行きたくない

【ホラー】人の死を敏感に察するお婆さんに笑顔で言われた一言

 今回で19本目の記事となります。そういえば、YouTuberのキリン氏が、

西暦1900年代の話をする際に、動画内でしょっちゅう“イク~年”という言い方をしています。まぁ、簡単に言うと下ネタですね(笑)。彼が“イク”という捉え方をしている部分を、私は“逝く”という捉え方をして、今回の記事を書いてみようと思いました(どんな話の導入なんだコレ笑)。

 これは、私が老人ホームで働き出してまだすぐの頃にあった、なんとも不気味なお話です。現在でこそ、老人が亡くなった場面に幾度となく遭遇してきたために慣れましたが、当時の私は、夜勤の時に誰かに死なれたらどうしよう・・・と、ビビりまくっていました。

 当時、施設の利用者であった老人の中に、Mさんという90代の女性の方が居ました。このMさんですが、誰かが亡くなるということに非常に敏感で、結構な確率でそれを察知する・・・という話を、先輩職員から聞かされていました。

 ある夜、Mさんが夜勤者に「今、誰かがス~っと上に向かって上ってった」と言ったそうです。すると、程なくして別の現場から、先程利用者の1人が亡くなった、との連絡が入ったんだとか・・・。他にも、夜勤の職員以外起きているはずのない時間帯に、「今廊下に、赤い服を着た女の人が立っとる」なんて言ったりもしたことがあったそうです。

 それは怖いですね~なんて言いつつ、その時は話半分で聞いていました。・・・ただ、働き出した職場が老人ホームということもあって、妙なリアルさがあるなと感じたことをよく覚えています。自分が夜勤の時にも、いずれかはそういうことを言われるのかな~と考えると、やはり不気味でしたね。

 私が働き始めて数ヶ月が経った頃。Tさんという80代の男性が、体調的にいよいよ危なくなりました。やがて、看取りの許可が下りて、Tさんが施設で亡くなる未来に向けての体制が整いました。・・・まだ1人夜勤を開始してから間もない私が、心底ビビり倒していたのは、言うまでもありません(笑)。

 頼むから、自分が夜勤の間にだけは死んでくれるなよと、その一心で必死に夜勤をこなしました。普段は大人しく寝ている利用者が起きてきたりだとか、そこそこ大変な夜勤だったのはなんとなく覚えていますが、その晩にTさんが亡くなることはありませんでした。

 翌朝、夜勤を終えた私は、早出の職員に申し送りを告げて、家に帰ろうとしていました。すると、例のMさんが、手招きして私を呼んでいるではありませんか・・・。何を言われるのだろうかと、恐る恐る、私はMさんに近付きました。

私「Mさん、どうしたの・・・?」

Mさん「お兄さん。わたしゃね、火葬場には行きとうないんじゃ

 ニコニコと笑顔でこの発言を聞かされた時、夜勤明けで心身ともに疲れ切っている私は、もうヒィィ~という感じでしたよ(笑)。とりあえず、そんな場所には行かなくてよいと伝えて、私はそそくさと家路につきました。

 Mさんの火葬場発言があった、その日の晩でした。Tさんが亡くなりました。

 自分が夜勤の日にこそ当たりませんでしたが、Mさんのあのインパクトのあり過ぎる発言をしっかりと聞いていた私にとっては、もう怖い以外の感情はありませんでしたね。・・・やっぱり、Mさんには分かるのだなと、私も自分の肌でそれを感じたのでした。

 その後、Mさんがどういう最期を辿ったのかにも触れておきたいと思います。

 Mさんは、認知症の影響もあってか、薬を飲むことがとにかく嫌いな人でした。ですから、毎回食事の配膳をする度に、粉薬をコッソリとご飯かおかずに混ぜておいて、一口味見をしてほしいと言って薬の入った部分を先に食べさせて・・・ということを行っていたのです。

 ところがある時、Mさんが風邪を引いてしまいました。それに伴って風邪薬が追加で処方されたのですが、その薬というのが、苦い液体の薬だったのです。普段はほとんど味のしない粉薬でしたので誤魔化しも効きましたが、苦い味を紛らわすというのは、そうそう上手くはいかなかったのです。

 とうとう、風邪薬の存在がMさんにバレてしまいました(私の時ではなく、ベテラン職員さんの時でした)。味が味だっただけに、この苦い飯には毒が入っているから食べない、と、Mさんは食事を拒否。それ以来、頑として食事を受け付けなくなってしまいました。家族がやって来て介助をしようとしても、絶対に食べませんでした。

 Mさんの絶食状態がしばらく続き、このままこの状態が続けば、Mさんも看取り対応にするしかないな・・・という空気が広がり始めた頃。何を思ったのか、Mさんが再び、少量ずつではありますが食事を摂るようになりました。危ないところだったが、どうにかなったな~という感じでした。

 しかし、90代後半の老人が何日も絶食状態だったわけです。以前のように元気なわけがありません。明らかに、状態が落ちているのは誰が見ても分かる状態となっていました。このままある程度のところまで盛り返すのか、緩やかに下降線を描いていって看取りを正式に取るのか、様子観察となりました。

 Mさんの行く末はどうなるのだろうか・・・と思っていた矢先のことでした。ある日突然、Mさんはコロっと亡くなりました。痰が喉に詰まったことが原因でした。

 看取り対応にはまだなっていませんでしたが、何があっても問題としないと家族さんが一筆書いていてくれたお陰もあり、大きな問題になることもなくMさんの死は処理されました。

 その日の日中は、普通に職員と喋るくらいの感じだったそうです。亡くなったのは夜になってからでしたが、巡視を行っていた職員でさえ、少し前までは普通に寝ていたのに・・・と、皆一様に驚きを隠せませんでした。

 こうして、誰かの死に対して人一倍敏感であったMさんの生涯は、わりあいあっけなく閉じたのでした。マイペースなMさんらしい最期だったと言えば、まさにそうだとは思いますがね。

 現在もし生きていれば、とっくに100歳は超えています。懐かしいなぁ。

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