せられたような写真はちょうどこのころの撮影です。「観音像からビビビッ!?」という見出しで掲載され、ビームのようにみえるのは、沖合の関西国際空港に向けて高度を下げる航空機の光跡が、ちょうど観音像の額の高さに重なったところを撮影したためです。「奇跡の光は、最後の御利益だろうか」と筆者が記す通り、その後、解体工事が始まります。
観音像 巨体覆われ 何思う 淡路島
写真の作業する人と比べれば、像の巨大さに改めて驚きます。
周辺への危険を考えれば解体もやむなしですが、観音さまの表情もどこか寂しそうです。
解体中の観音像をドローンで撮影した動画はこちら
何人かの淡路勤務経験者に尋ねてみると、全員が巨大像を覚えていました。「一度は展望台まで上ってみたかった」「(観光施設が次々に開業している)今の淡路ならもっと人が集められるのでは」などの声もありました。
撤去は2023年2月ごろの完了予定です。跡地の約1万9千平方メートルについては、地元の淡路市が取得の意向を示しています。
<播州人3号>
1997年入社。JR三ノ宮駅前に神戸新聞の本社ビル「神戸新聞会館」がありました。27年前の阪神・淡路大震災で全壊し、跡地に複合商業ビル「ミント神戸」が立ってます。富士山の巨大壁画があり、当時の建物を知る取材先から、出張や旅行からの帰りに電車の窓から壁画を見ると「ああ、神戸に帰ってきた」と感じたという話をよく聞きました。建物や施設には、そこで暮らしたり、働いた人以外の思い出も詰まっているんですね。
#淡路島 #観音像 #世界一 #自由の女神 #ランドマーク #解体