固定概念をぶっ壊せ
僕には持論がある。この世は全て固定概念によって出来ている。それが僕の持論だ。これから読んでくれる人の為に保険をかけておくが、この持論は一回も賛同を得たことがない。
だがこれは持論ではない。真理だ。これを理解できた人はもっと高みにいけるかもしれない。理解できない人にとっては、終始何言ってんだ状態だろう。理解できる人よ、あなたは選ばれた。理解できない奴は置いて行け。
全てが固定概念で出来ている。これは本当にそうだと思う。僕がそれを疑い始めた理由が
「アメリカ人には肩こりがない。」
という説だ。何故アメリカ人は肩こりにならないのか。理由はいたってシンプル。
「肩こりを知らないから。」
これはめちゃくちゃバカな理由にも聞こえるかもしれないが、物凄い事だということに僕は気が付いた。僕ら日本人は肩こりを知っているから肩こりになるのだ。つまり、肩こりとはもともとないもの。誰かが「あぁ~肩こったわぁ。」って言い始めたからだ。
多分、最初に肩こりを作った人は人気者だったと思う。だって、肩こりがない世界に肩こりというワードとどういう症状かをみんなに広めたから。人気者でないと出来ない。多分今の僕のような人間が肩こりを作ったら
「は?急に何?意味わかんないんだけど。造語作って目立とうとしてんの?」
ってなって終わり。肩こりを作った人は凄い。でもその人のせいで我々日本人は肩こりに悩まされている。
とにかく、「肩がこる事がある。」という固定概念さえなければ肩はこらない。そこに気が付いてから、街を見渡してみるとある事に気が付いた。
冬の最高気温が10度の日でも半そでで歩いている外国人がいる。
皆さんも見たことがあるだろう。寒くないのかなぁ、もっと寒いところから来たから寒いのに慣れているんだろうなぁ。そう思っていると思う。だが全てを理解してしまった僕から言わせてもらえば、あれはそんな理由じゃない。
半そでの外国人たちにとっては、最高気温10度が寒いという概念がないのだ。
説明しよう。その外国人たちの祖国は寒い。冬なんかマイナス何十度とかにもなるだろうし、もしかしたら夏でも20度もいかないかもしれない。そんなところで生まれた時から育ってきたんだ。あれは寒いのに慣れているわけでも、強がりで半そででいるわけでもない。10度が寒いという感覚が全くないんだ。多分彼らにとっての10度は、僕たちにとっての25度ぐらいだろう。
そう考え始めてから、僕の説を裏付けるものを思い出した。沖縄にいた時、僕は冬はダウンジャケットを着ていた。今では考えられない。沖縄の冬なんて18度ぐらいだ。低くても15度ぐらい。東京の冬を知ってしまった今の僕なら、沖縄の冬はトレーナーとパーカーがあれば過ごせるだろう。だが、沖縄の冬しかしらない頃の僕にとっては、沖縄の冬は寒かったんだ。あれが寒いという固定概念があったから。
たばこだってそうだ。今の時代、どこにいってもたばこが吸えない。理由は、「たばこは悪い物。たばこは臭い。」こういう固定概念をみんなが持ってしまったから。僕が中学生の頃なんて職員室はたばこの匂いがしたし、歩きたばこをしている大人もたくさんいた。お父さんも家でがんがんたばこを吸っていた。だけど嫌な顔をしている人は今より確実に少なかった。たばこがダメなものだという固定概念が今より弱かったからだ。聞いた話によると、もっと前はもっとみんながんがんたばこを吸っていたらしいじゃないか。職員室どころか教室でたばこを吸う先生。駅のホームや電車の中で吸う大人たち。吸えないところは病院ぐらいだったという話を聞いた。この時代は「たばこを吸っているのが当たり前。」という固定概念があったのだ。
歴史上の偉人も、現代で考えたらただの大量殺人者だったりする。その時代では英雄でも、現代ではA級犯罪者。これもそうだ。
「法律が違ったからでしょ。」
そう思ったあなたはおしまいだ。思考が停止してしまっているぞ。何故法律が違ったのか。当時は人を殺してはいけないという概念が薄かったのだ。だから戦争であれば人を殺してもいいという概念があったのだ。人を殺してはダメだという概念が有識者たちのおかげでどんどん強くなっていき、その概念を周りに広めていき、法律が出来るのだ。すべて概念だ。
ここまで説明したら僕の言っていることが理解できるだろう。それでは本題に入る。僕が何を言いたいかというと
固定概念さえなければ、人間は死なない。空だって飛べる。
そういうことだ。「人間の寿命は80年。」それは固定概念だ。誰かが植え付けた固定概念。それが我々人間の深層心理に植え付けられている。だから寿命がきてしまう。「人間は空を飛べない。」そんな固定概念を誰かが深層心理に植え付けたのだ。だから飛べない。
「俺なんかにできるわけない。」
そんな固定概念ぶっ壊せ。僕も芸人になる前はそんな事を思っていた。だが、この真相に気が付いたからその固定概念をぶっ壊して芸人になった。売れていないのも、もしかしたら「売れていない」という固定概念があるから売れていないのかもしれない。ライブでもよくスベるが、それも「スベる」という固定概念があるからスベっているだけだ。あれは本当はスベっていない。僕の心のどこかに「スベる」という固定概念がまだあるからだ。
「じゃあそんな固定概念はなくせばいいだろ。」
そう思うだろう。だがそれは無理に等しい。もう概念は固定されているんだ。記憶に少しでも概念が入ってしまったらそれをぶっ壊すのは無理に等しい。だってもう知ってしまっているんだから。
「じゃあどうすればいいんだよ。」
そう思うだろう。それはまだわからない。だから、この真理に気が付いた人達でそれは今から考えていきたいと考えている。
極論を言おう。人権的に不可能な事だが、生まれた時から隔離してスベるという概念を植え付けないまま育てて、何が面白いということなのかという概念を植え付けて、お前はこの世で一番面白いんだという概念を植え付けながら人間を育てたら、そいつは絶対にスターになる。お笑いの英才教育だ。だけど隔離されて育っているからコミュニケーション能力は低いだろう。隔離されて育ったらコミュニケーション能力が低くなるというのも固定概念だが。だから育てる側も固定概念がない人間でないといけない。それも固定概念だ。人権的に不可能だというのも固定概念だ。まず固定概念という言葉があると言うのも固定概念だ。
「アメリカ人には肩こりがない。」
これがこの理論の確たる証拠だ。今回それを久しぶりに思い出したから、本当にアメリカ人には肩こりがないのか今調べてみた。
アメリカ人には、肩こりがあった。全然あった。肩こりという英語がないだけだった。
・・・え?まじで?なんか首の付け根が固いとか肩がだるいとかって言うらしんだけど。それ完全に肩こりじゃん。え?まじ?
じゃあ今まで書いた事ってなに?・・・え?
言い訳をさせてもらおう。僕は、「アメリカ人には肩こりがない。」という固定概念に縛られていた。それは固定概念であり事実ではなかった。でもその固定概念があったから真理に気が付いたのだ。最後に一つの固定概念を皆さんに植え付けてやろうではないか。
固定概念という言葉はない。
正しくは固定観念だ。固定概念という言葉があるという固定観念だ。
後もう一つ
アメリカ人にも肩こりはある。
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