超私的デザイン論⑤-リートフェルトへの素朴な疑問・DIYのパイオニア?-

オランダで興った、ヨーロッパを席巻する近代芸術ムーブメントであった「デ・ステイル」と時期をほぼ同じくするも、リートフェルトはそれとは異なるチャンネルで家具の実験をスタートさせたという仮説。それが正しければ、一体彼は何を目的としてそうした実験をしていたのかを明らかにしようとする試みをスタートさせるまでのお話が、前回の超私的デザイン論でした。
今回はその続きです。

感覚に寄り添ってみる
実は私は、まだデザインを学び始める前の10代の終わりの頃、都内のデパートでリートフェルトのレッド・ブルーチェアに座った経験がありました。おそらく模造品だとは思うのですが、今ではもうそれがどういった来歴のものであったかは分かりません。私はまだ若輩でリートフェルトの名前すら知らなかった当時でしたが、いかにも固そうで体が痛くなりそうな形の椅子という見た目に反し、じっさいに座ってみるとこれが意外と心地よくて、その見た目のとのギャップに驚いたことをよく覚えています。

木の直材で組まれた架構に平板をのせただけなのに、ひとたび身体をあずけると立ち上がるのが億劫になる座り心地。リートフェルトとデ・ステイルとの関係に対する釈然としない気持ちは文献を調べても分からないのだから仕方がない。そちらはひとまず保留にして、もうひとつの素朴な疑問である座り心地の良さについて、その理由を調べてみようと作戦を練り直すことにしました。

そこで今まで読んできた文献を再度、座り心地に関係しそうな内容に着目した読み方で読み直してみると、簡素な図版入りの、唯一と言ってもよい力学的な観点からの指摘を見つけました。その指摘は、英文で数行しか書いていません。さらに深掘りした情報を入手するために、次に私はその指摘の根拠に当たる文献や分析をくまなく探しますが、これがどうやら存在していないようでした。専門家による集大成としての専門書として出版されているだけに、いい加減なことを言っている訳ではどうやらなさそうですし、確かに指摘していることは誰が見ても納得できそうな実感のこもったものでした。ただその力学的なメカニズムを解析や実験によって実証的に確認まではしていない。そこで私はさっそく、その指摘を確認してみようと構造解析を行なってみることにしました。

ここでもいつもと同じ、ないなら自分でつくる。もちろんすでにあるものであれば、オリジナルの研究にはなるはずがありません。

「当たり前」の落とし穴
こうして私は、構造解析のモデルの作成を行うために、ひたすら実存するオリジナルのレッド・ブルーチェアの実測調査を実施します。国内の美術館など、公的な施設で保管されているもので、かつ許可がおりたものについては全て。さらに海外派遣研究員としてオランダのデルフト工科大学にお世話になり、その後ろ盾でもって本国オランダでも確認できるものは可能な限り調査を行いました。

詳しい研究内容は割愛しますが、国内の美術館にしても、デルフト工科大学にしても、私が行った構造解析や体圧分布測定結果の資料、実測調査で確認できた歪み、構成上の厳密な特徴分析などの様々な資料を持っていくと、研究者をはじめとする関係者は皆間違いなく大変おもしろがって調査に協力をしてくれました。

本国オランダはもちろん全世界的にみても、レッド・ブルーチェアの問題はすでに解決済みで、オランダ国民にとっては一般常識のレベルでレッドブルーチェアは知られています。日本で例えれば、大正時代に建てられた有名な京町屋をオランダの学生が論文のテーマ、それも博士論文にしようとしているような奇妙な感じでしょう。
ところが、一般化された事実としてレッド・ブルーチェアの存在はいつしか「当たり前」になり、すでに決着している対象であるのにも関わらず、文化圏が異なるからこそ疑問に感じた結果として設けた切り口には驚きを禁じ得ななかった。だから大変協力的だったのではないかと今になって思います。

調べ尽くされて決着しているからこそ、そこには反証が生まれます。反対に調べ尽くされていなければ、これまでの調査を礎としたさらなる事実を調べて構築していくことになります。構築されていった先に、そのテーマがもはや調べ尽くされたと考えられ、当たり前の事実になったときこそ、そこにはチャンスがあるのではないでしょうか。
デザイン思考があればこそ、当たり前の落とし穴に気がつけるのだと思います。

リートフェルトとシンデレラ
5年間にわたり、
1. レッドブルーチェアの既知の歴史的な位置付けを文献を丹念に精査・確認し、
2. 実測によって個々に異なる作例の詳細を調べて構成上の特徴を定量的に分析し、
3. それぞれのレッドブルーチェアの作例と、それ以外のリートフェルトの代表的な椅子も含め構造的なメカニズムを実証的に検証し、
4. その具体的な研究結果を、再度現在の歴史的な位置付けと解釈に照らし合わせ、
5.新たなリートフェルトの位置付けを結論として導き考察を加え、
ようやく当初から抱いていた素朴な疑問は、私なりに決着がつきました。

そして、長く苦しい博士後期課程は修了します。

結局レッドブルーチェアを通して私が分かったことは、リートフェルトは独立してしばらくは、彼をご贔屓にしているお客さんに対して真摯な職人だったということでした。

体型に合わせてサイズを微妙に変えたり、自分の技量と自前の道具と手に入りやすい材料で高価になりすぎないようにし、余計な手間も発生しないように組み方にも決まったルールを設け、お客さんの好みで色をつけたりつけなかったり、角材と板材だけどなるべく座り心地が良いように、と考えた。
お客さんが喜ぶために工夫して、今あるものと今できることで、あとはアイデアでカバーする。そういう人柄が浮き上がってきたということでした。
なんだ、大風呂敷広げておいて、結局それだけか…そうなんです、笑。

でも、もひとつおまけに付け加えるなら、今述べたようなことは、何だか現代にも通じるものがものがあるのではないでしょうか。
自前の道具と技量で簡単に、そしてホームセンターで売っている材木を買ってきて、色は好みでつければいっか。なるべく使い勝手が良いといいな…etc。よし、できた!妻と子どもたち、喜ぶかな?

そう、ちょっと器用なお父さんのDIYですね!笑。「DIYの先駆」といったらリートフェルト自身と彼を評価する多くの方々に叱られてしまうかも知れませんが、特別な技術や材料がなくても作れるし、正確な図面がなくてもおおよそのレシピ(構成上のルール)はある。だから、より多くの人が享受できるデザインだというのもあながち間違ってはいないと思います。

それがある日、ヨーロッパ世界を席巻する近代芸術運動の一大ムーブメントの大舞台に突如として担ぎ上げられ、顔の見えるお客さんのために小さな工房でコツコツと拵えた木製の椅子は赤と青と黄色で正装してデ・ステイル思想の金字塔となる。まるでどこかで聞いたような…そして誰もが知っているあのお伽噺。

そう、シンデレラです。

私の知る限りシンデレラは、心の優しい人だったかと記憶しています。真面目で正直者で、文句も言わずに身の丈にあった暮らしを受け入れ、慎ましいけれどもそれなりに小さな幸せを感じていたのではないでしょうか。
リートフェルトもきっとそうした側面があったのでしょう。

血眼になって文献をあさって寝食も忘れる乱れた生活。傍若無人で他者の作品を強い言葉で駄目出し、プライドが極めて高いけれども貧困だから周囲を羨み、見下すことで精神の平衡を保っていたような当時の私。ちょっと言い過ぎかも知れませんが、今思えばそんな私に最後に待っていた博士論文の結論は、デザインをする者としての姿勢を改めさせられる、時代と国を超えた私への最後のデザイン教育だったのかもしれません。

さて、博士号を取得してからちょうど10年。結局研究者にはなりません(なれません)でしたが、リートフェルトのように慎ましく、今出来ることをコツコツと積み重ね、人生をスタディし続けています。
何事も積み重ねと継続が大切ですね。そして今日もしっかり食べて、しっかり寝ましょう。それが何より一番大切なことでしょう。

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