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放送中の連ドラでも存在感 神戸が誇る「廃虚の女王」
こんにちは、ぶらっくまです。突然ですが、皆さんは地上波テレビの連ドラ(連続ドラマ)を見ていますか。今秋のクールで、神戸が舞台のドラマが放送されているのをご存じでしょうか。ABCテレビ系/テレビ朝日系の「たとえあなたを忘れても」(10月22日スタート、日曜午後10時)です。
見慣れた光景が画面に映ると、何だかうれしくなりますよね。ドラマはまだ第3話が放送されたところなのですが、印象的なシーンで何度か使われている、一風変わった場所があります。神戸の街と海を見下ろす摩耶山の中腹に立つ、廃虚(「廃墟」とも書きます)と化したホテル。神戸市民には知られた旧「摩耶観光ホテル」(神戸市灘区畑原)です。「廃虚の女王」の異名でも呼ばれています。
「廃虚が静かなブーム」と言われて久しいですが、このホテル、単に朽ちた建物ではないんです。廃虚でありながら、約2年前、国の登録有形文化財になりました(※許可なく無断で立ち入ることはできませんのでご注意を)。
(2021年3月掲載)「廃虚の女王」国文化財に/閉鎖後に人気 異例の登録
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国の文化審議会は3月19日、昭和初期のモダニズム建築ながら放置され、〝廃虚の女王〟の異名を取る旧「摩耶観光ホテル」(神戸市灘区)など兵庫県内の7カ所20件を、国登録有形文化財(建造物)として文部科学大臣に答申した。
県教育委員会によると、保存状態が良くない廃虚が登録されるのは、全国的に異例という。県教委の担当者は「建物のデザイン性や歴史的価値、保存に向けた市民の取り組みなど、総合的に評価されたのではないか」と分析する。
同ホテルは1930(昭和5)年、地元企業の福利厚生施設として摩耶山中に建設された。地下2階、地上2階の鉄筋コンクリート造り。曲面を強調した外壁や半円形の窓といった意匠が、かつての山上リゾート施設を象徴している。61年にホテルに改修されたが、台風被害を受けるなどし、学生向けの合宿所を経て93年に閉鎖された。
閉鎖後は、朽ちた独特のたたずまいが廃虚マニアらの間で人気に。映画の撮影などにも使われた。近年は、市民有志らが不法侵入者への防犯や屋上の雨漏り対策を施すなどしてきた。
同ホテルの保全と再生を支援するNPO法人「ひょうごヘリテージ機構H2O神戸」理事の男性(55)は「これまでは迷惑施設という否定的な評価も多かったが、文化財に認められたことで建物の価値が見直される」と喜ぶ。今後、安全性を確保した上で、観光資源としての活用策を模索していくという。
〈登録有形文化財〉 観光資源などとして活用しながら文化財の保護を図る制度で、多くの名建築が失われた阪神・淡路大震災の教訓から1996年に始まった。現状変更が厳しく制約される国宝などの指定文化財と比べると、外観などを変更する際の規制が緩やか。建造物は原則築50年以上が対象。
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上の記事末尾の説明にあるように、神戸の廃虚の価値を認めた「登録有形文化財」の制度が、阪神・淡路大震災を機に始まったということに、不思議な巡り合わせを感じます。
またこれも上の記事で触れられていますが、文化財登録されるまでの道のりには、市民有志や建築士資格を持つ専門家らの奮闘がありました。少しさかのぼってご紹介します。
(2016年8月掲載)山上の廃虚 観光資源に/見学ツアー企画
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神戸市灘区の摩耶山中で昭和初期に完成し、平成になって20年以上放置されてきた旧「摩耶観光ホテル」の外観が、2016年12月ごろからハイキングイベントで近くから見学できる見通しとなった。現在は立ち入り禁止の柵が設けられ、生い茂る樹木などで遠くからしか見えないが、廃虚マニアらの間で人気の存在に。地元住民らが歴史遺産として再評価し、摩耶山の活性化につなげようとしている。
旧「摩耶観光ホテル」は、摩耶ケーブル(現まやビューライン)の運営会社が摩耶山温泉ホテル(摩耶ホテルとも)として1929(昭和4)年に開業。斜面を利用した鉄筋4階建てで阪神間を一望でき、曲面のある外壁や丸窓など意匠を凝らした造りから「軍艦ホテル」とも呼ばれてきた。
戦後しばらくの休止を経て、5階建てに改築し61年に再開。経営難から学生向けの合宿所となった後、93年に閉鎖された。草深い山中で朽ちる建物のたたずまいが独特の雰囲気を生み、映画の撮影や朗読会など、表現の舞台として度々利用されている。
地元も同ホテル跡の活用を模索してきた。灘区内の各種団体が集まり2011年に発足した「摩耶山再生の会」が、産業遺産の保存や活用に取り組む同市兵庫区のNPO法人「J―ヘリテージ」などと連携。炭鉱住宅群などが残る長崎市の「軍艦島」(正式名・端島)視察後、ホテル建物の所有者である不動産賃貸会社へ公開の協力を求め、15年末に賛同を得た。
同会事務局長の男性(50)は「かつての神戸市民は今よりもっと六甲・摩耶山に親しんでいた。ホテルはそれを物語る代弁者。建物と歴史に触れることで、神戸にとって山がどういう存在なのかを感じてもらえたら」と話す。
▼長崎・軍艦島が火付け役
廃虚が公的に公開されている国内唯一の事例とみられるのが、長崎市の「軍艦島」だ。元島民らが再評価を後押しし、公開開始の2009年度に5万5千人だった観光客は、15年に「明治日本の産業革命遺産」の一環として世界文化遺産に登録されたことで、28万7千人へと急増した。
江戸時代に石炭が見つかり、明治以降に大規模開発。周囲1・2キロの小島に50棟以上の鉄筋住宅が建てられ、最盛期の1960年ごろには5千人以上が住んだものの、エネルギー政策の転換で74年に閉山した。近代の産業遺産を再評価する動きが活発化する中で、元島民らが「軍艦島を世界遺産にする会」を立ち上げて活動。登録が実現した。
閉山後は立ち入りが禁止されていた島が人気の観光地となったことについて、長崎市観光政策課は「廃虚としてではなく、日本の近代化に果たした島の歴史的役割に着目した」と指摘。一方で「全ての建物を保存するには膨大な費用が必要。(世界遺産の構成要素としての)外観を形成しているものに限って保存するなど、将来的には選択が必要になるかもしれない」とする。
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(2018年5月掲載)「山中の廃虚、登録文化財に」有志らが調査活動/愛好家 朽ちる姿に魅力
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昭和初期のモダニズム建築ながら、放置されて廃虚化した神戸市灘区の旧「摩耶観光ホテル」で、国の登録文化財を目指す調査活動が進められている。保存プロジェクトに賛同、出資した廃虚の愛好家らが測量や撮影に協力し、得られたデータを基に登録申請用の資料を作る。主宰者は「廃虚が登録文化財になった例は聞かない。実現すれば、文化的価値が高いのに老朽化で存続が危ぶまれる各地の近代化遺産を継承する手だてになる」と期待する。
同ホテルは1929(昭和4)年、同区の摩耶山中に完成。曲面のある外壁や丸窓など意匠を凝らした造りから「山の軍艦ホテル」などと呼ばれた。戦争や経営難で休業と再開を繰り返し、学生向けの合宿所を経て93年に閉鎖。放置され老朽化が進む中、独特の雰囲気が評価され人気映画の撮影などに使われる一方、不法侵入に悩まされてきた。
2015年、「軍艦島」として知られる長崎市・端島の炭鉱関連建築群が「明治日本の産業革命遺産」の一環として世界文化遺産に選ばれた。廃虚に対して高い価値が認められたことで、旧摩耶観光ホテルの地元でも地域活性化に役立てようとする機運が高まり、17年春から市民団体による催しの中で、同ホテルの外観が見学できるようになった。
さらに同年夏、同ホテルを登録文化財にすることで保存への道筋を確立しようと、建築士らでつくるNPO法人「ひょうごヘリテージ機構H2O神戸」、産業遺産の保存・活用を手掛ける同法人「J―ヘリテージ」、所有者である日本サービス社が共同で、インターネット上で資金を募るクラウドファンディングを開始。登録の申請に必要な資料作成、防犯や雨漏り対策などに充てる500万円を、賛同する人たちからわずか2週間で集めた。
一定金額以上の出資者には、通常は入れない建物内部の調査に同行できる〝特典〟が用意された。調査は17年11月から19年3月までで計約230人が参加。出資者らは建築士の指導を受けながら建物各所の寸法を測ったり、床の落下物をスケッチしたりする。調査の合間には自由な撮影時間があり、写真は私的利用もできる。廃虚巡りが趣味という埼玉県の公務員の女性(21)は「建物細部の造り込みがとても凝っている。軍艦島は世界遺産になり、観光用の通路からしか見られなくなった。ここは保存されてほしいけれど、軍艦島のように整備されるのは望まない」と話した。
H2O神戸は、廃虚を文化財として捉えることについて「このプロジェクトに携わる人たちは『朽ちていく姿をめでる』という共通認識で活動している」と話す。今回、一般の出資者が建物の調査活動に参加することについて「市民の協力があってこそ文化財が残せるという例になる」と意義を強調した。
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こうした市民や廃虚を愛する人たちの地道な努力があって、関係者も「例は聞かない」としていた廃虚の文化財登録が実現しました。
許可なく敷地に入ることはできませんが(防犯システムや防犯カメラも作動しています)、時折、ガイドツアーやイベントなどが催されています。X(旧ツイッター)には「摩耶観光ホテル 公式アカウント」があります。
最後に、過去のイベントのもようをご覧ください。
(2018年8月掲載)「廃虚の女王」ライトアップで復活の輝き
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廃虚となって久しい神戸市灘区の旧「摩耶観光ホテル」が8月20日から、ひっそりとライトアップされている。窓から明かりが漏れ、壁の一部が照らされる程度だが、まるで営業していたころにタイムスリップしたかのような不思議な雰囲気を漂わせる。25日まで、摩耶山頂の掬星台やロープウエーの車窓から眺められる。
同ホテルは1929(昭和4)年に完成。四半世紀近く放置されていたが、近年の「廃虚ブーム」で注目され、「廃虚の女王」の異名を取る。
ライトアップは地元市民グループ「摩耶山再生の会」が企画。昭和30年代に同ホテルで開かれたダンスパーティーが復活したとの設定で、ハワイアンミュージックが流れる中、色鮮やかな照明が人けのないホールを怪しく照らす。
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当時の動画もあります。
《ぶらっくま》
1999年入社、神戸出身。ご紹介した記事にもいくつか出てきましたが、私が若い頃は「軍艦ホテル」などと呼んでいました。心霊スポットとも言われていた覚えがあります。そういうものが苦手なので、当時は近づこうという気さえ起きませんでしたが(笑)、今となっては、高度経済成長期などを物語る産業遺産―といった風に、見方が全く変わりました。年を重ねたせいか、朽ちゆく廃虚の美しさも少し分かるようになった気がします。