百物語 第三十夜

家のすぐ裏手に、山がある。
窓を開ければ、季節ごとの草木の香りがするほどの距離だ。
大雨や地震のときには大変な思いもするが、そうでないときはのどかで、心落ち着く場所である。
幼少時からそんな環境で暮らしてきたせいだろう。大学に通うために街に住んだときは、あまりの騒々しさに眠れない日々が続いたものだった。今となっては懐かしい思い出だ。

朝も昼も静かなものだが、夜の静寂はまた格別だ。
車も通らない。ひとの話し声もしない。
聞こえるのは、虫の声。それから、暗闇の中を闊歩する動物たちの立てる音。
うまく寝つけない夜などは、その音に耳を澄ませながら、どんな生き物が何をしている音なのか、思いを巡らせたりもする。
音が特徴的だから、昆虫類は比較的当て易い。ああ、これはスズムシかな。これはウマオイだろうか。あっちはひぐらしで、そっちはニイニイゼミ。夏、秋は賑やかで、冬は死に絶えたように鳴かなくなる。
鳥の声は難しいが、キジバトに、フクロウ、カラスなんかはわかりやすい。飛び立つときにカサカサと枝葉が揺れる音がするのも、低い位置を歩く四つ足にはない特徴である。
獣の場合も同じで、判別のつきやすいものとそうでないものがある。犬や猫ならともかく、狸やハクビシン、イタチなどの鳴き声は、私には聞き分けがつかない。鹿や、猿らしき声を聞いたこともある。四本足で歩くので、どれもなかなかに騒々しい。
正解を教えてくれる相手はいないが、そうやってああでもないこうでもないと考えているうちに、自然と眠っていて、気づけば朝が来ているのだ。おかげで目覚めは毎朝快適、仕事に遅刻するようなこともない。

―――ただ、例外もある。 それほど頻繁にというわけではないのだが、ときどき、奇妙な音が聞こえることがあるのだ。
まず、ガサガサと、草木を大きく揺らす音から始まる。小型の動物ではない。音に重さを感じる。イノシシの歩く音に似ているが、あの特徴的な鳴き声はしないから、別の生き物なのだと思う。
何かを探し回るように辺りをうろつき、しばらくすると、「ぎゃっ」という短い悲鳴が聞こえる。次いで、「キーッキーッ」と、身の毛もよだつような叫び声が響き渡る。
静寂の中に突然そんな音がするものだから、まどろみから一気に覚醒して、よせばいいのについつい耳まで澄ましてしまう。
必死に暴れているような鳴き声はやがて、なんともいえない悲痛な叫びを最後に、ぷつんと途絶える。
虫も鳥も鳴かない。申し合わせたように黙り込んでいる。
そんな中で私の耳は、「ふう」という満足そうなため息を拾いあげる。
足取りも軽く、カサカサと枝葉を揺らしながら、何ものかの気配はゆっくりと遠のいていく。

そこからは神経が変に研ぎ澄まされてしまって、もはや眠るどころの話ではない。
それが現れるのは決まって土曜日の深夜なので、仕事に響かないことだけが不幸中の幸いである。

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