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神戸・ハーバーランドのキリン伝説
神戸新聞社の本社がJR三ノ宮駅前から神戸・ハーバーランドに移ってから約30年になります。その入り口に、ある像が鎮座しています。休日以外は出勤時、毎日目にしているはずなのですが、イマイチ存在感が薄く、意識しないと気付きません。近くには大型商業施設「umie」「モザイク」、さらには「アンパンマンミュージアム」があるのに、ハーバーランドを訪れた買い物客や行楽客の多くは、待ち合わせ場所にもせず、通り過ぎてしまうのです。
こんにちはド・ローカルです。何のことを言っているのか分かりにくかったかもしれません。神戸新聞社の本社前に設置されている「キリンの像」のことなんです。座高が高すぎて見えないのでしょうか?よくよく調べてみるとこの像、あの阪神・淡路大震災を乗り越え、立ち続け、作者の崇高な思いから作られたものでした。
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神戸ハーバーランドの神戸新聞本社近くに立つキリンの像。足元の銘板には「カルメニ・キリン伝説」の文字とともに、キリンの下で待ち合わせると「恋が不思議とかなう」―という言い伝えが記されている。毎日、目にしながら、なんだか気になるキリン。作者を調べて連絡を取ると、キリンは阪神・淡路大震災を乗り越えて立ち続け、さらには全国に「仲間」がいることが分かった。
キリンの像は正式には「蒼天の塔」と呼び、高さ約8メートル。本物のキリンは陸上で暮らす動物の中で最も背が高く、オスは約5メートル、メスは約4メートルまで成長するといい、本物より少し背が高いようだ。
早速、目の前の神戸情報文化ビルの管理担当者に問い合わせた。ずっと前からここにいるキリンについて聞く人は、今ではほとんどいないはず。担当者は少し困惑しつつも、もともとは展覧会に出品された作品で、すでに作者から譲渡されていると教えてくれた。
作者は鍛金彫刻家の安藤泉さん=神奈川県。多摩美術大(東京都)客員教授を経て、現在は金沢美術工芸大(石川県)名誉客員教授を務めている。安藤さんに連絡を取ると、快く取材に応じてくれた。
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▼神戸港のクレーン
安藤さんは30年前、「第7回神戸具象彫刻大賞展」の呼びかけで、キリンを作り始めたという。
そもそもなぜキリンだったのか?
安藤さんは「以前に神戸港で見かけたまっすぐのびるクレーンをヒントにした」と教えてくれた。
さらに「周囲の建物を越え、青空に視線が誘導されるように」との願いを込めたという。
だが、制作は苦労の連続だったらしい。ステンレス棒で網目状に囲んだ枠内に、銅板や真ちゅうをはめて溶接する独自の技法を採用したが、異なる金属の溶接によってステンレス棒が破断した。半年ほど自宅に戻らず完成させた「蒼天の塔」は、大賞と神戸市民賞を受賞した。
作品は、ハーバーランドの特設会場に展示されたが、1995年、阪神・淡路大震災が神戸を襲った。
安藤さんが被災地に入ったのは、震災の約3カ月後。キリンの足元では、芝生に地割れの痕がくっきりと残り、近くの道路のアスファルトはめくれていた。
「震災被害の様子にショックを受けた」
キリンは大きな基盤で作っていたため倒れなかったが、ステンレス素材で作った尻尾が少し曲がっていた。何とか修復し、震災翌年、現在設置している神戸情報文化ビルの前に移されたという。
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▼「大自然と共存」
安藤さんは、1981年から本格的に野外彫刻を始めた。「大自然と人間社会の共存」をテーマに、動物を題材にした作品を30点以上発表してきた。その一つが、ハーバーランドのキリンであり、全国各地に「仲間」がいる。東京・八重洲のビル前にもキリン(高さ約6メートル)がいる。頭部の王冠にはライトが入り、吹き抜けとなった正面玄関の天井を照らす。秋田県や長崎県にもキリンの像があるという。また、桜の名所として知られる「日本国花苑」(秋田県)では、ゴリラをモチーフにした作品「井川ゴリ山」がある。ほかには、前脚を上げて振り返るシマウマや背中に子どもを乗せたカバ、羽を広げたフクロウなど、さまざまな動物たちが、その地で親しまれている。「立地条件や設置理由、土地の由来や地域文化などを聞きながらふさわしいモデルを選ぶ」と安藤さん。その上で「神戸はハイカラでおしゃれ。草原を駆けるインパラやガゼルの群れの姿も似合うかもしれない」と想像を膨らませた。
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▼恋の言い伝えは?
最後に気になったのが、安藤さんは恋の言い伝え「カルメニ・キリン伝説」についてどう感じているのか、ということ。
聞いてみると、「恥ずかしながら知りませんでした」という答えが返ってきた。伝説が生まれた理由ははっきりしない。新たな待ち合わせスポットを目指し、誰かが考え出したのだろう。ただ、安藤さんはこう話した。
「いずれにしても神戸の皆さんが温かく受け入れてくれ、まちの景観や行き交う人を少しでも楽しませることに役立っているのなら、野外彫刻作家として最高の喜びです」
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神戸市内には、なぜか銅像やモニュメントが多くあるのです。調べてみると、その数はなんと500以上に上ります。一体なぜ?こんなに設置されてきたのでしょう。それを調査した記事を紹介します。
銅像、モニュメントは500以上
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街角で目にするモニュメントについて、「中には理解できないものや、不気味なものもあるけど、誰がどのように決めて設置するの?」という疑問が、神戸新聞の双方向型報道「スクープラボ」に寄せられた。特に神戸の街には女性の裸体彫刻が多く、改めて考えると不思議だ。なぜ、公共空間に女性の裸体を置きたがるのか。取材を進めると、戦後日本の歩みに深く関わっていることが分かった。
神戸・三宮のフラワーロード。三宮駅北側から東遊園地東側にかけて、35の彫刻作品が点在する。うち女性裸体像は13点で4割近い。男性裸体像は1点なので、明らかに多い。
帽子をかぶり体をくねらせる女性、直立してこちらを見つめる女性、座って体を洗っているように見える女性…。いずれも全裸だ。
神戸市文化交流課によると、市内にある銅像やモニュメントは500点以上。多くは1960年代後半以降の一時期に集中して設置されたという。戦災から復興し、「彫刻の街」を目指した同市は大規模な彫刻展を何度か開いて入選作を買い取り、神戸ゆかりの彫刻家からも寄贈を受けた。
しかし、なぜ裸の女性なのか。担当者は「裸婦像には平和の象徴のような意味合いがあったと聞いています」と話した。どういうことなのか。専門家に取材することにした。
◇
インターネットで「裸婦像 平和」を検索し、たどり着いたのが亜細亜大国際関係学部の高山陽子教授(文化人類学)だ。専門の記念碑研究の傍ら、15年ほど世界各地の銅像を見て回っている。
「公共の場に、これほど若い女性の裸体像が多いのは日本だけ」と高山教授。数年前に「国内でも多いと聞いた」神戸も実地調査した。公共空間の女性彫像についての考察を2019年にまとめた。
高山教授によると、いわゆる「銅像」が輸入されたのは明治以降。軍国主義が進むと軍人像が増えたが、戦中の金属供出や、戦後、軍国主義の排除を目指した連合国軍総司令部(GHQ)の政策で大半が撤去された。代わって登場したのが、歴史性、政治性の薄い「乙女の像」だという。
日本で初めて公共空間に置かれた女性裸体像は東京・三宅坂の「平和の群像」(1951年)で、以前は陸軍出身の首相寺内正毅の像があった場所。高山教授は「ここで平和の意味付けがなされた」と指摘する。
70年前後には地方自治体が都市整備事業の一環で設置を進め、高山教授は「駅前などに脈絡なく女性裸体像が立つことが増えたのではないか」と説明する。
ちなみに欧州では少女の裸体像は美術館などの屋内や庭園など私的空間に限られるというが、日本では少女と分かる像も公共の場にある。こうしたことから、90年代には公共空間への設置を批判する運動も起きた。
高山教授は「裸体像は性的ないたずらで触られたり壊されたりすることが多く、そういう様子が見る人に嫌悪感を抱かせることもある。裸体だけに、清掃などの手入れも地域住民などに委ねづらい面もあり、厄介な存在になっている」としている。
神戸市では銅像へのいたずらはあまり把握していないという。同市文化交流課は「数年前にTシャツを着せられた程度。手入れも、彫刻を学んだ女性たちがボランティアで磨いている」としている。
<ド・ローカル>
1993年入社。神戸で暮らしていると500以上もの彫刻、モニュメントが街に溶け込み過ぎて、案外、気付かないものです。観光に訪れた友人らに尋ねられることが多く、上記記事を取材しました。最近では街のあちこちにLEDライトが設置され、昼間だけでなく、夜の観賞も乙なものです。