『ルポ 人間は科学が苦手』を読んで考えたこと
正しく伝えるのではなく、納得できるように伝えたい。
知識の多さは正しく判断できることを意味しない
1章では、科学的知識が増えても「何が事実・真実だと思うか」は、自分の信条や立場(アメリカの例だと支持政党や宗教)の影響を受けることで、むしろ立場の違いが増幅されることが書かれていました。
地球温暖化や進化論、地動説や地球が球体であること、割と定説になっても未だに信じていない人がいることは知っていたけれど、それがごく普通の穏やかで理性的な人々が信じている姿を描いているところは驚きでした。
科学の伝え方
どれだけ事実をわかりやすく伝えても、相手の考えを変えることはできない。この言葉が、それを生業とする科学ジャーナリストの発言であることに重みを感じます。
4章では、以下のように書かれていました。
論理に+α して、共感や納得感を呼ぶストーリーが大事なのだろう、との思いを新たにしています。
人々に科学の成果をアピールすること
第二次世界大戦後から現在までの傾向として、国から出る予算が増えた結果、科学者は一般の人に科学を伝える「科学コミュニケーション」に消極的であるらしい(詳しい話は本書をお読みください)
一方で、日本では国の研究予算が頭打ちで論文数も伸び悩んでるよね、みたいな話もありますよね。
今後、「科学コミュニケーション」の重要性がより高まってきそうです。クラウドファンディングも含めて、そのツールはあるよなぁ、と思ったり。
科学を活用したり学んだりする上で大事なのは「考え方」かもしれないと感じた
もう少ししっかり言語化したいところですが、科学を学ぶ上で重要なのは「知識の豊富さ」だけではなく「科学的な考え方のパッケージ」なのかな、と考えたりしています。
直感に反する事柄を信じるのが難しい、「見たいものだけを見る人間」の話が本書に度々登場します。
特に社会科学でありがちな「自分の状況には合わないよ!」という場合、「だから、この理論やエビデンスはおかしい」と考えるのではなく、
「今ある理論とエビデンスをベースに、自分の状況に合うように仮定を変更して考えてみよう。そしたらどうなるかな?」と考えられるようになることが、科学を学び活用する上では大事なのかな、と思ったところです。
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