(創作)日没前

 喧嘩したあとはいつもひどい気分になった。相手への怒りや、暴力をふるうときの高揚感は水で薄められたみたいに味気がしなくなって、あとは独りぼっちになったあいだ、自分自身への遣る瀬なさと馬鹿らしさに呆れることしかできない。体中がカッターでズタズタに切り裂かれたみたいに痛かった。
 腫れ上がった顔はマスクで隠した。動かすたび関節が痛む両手も、ポケットの中に入れた。もう子供ではないのに、日が沈む前から家に帰ろうとしている。小学生たちが駆けながら目の前を通り過ぎていったせいで、今日はもう泣けないと思った。
 パンを移動販売している車を見つけると、腹が減っていたことに気がついた。中を覗くと、もうほとんどが売り切れている。ホットドッグがまだひとつだけ残っていた。指そうとしてポケットから手を出すと、氷の槌で殴られたような痛みが走った。金額を支払うとき、向こうはこちらなど見てはいない。
 包装を解き、口に運ぶためマスクを下にずらす。マスクの裏側には鼻血がかかっていた。気になって表側を見ると、ピンク色に透けている。ホットドッグをかじると、舌先が痺れた。どうやら舌も噛んでいたらしい。
 まともに食べられないと思って、一度に口の中へ放り込んだ。舌も、顎も、鼻も、下瞼も、額も、顔全体がひどく痛かった。それでもなんとか呑み込むと、口の周りに付いたものを指先で拭った。粘性があってやや明るい赤がケチャップ。水っぽくてどす黒いのが鼻血。両手の平は気付けば真っ赤になっていた。仕方がないからマスクで手を拭いてみたが、どちらとも余計に赤くなるだけだった。
 夕陽に照らされれば血はあまり目立たないと思っていたが、どうやらだんだんと空は曇りはじめてきたようだ。はじめ点滅をしていた街灯が、ようやく安定して明るくなった。それが幾数本も道の端に並んでいる。
 家のドアの前にようやく着いた。ドアノブは冷たい。頭の中で煙が充満しているようで、思考はよくはたらかなかったが、今になって鍵を失くしたことにはじめて気がついた。
 もと来た道を戻らなければならなかった。もう日は暮れて夜が昼間の景色を隠してしまっている。重々しく体を半回転させて、玄関を出る。鍵はあそこに置いてきたのだろうか。そう思いながらまた歩きはじめる。けれども、わずかに痛みは軽くなっていた。

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