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兵庫の大仏さんたち

「大仏」と聞いて、どんな仏様を思い浮かべるでしょうか。奈良や鎌倉だけでなく、「大きな仏像」という意味では全国に大仏があります。地域に親しまれる「兵庫の大仏さん」を播州人3号が紹介します。

文字通り「兵庫」の大仏さんです。
神戸市兵庫区の能福寺境内に鎮座しています。

高さ約18メートル。奈良、鎌倉とともに「日本三大仏」と称されます。
実は2代目で、初代は戦時中の金属回収令で供出され、約30年前に再建を果たしました。
初代の写真がこちらです。

兵庫の大仏っあん 神戸市兵庫区
復興の街見守る2代目

 おや、もうこんな時間。私の住む能福寺の周りにも高い建物が増えて、随分とにぎやかになりました。結構、結構。おかげさまで、あの阪神・淡路大震災の後に住まわれた方々にも「兵庫の大仏っあん」と親しまれています。
 かくいう私もまだ20歳。1891年建立の先代は、戦時中の金属回収令を受けて“出征”しました。それからほぼ半世紀、地元の皆さんのお志で再建された2代目というわけです。
 来年には兵庫ゆかりの平清盛公が、NHKの大河ドラマになるとか。この私も町おこしに一役買いたいものだと張り切っているんですよ。

 【メモ】現在の大仏は1991年建立。高さ18メートル、総重量60トン、耳の長さは2.1メートル。JR兵庫駅から東南へ徒歩約10分の能福寺境内にある。

(2011年6月7日付朝刊より)

能福寺とは別の大仏が「日本三大仏」として紹介される記述がインターネット上などにはありますが、「三大仏」にふさわしい立派な姿です。

姫路市に隣接する高砂市にも大仏がありました。
戦時中の対応が「兵庫の大仏」とは対照的です。

時光寺 高砂市時光寺町
知る人ぞ知る高砂大仏

 山門をくぐり、本堂を左に回り込むと、目の前に巨大な像が立ちはだかる。緑青に覆われながら、りりしさを失わない顔立ち。地元でも知る人ぞ知る「高砂の大仏」だ。
 「うちの大仏さんは、ほんまええ顔してはります」。住職の妻は胸を張った。
 光背を含めた像高は3メートル超。台座を含めれば5メートル近くになる。温容とは裏腹に、戦争を抜きにこの大仏を語ることはできない。
 完成は1907(明治40)年。日露戦争の戦死者らを弔うため、当時の住職や地元の有力者が発願した。第2次世界大戦では、兵器などの原料とするため供出が決まった。しかし、大仏を壊す日になると不吉なことが相次ぎ、延期されるうちに終戦を迎えたという。戦争を機に生まれ、戦争を生き延びた。
 時光寺は、浄土宗の時光上人が1249(建長元)年に開山。1608(慶長13)年に池田輝政の命で現在の本堂などが再建された。
 別名は播州善光寺。信濃の善光寺の熱心な信徒が、如来仏のお告げで時光寺を訪れ、本尊が光を放つ奇瑞きずいにあったという伝承に基づく。このように、同寺には民衆の信仰心に彩られた逸話が多い。
 大仏造立では、1万人以上の民衆が、宗派を超えて古鏡や金、銀、銅など計3トン以上を喜捨した。当時は明治政府の進める廃仏毀釈はいぶつきしゃくで、寺が衰退していた時期。大仏造りは、信徒が見せた信仰の意地といえるだろうか。
 今年4月、開眼かいげん百年の法要が行われ、大仏の発願人の子孫らが顔をそろえた。大仏へのお礼を述べた筆頭総代は「戦争を乗り越え、私たちをずっと見守ってくれた、という思いを強くした」と話す。

(2008年6月23日付朝刊より)

但馬には巨大な大仏があります。
写真左下の小さな人と比べてみてください。

香美町村岡区・長楽寺
とにかく圧倒 但馬大仏

 でかい。写真の左下隅にいる人との対比で、この大きさが伝わるだろうか。近くで見ると、とにかく圧倒的に、でかい。
 向かって右から薬師如来、釈迦しゃか如来、そして阿弥陀如来。中央の釈迦如来像は、光背の最上部までの高さが実に25.3メートルあり、木造座像としては世界最大という。中国の仏師延べ2万人が3年かけて制作。「但馬大仏」の名でおなじみだ。
 由来も面白い。1994年、タクシー会社などを経営していた実業家多田清氏が、妻の実家の菩提ぼだい寺である長楽寺に寄進した。多田氏は出身地の清大寺(福井県勝山市)に「越前大仏」も建立しており、長楽寺としては「降って湧いたような」発願だったという。
 寺の歴史は古く、729(天平元)年までさかのぼる。射添地区を見渡す山の中にあり、「但馬にはすごい寺がある」と、京都の僧に驚かれたという逸話が残る。「ここ半年ほど外国からの観光客も増えた」と住職。まさに世界水準。大きいことはいいことだ。

(2018年5月4日付朝刊より)

それほど有名ではありませんが、神戸市北区の墓園にある大仏も魅力的です。

優しい視線で泰然と
北区の大仏

 車を運転中、優しい視線を感じた。周囲を見渡すと大仏と目が合った。
 北区山田町の市立鵯越墓園の高台に建つ。墓園管理事務所に聞くと、約8メートルで鉄筋コンクリート製。別の墓地が移された際、霊を慰めるために市が建設し、1932年に開眼式があった。当時の新聞によると、人が集まる新名所として期待され、式典にも多くの関係者が参列した。
 しかし、今では大仏目当てに訪れる人は少ない。確かに、鉄人28号モニュメントのような話題性はないかもしれない。しかし、なんともいえない慈愛の表情、泰然としたお姿。盆には、大勢の墓参者が心を落ち着かせるだろう。

(2011年8月10日付朝刊より)

<播州人3号>
1997年入社。能福寺の大仏の記事に「耳の長さは2・1メートル」とありました。「『耳の長さ』って?」と思いましたが、奈良、鎌倉の大仏ともホームページで「耳長」を明記しています。もしかしたら大仏の大きさを示す重要な単位なのかもしれません。ちなみに耳の長さは①奈良(2・54メートル)②兵庫③鎌倉(1・90メートル)―の順でした。

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