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SDGs大失敗

最近、急に耳にする機会が増えた「SDGs」。私が最初に聞いたのは、おそらく五年前。学校での講演会だったと思う。
当時は、SDGs自体それほど知名度もなく、私も「新しい横文字が出てきたなあ」ぐらいにしか思っていなかった。

それから数年後、改めてSDGsについて調べる機会があった。
持続可能な開発目標…17のゴール…「地球上の誰一人取り残さない」…。あまり現実味はないかもしれないが、目標としてはとても素晴らしいものに思えた。この目標のために、個人や企業、学校、行政機関が協力することは大きなアクションに繋がるのではないかと思った。

そして今では、SDGsという言葉が世間に広まり、少し外出すると広告などで目にするほどになった。

しかし、このころから私は世間の「SDGs像」に少し違和感を感じ始めた。違和感というよりかは、不安感というほうが正しいかもしれない。率直に言うと、SDGsが怪しいビジネスになってきたのではないかと感じたのだ。

その最たる例が、クリーンエネルギーとして名を馳せた「太陽光発電」である。いや、もはや「クリーンエネルギー」という言葉に対して失礼かもしれない。クリーンエネルギーとはそもそも、環境に負荷をかけるリスクがほとんどないエネルギーのことを指す。それにひきかえ、太陽光発電は環境に負荷をかけまくりである。もはや、公害とも言える。
森や湿地帯を切り拓いて土地を作り、太陽光パネルを大量に設置する。果たしてこれはSDGsなのだろうか。

下記のツイートの場所は、もともとは豊かな生態系がある湿地帯だったようだ。それが太陽光パネルにより、灰色の砂漠と化した。

カーボンニュートラルの視点から見ても、再生がほぼ不可能な貴重な生態系を破壊していることを考えれば、プラスマイナスゼロどころか、すさまじくマイナスである。「こじらせカーボンニュートラル」と名付けたい。
そして、太陽光パネルの製品寿命は20年~35年程度とされていて、2040年頃には大量破棄が予測されている。さらに、不適切な処分によって有害物質が流出するのではないかということまで懸念されている。

太陽光発電に加えて、さらに例を挙げると、SDGsに取り組んでいると謳っているが、実態が伴っていないと思われる企業や学校があること、そして「SDGsバッジ」が誰にでも購入できるものであるため、信頼性が低いことである。「SDGsに貢献した」と言いたい企業や学校が、粗雑なSDGsをばら撒いているのではないだろうか。

そして、これらを鑑みると、いま私たちに求められているものは「SDGs」と「SDGsモドキ」を見分ける力なのではないかと思っている。

今回例に挙げた現状の太陽光発電は、本来のSDGsとは大きなズレが生じている。そのような、「SDGsモドキ」に対してはしっかりと批判していく。そして、その「SDGsモドキ」をばら撒く、企業や学校、脱成長論者にはしっかりと圧力をかける。

さもなければ、「SDGs=怪しいビジネス」というイメージが先行し、エネルギー資源が枯渇するよりも先に、「SDGsに対するポジティブなイメージ」が枯渇するのではないだろうか。私はそれを危惧している。



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