百物語 第四十四夜

私の住んでいる地域では、いまだに火葬場を「人焼き場」と身も蓋もない呼び方をすることがあります。

建物自体は十年ほど前に改築され、外観も内装もずいぶんと綺麗になったのですが、そういう習慣はなかなかに根深いものがあるようです。


改築される以前、つまり十年ほど前までは、とある老人が一人で「人焼き場」を管理していました。

被差別部落の出身で、もうずいぶんと長いことこの仕事をしてきたそうです。

私自身がその老人と会ったのは、祖母の出棺の際、一度きりでした。

無口で、終始不機嫌そうな顔をしていたと記憶しています。

そして、噂通りのろくでもない男でした。


祖母のお棺が炉に入れられて、一時間ほど経った後、お骨を拾うために近親者が呼ばれました。

年齢のこと、それから色々病気をしていたこともあってか、祖母の骨はもろく、あまりはっきりとした形を残してはいませんでした。それが生前の苦労を思わせ、自然と涙がこぼれました。

祖父、父、母、叔母、私…と、順番に箸で骨を拾い、やがて骨壷がいっぱいになりました。静けさの中に、すすり泣く声があちこちから聞こえてきました。私もハンカチで目もとをぬぐい、優しかった祖母のことを思い返していました。

老人が、骨壷の中の骨を箸でグサグサと突き刺し始めたのは、そんなさなかのことでした。

泣き声が止み、代わりに小さな悲鳴が上がりました。

それを喜ぶかのように、老人はいっそう乱暴に壷の中身をかき回しました。不機嫌そう表情は消え、その顔にはにやにやとしたいやらしい笑みさえ浮かんでいます。

私は何が起こっているのか理解できず、呆然としていました。

「おまえ、何をしよるか!!」

大叔父が声を上げて、老人につかみかかろうとしました。

祖父と父が間に入って危うく暴力沙汰は逃れましたが、その後も収拾はつかず、私は他の弔問客の方たちと一緒に先に家に帰されました。


ここからは、後から母に聞いた話になります。

この辺りでは、遺体を「人焼き場」に運ぶ際、火葬費用とは別に、“心づけ”としてお酒の一升瓶を老人に持っていく習慣がありました。しかもそのお酒の値段によって、老人の対応はがらりと変わり、遺族や遺骨に対する振る舞いも全く違ってくるのだとか。

祖母のためを思い、私の家でも十分に良いお酒を用意していったそうです。

しかしそのときに大叔父と老人が少し口論になってしまったため、あんな仕打ちになったのではないか、ということでした。

苦しんで苦しんで死んだのに、死んだ後になってまだ苦しめられた祖母が哀れで、ずいぶんと悔しかったことを覚えています。


その「人焼き場」なのですが、改築された際に、ようやくきちんとした業者が管理することになりました。

三年前に祖父が亡くなり、祖母の出棺以降初めて私も足を踏み入れました。

業者の方は最初から最後まで驚くほど丁寧に対応してくださり、遺骨を拾う際も事細かに説明していただきました。

もちろん、必要なのは費用のみで、お酒を持って行ったりはしていません。

これでようやく、死者たちが理不尽な仕打ちを受けることがなくなる。安らかな眠りにつくことができる。

そう言って、みんなホッとしていました。


去年、件の老人が亡くなったそうです。

身寄りもなく、ひとりきりで、自宅でバラバラに解体されていたということでした。

初めのうちこそ事件性がどうのと言われていましたが、そんな話も煙のようにすぐに消えました。

骨壷に詰める作業も、さぞかしやりやすかっただろうことと思います。

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