ショートストーリー カップ蕎麦

久しぶりに食べる固形物は、どんな高級料理より美味しい。
それが身にしみる生活は、なかなか好きだった。
徹夜五日目。
集中しすぎて、ほぼ飲まず食わず。
そうして出来た作品を先程、やっとの思いでクライアントに納品した。
どっと疲れが押し寄せて、ベッドに着く前にアトリエに床に寝転ぶ。

死んだと思われても仕方ない絵面。
俯瞰で見た自分の倒れた姿は、酷く芸術性にかけるものだった。
こんな生活だが、絵を描いて食い扶持を繋ぐことはなんとか出来ている。
絵描きとして成功なのかは疑問だが、満足はしている。

絵で稼ぐ飯は美味い。
それも久しぶりの食事は特に。
寝る間も、食事も、風呂も、全ての生活をギリギリに、全身全霊で描いた絵は、毎回クライアントよりも自分が気にいる出来になる。
そして、その間に失った自分への時間を取り戻そうと、生活のスイッチが入ると腹も減り、眠くなり、体が不快に感じてくる。
一番は睡眠。
次に食事。
三に風呂。
この順番をよく知る僕の彼女は、僕が目が覚める頃にちょうどよくやってきて、手始めにカップ麺を食べさせる。
アッサリしてて温かい、それでいてジャンキーで、胃に負担がかからず、食べるのが止められなくなる。

ズルズルとすするが、久しぶりの食事で美味く食べられない。
麺を喉の奥まで一気にすすってしまい、死にかける。
だが、空腹で死ぬ思いをしていた自分には幸福な苦しみ。
塩分の高そうな汁まで、一気に飲み干し熱を取り戻す。

蕎麦のおかげで少し動けるようになったら、風呂に入って、彼女が用意したご馳走を食べる。
毎回、ご馳走の内容は覚えていない。
ただ、満たされた思いと美味しいという幸福だけは強く心に刻まれている。
だけど、それ以上に強く強く脳に植え付けられているのは、毎度変わらぬカップ蕎麦であることは、彼女には内緒にしている。

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