百物語 第六十五夜

バイト先の焼肉屋の常連客に、石見さんという六十過ぎのオバサンがいる。

見た目も中身も豪快な人で、昼間から一人焼肉に来ては、熱燗をぐいぐい飲んで帰っていく。どちらかといえばオバサンよりもオジサンに近いような気もするが、話しやすいし気前もいいので、俺としては好きなお客さんである。

石見さんは、若い頃、拝み屋のような仕事をしていたらしい。

今は引退しているが、それでもときどきどうしても断わり切れないことがあって、死んだ人を自分の身体に憑依させて会話をさせてやったり、悪いものが憑いていたら祓ってやったりするのだという。

その際も、仕事ではないからといってお金は取らないそうだ。なんとももったいない話である。せっかくの才能を無駄遣いしているとしか思えない。

俺だったら、もっと有意義なことに使うのに。人生とはうまくいかないものだ。



「いらっしゃいませ。石見さん、そろそろ俺を弟子にしてくれる気になりましたか?」

「馬鹿いえ。お前のようなガキには勤まらんわ」


いつからか、この会話が俺と石見さんの挨拶のようなものになっていた。


「俺、こう見えても真面目なんすよ。修行とかちゃんとしますし」

「修行しようがどうしようが、お前には無理だね」

「そこをなんとか。師匠」

「やかましい。だいたいお前、信じとらんやろうが」

「えー、そんなことないですよ。信じてますって」

「くだらんこと言うてないで、さっさと熱燗持ってこんか」

「はいはい。一合ですか」

「アホたれ、二合に決まっとるやろ」


しっし、と手で追い払われて、俺はすごすごと厨房に引き返す。

店長には呆れられているが、そういうやり取りが、なんだかんだで結構楽しかったりもするのだ。



石見さんのようにとっつきやすいお客さんもいれば、もちろんその逆もいる。

工藤さんは五十代前半の男性で、あまり良い印象のないお客さんだった。酒が入ると態度も荒れ、暴言も吐くし、物を壊したりすることもあったので、従業員一同も要注意人物として認識していた。

その日、閉店間際にやって来た工藤さんは、一頻り騒いだ後、ついでにジョッキをひとつ割って、ふらふらしながら帰って行った。

俺はお客様を神様だと思うタイプではないので、工藤さんのことは普通に嫌いだった。

文句を言いながら片づけをしていると、珍しく遅い時間に飲みに来ていた石見さんが、熱燗をちびちびやりながら俺を手招きした。


「おかわりですか?」

「いや。あの男、よく来るんか?」

「あー、そうっすね。月に二、三回ですかね。煩かったでしょ? 俺、嫌いなんですよあの人」

「そうか。まあ、もう来れんやろうな。物凄いもんが背中に張りついとった」

「え、なんすかそれ。なんかありました?」

「よほど恨みを残さんと、あそこまでは崩れん。ああまでいってしもうたら、もうどうしようもない。可哀想なことよ。…なんにせよ、あの男は畳の上では死ねんやろうな」


つられるようにして出入り口に目をやったが、もちろん工藤さんの姿はとっくにない。

ガラス戸の向こうに、いつも通りの夜が透けて見えるだけだった。



それから一週間ほど経って、新聞で工藤さんが死んだことを知った。

飲酒運転の末、ガードレールを突き破って車ごと海に落ちたらしい。

死因は溺死だったようだが、しばらく意識があったのだろう。シートが破れるほどあちこちを引っ掻いた跡があり、両手の爪もほとんどが剥がれていた…という噂を聞いた。

悲しいとは微塵も思わなかった。

ただ、喜びはあった。

工藤さんが死んだからではない。石見さんの力が、正真正銘本物であるとわかったからだ。



「弟子にしてください」


店にやって来た石見さんに、注文を聞くどころか挨拶もせずにそう言った。

俺の失礼な態度を怒るでもなく、いつものように鼻であしらうでもなく、石見さんは静かに俺を見た。


「お前のようなガキには勤まらん。何度も言わすな」

「俺は本気です。なんでもやるんで、お願いします」

「修行しようがどうしようが、お前には無理やと言うたやろう」

「それでもいいです。弟子にしてください。お金だってあります、いくらでも払います」

「妹のことなら、諦めろ。もう生きちゃあおらん」


聞き分けの悪い子どもを諭すように、石見さんは言った。

言い当てられたことにも、その言葉の内容にも、驚きはなかった。

たぶんそうだろうなと、頭のどこかでは思っていた。


「わかりました。それじゃあ、親父がどこにいるのか教えてください。わかるんでしょう、それも」

「そんなもん知るか。甘えるな」

「お願いです、石見さんに迷惑はかけませんから」

「わしは神様じゃあない。お前の妹が何も言わん限り、他にわかることはない」


耳もとに、はあ、と生臭い息がかかった。

ぎくりとして、俺は後ろを振り返った。

何も見えない。誰もいない。

店の奥へ、廊下が長く伸びているだけだ。


「可哀想やが、その子にしてやれることはもうない。お前にも、わしにも」

「石見さん。妹は、今、どんな姿をしているんですか」

「これ以上は聞くな。知らん方がいいこともある」


哀れむように言って、石見さんはそっと目を伏せた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?