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【映画】追想(原題:アナスタシア(Anastasia))のオタクな見どころ

1956年のイングリッド・バーグマン主演のハリウッド映画「追想(原題:Anastasia)」。1917年のロシア革命で消滅したロシア帝国で暗殺されたと噂された皇帝一家の行方、イングランド銀行に残されたと言われる莫大な皇帝の資産、そして突如パリに現れた記憶喪失の謎の女。彼女は噂されていた「生き残りの皇女アナスタシア」なのか否か?

元々はフランスで舞台作品だった本テーマ。史実を絡めた映画ならではの壮大なストーリー構成と名女優イングリッド・バーグマンのハリウッド復帰作ということもあり、彼女はその年のアカデミー主演女優賞を獲得しました。
また1997年にはアニメ化され、さらに20年以上後の2020年には日本の宝塚歌劇団により舞台化もされたというリバイバルの多い作品です。


ロシアのストーリーなのにパリが舞台である理由

さて、この物語はロシア帝国内で暗殺されたロシア皇帝一家の物語なのに、なぜかフランスの首都パリから始まります。
映画の冒頭では「1928年のパリ。Russian Easter(ロシア正教の復活祭)」とタイトルが表示。復活祭はは4月なので1928年4月ということは、1917年7月に行われた皇帝一家暗殺から丸々10年経過した後、ということですね。

またアニメでも皇女アナスタシアが大好きな祖母からもらったオルゴールに刻まれていた言葉は"Together in Paris"(パリで会いましょう)。
そして舞台がロシアからなぜかパリへと移るという不思議な展開を見せます。

ところで、なぜパリへ?
どうして暗殺が行われたロシアからパリへと舞台が移るのか?

世界地図を見てみますと、例えばロシアの首都サンクトペテルブルクからパリまでは直線距離にしても約2100km以上離れています。日本で言うと北海道の知床岬から鹿児島の種子島宇宙センターまでが大体2000kmだそうですから、結構な距離があります。実際に暗殺が行われたロシアのエカテリンブルクからパリまでは約4500km、となると、ちょっと行きましたどころの話じゃないですね。ましてやロシアとフランスの間には複数の国があり、国境を越えるのにも一苦労。

実は歴史的にフランスとロシアの関係は深く、当時のロシア上流階級はフランスから文化を学んできたという歴史があります。当時の貴族の教養として日常会話にフランス語が多用されているのがトルストイらロシア文豪の小説からも見て取れます。飛行機のない時代でも行き来はあったのですね。
というわけで、パリにはロシアの面影がいくつか残っています。セーヌ川にかかる数ある橋でも特に華やかな存在のアレクサンドルIII世橋は、ロシア皇帝の名を冠した橋。ちなみにアレクサンドルIII世は、皇女アナスタシアから見てお祖父様にあたります。
こうした事情からロシア革命からパリに逃れてきたロシアの貴族も多く、パリ8区にはロシア正教会のアレクサンドル・ネフスキー教会や近くにキャビアやサーモンなどのロシアの食品を扱うお店もあり、今なおパリの中には古き良きロシアの香りがかすかに残っています。つまり、亡命したロシア貴族にとってパリはロシアの香りがする「リトルロシア」的な存在であったのですね。

また、パリが舞台として登場した理由としては他にも考えられます。
このハリウッド映画が制作された当時、ロシアはソビエト連邦。ハリウッドのあるアメリカにとっては敵国であり、ましてやソビエト国家最高機密でもあり最大のタブーでもあったロシア皇帝一家の暗殺&生き残った皇女がテーマ。当然ソビエト領内での撮影は非常に厳しかったことと思われます。

このため、ストーリーの舞台設定としては、革命の起きたロシアから逃れた皇女が行き着く候補先として「ロシア貴族にとって馴染みの深い”リトルロシア”のあるパリ」、そして「ロシアから逃れ母国デンマークに戻った祖母マリア皇太后の居住地コペンハーゲン」、の2地点が考えられます。

ただ史実では、アナスタシアの母君アレクサンドラと姑であるマリア皇太后は犬猿の仲だったので、母側の立場にいたアナスタシアが祖母を頼ってコペンハーゲンに真っ先に行くのは考えづらい。
また、史実ではアンナのモデルとなった女性が自殺未遂をして発見されたのはドイツのベルリンですが、映像の観点からもより親露的な文化が漂うパリが選ばれたものと思われます。

それに、この作品はもともとフランスで舞台作品として上演されていたということもあるので、そもそも論としてパリが舞台として描きやすかったんでしょうね。


さて、本題の私的な見どころについて。
この映画の見どころは、映画の終盤、謎のアンナを演じたイングリット・バーグマンが、マリア皇太后を演じたヘレン・ヘイズに謁見し、邪険に扱われながらも己の記憶を取り戻していく迫真のシーンを挙げている人も多いのですが、私にとっての最大の見どころは、実は映画の最初と最後にあります。

私的見どころ①「パリのロシア」から透けて見える一族の栄光と転落

映画の序盤、アレクサンドル・ネフスキー教会でロシア正教の復活祭が行われているパリ。みすぼらしくひどくおびえたような表情の謎の女アンナが教会におどおどと入るところから映画が始まります。(ちなみにロシア正教会は歴代の皇帝を宗教的な指導者としており、2000年に皇女アナスタシアを含めた最後の皇帝ニコライII世一家を革命の殉教者として聖人認定しています。いかに彼女がロシア正教会と関係が深いかを暗示しています。)

知らない男から探るように話しかけられ、逃げ出すアンナ。しかし逃げるあてのないアンナは教会からいつしかセーヌ川にたどり着きます。(ぜひGooglemapで距離感を掴んでいただきたい)
そこで彼女が知ってか知らずに渡るのは、セーヌ川にかかるアレクサンドルIII世橋。祖父の名を冠した、ロシア帝国の威光を表す豪華絢爛な装飾をまとったこの橋からは、セーヌ川の河川敷に降りられる階段があり、彼女は闇にまぎれて川面の方へと降りていきます。橋の下にいたのは雨露をしのぎ酔っ払って寝ているホームレス。
川の上は王族の象徴である豪華な橋、その直下は雨露をしのぐホームレスたちの溜まり場・・。

逃げる彼女が最後に辿り着いたのはアレクサンドルIII世橋の下。
世界でも類を見ない権勢を誇った皇帝一家の栄光と転落の暗示ですね。
冒頭からここまで、彼女が訪れ、そして逃げ込んだのは自分を今まで守ってきた一族の権力の象徴ともいうべき場所なのです。
映像にしてたった数分のパリ市街の逃走劇ですが、追い詰められた謎の女の出自と立場がすばらしく計算された映像で雄弁に語られる名シーンになっています。冒頭、ぜひ注目してみてください。

夜のセーヌの川面にうつった哀れなアンナ・・ついに彼女は川に飛び込もうとしたところをユル・ブリンナー演じるブーニン将軍に助けられます。
ちなみにもしあの場で彼女が身を投げていたら・・・、アレクサンドルIII世は草葉の陰でどう思ったのでしょうかね。

私的見どころ②エンディングで演奏される亡国の国歌

ラスト、晴れて自分自身の記憶と地位を取り戻した皇女アナスタシア。革命前に定められていた婚約者との結婚が待っていましたが・・・。
マリア皇太后は土壇場で孫娘に過去の一族の栄光ではなく、1人の女性としての未来の幸せを掴むよう促します。
記者会見直前に彼女が愛する人と姿をくらましたことを確かめた皇太后は、甥をともない記者たちの前におごそかに進みでるところで映画は終わります。その時にかかっていたBGMこそ、今はなき幻のロシア帝国国歌「神よツァーリ(皇帝)を護り給え」なのです。

まさに映画のクライマックスシーンに流れるこの曲の歌詞は、曲の中でも「神よツァーリを護り給え」と高らかに歌うパート。

この曲がかつてのロシア帝国国歌だと気づくと、この映画に幾重にも込められた意図を噛み締めることになります。

1917年のロシア革命以降、暗殺を生き延びたと言う自称ロシアの皇子、皇女が沢山出現しました。その中でもこの映画のモデルとなったアンナ・アンダーソン夫人は皇女アナスタシアに酷似していたとされ、真贋のほどが世論をにぎわせていました。

この映画が制作されたのは世紀を揺るがすスキャンダル真っ只中の1956年。
なお、ヨーロッパの名だたる王族を巻き込んで「彼女は偽物」という真実が明らかになったのは冷戦後の1994年。
だから映画制作当時の1956年にはまだ真実は藪の中だったわけです。そんな状況下での映画制作だったことを考えると・・。

もしもアンダーソン夫人が本物の皇女アナスタシアだったとしても、もはやロシア帝国が蘇ることはないというハリウッド映画(当時はソビエト連邦の敵国であったアメリカ)らしいメッセージですね。
また、ストーリー上、過去を捨て愛する人とひっそりと旅立った皇女への送別の曲であり、実際の史実では無抵抗のままむごたらしい最期を遂げた皇帝一家への鎮魂でもあり(歴史上の事件についてはまた改めて語りたい)・・・

歴史にIF(もしも)はありません。科学的手法によって全員殺害されたと認定された皇帝一家全員の遺骨は、のちに王族の墓所であるサンクトペテルブルクのペトル・パウェル大聖堂に埋葬されました。

しかし、もしも皇帝の末娘アナスタシアがあの恐ろしい処刑から奇跡的に生き延びることができていたなら・・というファンタジーは、古今東西問わず人々の心を打つものがあります。

というわけで、この「追想(アナスタシア)」は、知れば知るほど、なんとも余韻の残るエンディングなのです。これぞ名作。
今はこの名作はDVDのほか、Youtubeで分割して視聴することができます。
興味がありましたらぜひ見てください。(前編英語です)


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