百物語 第二十一夜
漁業関係者の間では、水死者を「流れ仏」と呼ぶことがある。
「流れ仏」を発見したときには放置しておくことは許されず、必ず拾い上げて帰らなければならない。
やむを得ない場合には、帰りに拾うことを約束し、むしろをかぶせておく。すると、同じ場所でちゃんと待っているという。
取り舵の方から引き上げるだとか、遺体を置く場所が決まっているだとか、あるいは見返りを求める内容の問答をしてから拾い上げる等の作法はあるものの、ほとんどの地域では、「流れ仏」を拾うことは大漁に繋がると考えられている。
反対に、作法を誤ったり、拾い上げなかったりすると祟ると言われる。
そしてまた、自殺者はこれに当たらないとも。
―――知り合いの漁師の話である。
ともに七十を過ぎた夫婦であるが、若い時分からそうしていたように、小さな船で二人きり、ほそぼそと魚を獲って市場におろしていた。
毎日、夜も明けないうちから漁に出て、日がのぼり切る前に戻ってくる。それを、五十年以上も続けていた。
夜明け前の海は、どこまでも暗い。
備え付けてあるライトは小さく、船の上をかろうじて照らす程度のものでしかない。外までは見えないから、勘に頼るところも大きかった。
何度か危ない目にも遭ったが、それで事なきを得たという。
その日も二人は海に出て、決まった場所に仕掛けていた網を引き上げていた。
妙な音が聞こえたのは、上がってきた網に夫が手を掛けたときだった。
ふうー、ふうー。
ひとの吐息のような音だった。
驚いて、思わず網を落としそうになった。
いつの間にか、船の周りを何かに取り囲まれていた。
ふうー、ふうー。
恐ろしさで身動きも出来ないまま、二人して視線だけを走らせる。
暗闇の中、水面に浮き上がっているものがぼんやりと見えてきた。
イルカだった。
夫人はホッと息を吐いた。
そういえば、この辺りではたまにイルカの群に出会うことがある。好奇心が強く、人懐こい生き物だ。停まっている船が気になって見に来たのだろう。
しかし、周りを囲まれたままでは船を動かすことが出来ない。
群を追い払うためにタモを取ろうとしたとき、その柄を素早く夫が押さえた。
顔を上げる。
動くな。
目線だけで、夫は言った。
ライトに照らされた顔は、血の気が失せて真っ青だった。
どれくらいそうしていたのか。気づけば、空が白み始めていた。
イルカもいなくなっていた。
無言のまま、夫は船のエンジンをかけた。
夫人も何も言わなかった。
岸に着いて碇を下ろし、地面に足をつけてから、ようやくのことで夫は口を開いた。
「イルカに紛れて、あいつがおった」
先月身投げした知人であった。
拾わなくて良かったのか、と夫人は尋ねた。
夫は静かに首を振った。
「もう人の姿をしとらんかった。触らん方がええ」
海坊主や船幽霊は、海で命を落とした者の亡霊だという。
そしてまた、そういう類のモノに出会ったら、黙って見ないふりをしなければならないとも言われている。
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