ショートストーリー パンプキンスープ
母親がかぼちゃをかごに入れたら、密かにワクワクしていた。
スーパーで、よく吟味してからかぼちゃをかごに入れた。
見た目はあまり変わらないし、重さが少し違う程度で、正直、どれを選べば良いか分からない。
しかし、かぼちゃだけはじっくり時間をかけて選ぶ。
かぼちゃが美味しくないと美味しいスープにならない。
それが母の格言だったからだ。
別に深い意味はない。
ただ、スープにするには美味しいかぼちゃが都合が良い。
母が込めた意味は、それだけだ。
しかし、その言葉は私の胸のうちに刻み込まれ、何をするにも付き纏った。
受験勉強に疲れた時も、失恋した時も、仕事で失敗して上司に滅多打ちにされた時も。
一歩が踏み出せない時、母の言葉がリフレインした。
自分が美味しいかぼちゃにならなければ、美味しいスープは出来ない。
そう思うと、もう一踏ん張り出来た。
「もう、ほっといてよ!」
子供に言われた一言は、なかなかに重い言葉だった。
自分が母になり、子育ての難しさを知った。
それでも、美味しいスープになって欲しい。
という願いは消えない。
スーパーでかぼちゃを選ぶ。
美味しいスープになるようなかぼちゃを。
どれだけ見ても分からない。
妥協して、かごに入れた。
悩み過ぎて、ため息が出た。
「子供の頃は、かごにかぼちゃがあるだけでワクワクしたのに」
自分の独り言にハッとした。
スープが出ると思うだけで、あの頃はワクワクしていた。
母がスープを作るとは限らないのに。
それに例えかぼちゃの味がイマイチでも、スープが食べれたら満足だった。
いつの間にか、美味しいかぼちゃと美味しいスープに執着していたのだ。
自分が美味しいかぼちゃかどうかも分からないのに。
家に帰って、かぼちゃスープを作った。
ほんのり甘く、ミルクのコクが美味しいスープ。
受験勉強をしている子供にも、夜食として持っていく。
ぎこちなく「頑張ってね」と言えば「ありがと」とぎこちなく返ってきた。
かぼちゃスープのおかげで、体が暖まってきた気がした。
沢山の記事の中から読んで頂いて光栄に思います! 資金は作家活動のための勉強(本など資料集め)の源とさせて頂きます。