百物語 第四十二夜
三十年以上も昔の話になるが、小学校四年生の夏休みに、父方の田舎へ遊びに行ったことがあった。
その当時、私は少しばかり心のバランスを崩していた。ストレスが溜まると癇癪を起こして暴れることもあり、医者に田舎での静養を提案されたのだ。
人口百人にも満たない、山間の小さな集落だった。閉鎖的な環境ではあったが、土地柄のせいかみんなおっとりとしていて、余所者である私にもとても親切に接してくれた。
両親は半信半疑だったというが、せかせかした町での生活から離れ、自然と触れ合うことは、私の病状に明確な変化をもたらした。
私は“待つ”ということを思い出し、ひとの話を“聞く”ことが出来るようになった。物を投げたり壊したりすることも減り、少しずつ笑うようにもなってきていた。
毎日のように、父に連れられて山や川へ遊びに行った。
そこで私は、同年の子どもたちとも仲良くなった。彼らは私に色々なことを教えてくれた。昆虫やカニの捕り方。食べられる木の実の種類。どの石をどう投げれば上手に水切りが出来るか。父の見ていないところでは、みんなの後について岩場から川に飛び込んだり、木にのぼって鳥の巣をつついたりもした。
特に、ひとつ年上の幸太くんという男の子は、面倒見がよく、私を本当の妹のように可愛がってくれた。
優しくて明るい幸太くんに、人見知りの私もまた、珍しくよく懐いていた。
八月の半ば、お盆を何日か過ぎた辺りだったと思う。
何の前触れもなく、唐突に事件は起こった。
幸太くんとその両親が、三人揃って行方不明になったのだ。
町からパトカーが何台もやって来て、集落中が大騒ぎになった。
祖父と両親も手伝いに出たが、私は祖母と一緒に留守番を命じられた。
何が起こっているのか、正しくは理解していなかった。私はただ、うちの前をたくさんの人たちが忙しなく行き来するのを、窓からずっと眺めていた。
次の日も、その次の日も、外に出ることは許されなかった。
室内での遊びに飽き、ストレスから、私は再び癇癪を起こすようになっていた。
見かねた祖母が、こっそりと散歩に連れ出してくれた。
近所を少し回るだけという約束だったのに、しつこくせがんで、ずいぶん遠くまで引っ張って行った。祖母は私に甘かったので、困った顔をしながらも言う通りにしてくれた。
橋の上に差し掛かったとき、さらさらという川のせせらぎが聞こえた。
数日前に水遊びをしたことを思い出して、私は欄干から下を見下ろした。
そこに、幸太くんがいた。
お父さんとお母さんと手を繋いで、川の中で幸太くんは楽しそうに遊んでいた。
きゃあきゃあという笑い声が、今にも聞こえてきそうだった。
「ばあちゃん、あそこに幸太くんがいる!」
はしゃぎながら、私は言った。
あれだけの大人たちが探しても見つからなかった幸太くんを、私が見つけたんだ。そう思うと嬉しくて、得意げに私は祖母を見上げた。
「見ちゃあいかん!!」
だから、祖母がそう叫んだときも、私を抱きかかえるようにして走り出したときも、私には、何が起こっているのかまるでわからなかった。
走りながら、私は後ろを振り返った。
幸太くんは、まだ川の中にいた。
お父さんとお母さんと手を繋いでいた。
三人とも無表情でそこに立って、走り去る私たちをただじっと見つめていた。
そこからのことは、よく覚えていない。
家に帰ってすぐに私は昏倒し、原因不明の高熱を出して何日も寝込んでいたらしい。
目覚めたときには、既に幸太くん一家の葬儀も終わっていて、集落はもとの穏やかさを取り戻し始めていた。
「お前にはショックが大きいやろうと思うて黙っとったが、本当はな、あの子らは次の日にはもう見つかっとったんよ」
泣き腫らした目をした祖母が、床に臥したままの私に教えてくれた。
「揃って沢に落ちとったところを、青年団が見つけてすぐに連れ帰った。幸太も母親も水をたくさん飲んどってな、もうみんな駄目やった」
それじゃあお父さんは、と尋ねたが、そのことは教えてくれなかった。
代わりに、私があのとき見たもののことを話してくれた。
「この辺りでは、ああいうもののことを『いきあいさん』と呼んどる。見かけても気づかんふりをせんといかんし、声なんぞかけようものなら、魅入られてもう二度とは戻って来れん。…お前は、本当に危ないところやった」
話しながら、祖母は涙を流していた。
祖母は私が『いきあいさん』に遭ったことで、ずいぶんと自分を責めていたようだった。
だけどあの時、もし祖母が私を庇ってくれていなければ…そう考えると、今でも背筋が寒くなる。
もうずいぶんと前に、祖父母も亡くなった。
何年か前に最後の住人が去って、集落も廃村になってしまったと聞く。
余談ではあるが、『いきあいさん』に遭って高熱を出して以降、私は例の癇癪の発作を一度も起こしていない。
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