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タンタン、天国へ 闘病3年「ありがとう」の声やまず

驚いた方も多いことでしょう。「神戸のお嬢さま」の愛称で親しまれた神戸市立王子動物園のジャイアントパンダ「タンタン(旦旦)」が3月31日深夜、旅立ちました。

後ろを向き、愛らしい表情を見せるタンタン=2019年7月

 神戸市立王子動物園(同市灘区)は4月1日、飼育していたジャイアントパンダ「タンタン(旦旦)」(雌、28歳)が死んだと発表した。人間では100歳近くに相当し、国内最高齢だった。2020年に中国からの借り受け契約がいったん満了したが、新型コロナウイルス禍や、21年に見つかった心疾患の影響で返還が延期に。阪神・淡路大震災の5年後から24年近くを過ごした神戸で最期を迎えた。

 3月31日深夜、心肺停止となり心臓マッサージなどの蘇生処置をしたが、同日午後11時56分に死んだことが確認された。心疾患に起因する衰弱死とみられ、詳しい死因は今後調査する。

 タンタンは00年7月、日中共同繁殖飼育研究を目的に雄の初代「コウコウ(興興)」と来園。震災で被災した市民を元気づける存在となり、多くのファンに愛された。02年に来園した2代目コウコウとの人工授精に2度成功したが最初は死産で、08年に産んだ赤ちゃんも3日後に死んだ。10年にコウコウが死に、園唯一のパンダとなっていた。

 20年7月で契約が満了し中国・四川省に返還予定だったが、コロナ禍で輸送予定が立たず、21年4月には心疾患が判明。22年3月からは体調を考慮し一般公開が中止された。園によると、3月中旬から病状が悪化し、口からの栄養補給ができない状態となっていた。

 園は2日から当面、パンダ館に献花台を設置。お別れの会も検討する。中国には新たなパンダの借り受けを求める方針。国内のパンダは上野動物園(東京)とアドベンチャーワールド(和歌山県白浜町)の計8頭となった。

2024年4月1日 「神戸新聞NEXT」配信記事
28歳の誕生日に、のんびりと過ごす様子を見せたタンタン=2023年9月

本当に長い間、愛らしい姿で多くの市民らを元気づけてくれました。一方で下の年表にあるように、パートナーや子どもとの死別、闘病などらん万丈ともいえる生涯でした。数々の苦難を乗り越えてきた姿を含めて、多くの人がタンタンに引き付けられたのだと思います。

タンタンが阪神・淡路大震災の5年後に神戸へやってきた背景には、被災した人たちの「心の復興」という課題がありました。長きにわたり、その重責を十二分に果たしてくれました。

<社説>タンタン天国へ/神戸の街とともに生きた

 神戸市立王子動物園で飼育されていた雌のジャイアントパンダ「タンタン(旦旦)」が、28歳で死んだ。国内最高齢のパンダで、人間なら100歳近くに相当する。
 阪神・淡路大震災から5年後の2000年に中国から借り受け、本来なら20年に契約満了で返さねばならなかった。ところが新型コロナウイルス禍で帰国できなくなり、翌年に心疾患が見つかったことも重なって返却は延期されていた。
 体調管理に専念するため22年には一般観覧が中止になったが、園のSNS(交流サイト)には日々の様子が投稿され、多くのファンをひきつけた。パンダ舎の献花台には昨日朝の開園から、別れを惜しむ人たちの列ができた。
 タンタンの「旦」は中国語で夜明けを意味する。同時に神戸に来た雄の「コウコウ(興興)」ともども復興への願いが込められていた。世代を問わず愛され、王子動物園で生を全うしたタンタンは、文字通り神戸の街とともに生きたパンダだった。
 タンタンの来神は、日中共同の飼育繁殖研究が目的だった。02年に2代目コウコウを迎え入れ、2度の妊娠につながったが、死産などで次代を育むに至らなかった。コウコウも10年に亡くなったため、王子動物園のパンダはタンタン1頭の状態が長く続いた。
 繁殖の目的は達せられなかったが、園がタンタンの行動を24時間録画し、飼育スタッフが分析した長年のデータの蓄積は貴重だ。一番繁殖しやすいタイミングを探り出し、世界の研究者の注目を集めた。タンタンが老年期に入ってからは、パンダの高齢化の研究に活用されている。
 タンタンに関する研究論文は40本近くにのぼる。心疾患が判明して以来、園はタンタンが「快適に過ごしてもらう」ことに一丸で取り組んだという。優れたスタッフの存在がタンタンの長寿と、パンダ研究の進展をもたらしたと言えるだろう。
 これで国内のパンダ飼育は東京・上野動物園と和歌山県の「アドベンチャーワールド」の2カ所だけになる。神戸市は11年、コウコウの後継の雄1頭を借りることで中国側と合意したが、実現には至っていない。
 タンタンの生まれ故郷でもある四川省の保護センターを擁するなど、中国はパンダの飼育や繁殖を国策に位置づける。一方で、世界的な人気に目をつけ、パンダ貸与を外交関係のカードに使ってきた。
 沖縄県・尖閣諸島を12年に日本政府が国有化して以来、日中関係は悪化し、パンダ貸与も途絶えたままだ。今後、両国関係が改善へと歩みだし、いつか再び神戸にパンダがやってくる日を待ちたい。

2024年4月3日 「神戸新聞NEXT」配信記事

社説にもあるように、タンタンに心臓疾患が判明して以降の、「チームタンタン」と呼ばれた動物園スタッフらの献身は非常に大きいものでした。

タンタンファースト、治療に全力の3年 加齢の影響徐々に色濃く、途絶えたX投稿

タンタンの思い出や最期の様子について話す王子動物園の(左から)谷口祥介獣医師、加古裕二郎園長、飼育担当の梅元良次さんと吉田憲一さん=4月1日午後、神戸市立王子動物園

 「神戸のお嬢さま」として長年親しまれた王子動物園のジャイアントパンダ、タンタン(雌)が、国内最高齢の28歳で息を引き取った。2021年春に心臓疾患が判明して以降、約3年にわたって治療に全力を注いできた同園。「チームタンタン」として一丸となった飼育員や獣医師らの取り組みが、タンタンの長寿に貢献したのかもしれない。

 「快適に過ごしてもらって、少しでも病気の進行を和らげられるように。『タンタンファースト』で取り組んでいます」。昨年末に開かれた、中国との飼育契約延長の記者会見で、加古裕二郎園長が力を込めた。

 28歳は人間で言えば80代と高齢。新型コロナウイルス禍で当初決まっていた中国への帰国が延期される中、21年4月に心臓疾患が分かり、強心薬などの投薬治療を開始した。

 22年3月からは体調管理に専念するため一般観覧を休止。日中は外に出て日光浴をしてもらい、寝室には酸素供給装置を置いて快適な環境を整えた。23年夏以降、継続的に中国ジャイアントパンダ保護研究センターの獣医師が来日し、アドバイスも受けた。

 まさに「タンタンファースト」の体制を組んでの治療が続けられたが、徐々に加齢の影響は色濃くなっていく。23年秋には目に見えて食欲がなくなり、活動量は1日100分程度に減少した。23年末の会見で同園の獣医師は「病状が悪くなったというより、加齢で身体機能が低下しつつある。いまは日中のほとんどを寝て過ごしている状態」と明かしていた。

 公式X(旧ツイッター)で長く続いてきた「#きょうのタンタン」の投稿も、今年3月20日で途絶えた。休止の報告にはファンから「毎日会えなくなるのはさみしいですが…タンタンさんの体調が良くなるよう祈っています!!」「どうかお身体をご自愛されてタンちゃんの体調管理をお願いいたします」などと多くのコメントが寄せられた。

2024年4月1日 「神戸新聞NEXT」配信記事

「訃報」翌日の2日朝からは、タンタンが過ごしたパンダ舎に献花台が設けられ、開園と同時にファンが列を作りました。

長年タンタン見守った園関係者「元気な姿を探してしまう」 別れを惜しむファンの列途切れず

タンタンが過ごしたパンダ舎を訪れ、別れを告げる人たち。献花台には写真やフルーツ、手紙なども手向けられた=4月2日午後

 神戸市立王子動物園(同市灘区)のジャイアントパンダ「タンタン(旦旦)」(雌、28歳)が3月31日に死んだことを受けて2日、同園のパンダ舎に献花台が設けられた。別れを惜しむファンの列は閉園まで途切れることはなかった。

 「タンタンにたくさん勇気づけられた」。幼いころから園に通う会社員の男性(30)=同市灘区=は、感謝の思いを伝えるために開園と同時に献花に訪れた。「お行儀良く竹を食べている姿が忘れられない。神戸市民にとって復興のシンボルでもあった。今までほんとにありがとう」としのんだ。

 長年成長を見守ってきた園関係者も、まだ気持ちに整理が付かない。飼育員の梅元良次さん(41)は「タンタンが園にいないのが不思議な感覚。今でもふと元気な姿を探してしまう」。大量の花束や、感謝の思いをつづった幼い子どもの手紙が献花台いっぱいに並べられ、「年齢や性別を超えてみんなに愛されてきたんだな」と愛情をにじませた。

2024年4月2日 「神戸新聞NEXT」配信記事

これ以外にも、「神戸新聞NEXT」では会員向け(月5本まで記事が読める無料会員コースもあります)に多数の記事を掲載しています。

また、ご覧いただいているnoteの「うっとこ兵庫」でも2021年9月にタンタンを取り上げています。

〈ぶらっくま〉
1999年入社、神戸出身。タンタンの「訃報」が発表された4月1日は朝刊デスクを担当していました。ネットの「神戸新聞NEXT」だけでなく、紙の新聞でも1面、社会面、神戸版で記事を大きく展開しました。大量の原稿や写真をさばきながら、なんとも言えず寂しさが込み上げてきました。ありがとう。ゆっくり休んでね、タンタン。