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「もうダメだ」という日に、わたしは旅をした。

家族と信じて疑わなかったものが、崩れ去った。大好きだった人に裏切られ、互いに傷つけあった。大切な人が病気になり、命の時間を考えた。毎日、朝まで働かなければ終わらない仕事に、精神がすり減った。

世の中を見渡せば、陳腐でありきたりな不幸話かもしれない。それでも、私にとっては人生のえぐみが一気に押し寄せてきたような、抱えきれない苦しみの期間があった。

そんな時に、自分の心をすくいあげてくれたのは、間違いなく旅だった。

暗闇から引っ張りあげてくれた、沖縄での旅。

20代前半の数年間、息が詰まるような毎日を過ごしていた。

新卒で入社した会社では、ポンコツすぎて毎日怒られ仕事も終わらず、睡眠時間は1〜2時間。夜中にわけもなく涙が止まらなくなり、毎朝胃が痛くて吐いてから会社に行き、食欲も湧かない。生理が数ヶ月止まったと思えば、今度は数ヶ月止まらなくなったり。肌は荒れ、爪が半年くらい全く伸びなくなった。

今思えば、逃げたり休んだりという選択肢もあったのだろうけど、自己肯定感が地に落ちているときは、選択コマンドに"逃げる"というのは、出てこないのかもしれない。

加えて、社会人になる少し前に、色んなことがあって、それまで信じて疑わなかった家族が崩壊した。父親は夜中にいなくなり長年私たちを苦しめた。母親が大病を患った。頼れる人は、どこにもいない。唯一の支えと思っていた婚約者とは、何十回も裏切られては最後にはお互い傷つけあって、おしまいになった。自分が存在しているのが、毎日申し訳ないような気持ちだった。

ひとりで生きていけるようにならねば。

そう思うと、怖くて仕事や当時の生活から逃げるわけにはいかなかった。

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新卒一年目の夏のおわり。遅めの夏休みを数日間無理やりに取り、沖縄へのひとり旅を計画した。

飛行機に乗るまでも、ずっと忙しなくパソコンを開いてはキーボードを叩く。沖縄に着いてからも、仕事のことはずっと頭の片隅にありソワソワしたけれど、物理的に東京から離れ、暖かで開放的な空気の場所にやってきたのは、少し肩の力が抜けた。

那覇のゲストハウスに一泊し、座間見という離島へ。那覇のゲストハウスで仲良くなった女の子が、次の日共に離島まで日帰りで旅してくれることになって、一緒に海へもぐったりした。

途中で出会った地元のお兄さんたちが釣りを教えてくれたり、そのまま夜バーベキューするからおいでよ、とひとりぼっちになったわたしを誘ってくれて。ちょうど地元のお祭りがやっていたから遊びに行って、花火を眺めてみんなでエイサーを踊った。

疲れ果てていたものだから、お酒を飲んですぐにベンチでウトウトしちゃった私にタオルをそっとかけてくれていたり、帰り道が心配だからと、海沿いの道で星を見ながら、みんなでBEGINを歌いながら歩いて宿まで送ってくれたり。お別れしてから、ひとりで防波堤にごろんと寝転んで、満天の星空をみた時、涙がぼろぼろと溢れた。


自ら終わらせるほどの覚悟はもてなかった。でも、だれか間違えてわたしを轢いてくれないかな、といつも考えてしまうほどに苦しくて。正気を保つのに必死だったように思う。

このままこの暗闇が続くなら、もうダメかもしれない。何度もそう思った。

座間見で過ごした日。遊び疲れて幸せな気持ちで布団へもぐった。ぐっすりと眠れたのは、いつぶりだっただろう。翌朝、帰りのフェリーへ乗り込む時、わざわざ民宿のおじさんが港まできてくれて、手を振りながら見送ってくれた。

潮風をあびながら、深呼吸をすると、びっくりするくらいに肺が広がったような感覚があった。今まで、息すらまともに吸えていなかったことに、この時初めて気がづいた。

「ああ、大丈夫だ。」

そんな風に思えた。

旅先での一瞬が、明日を生きる理由になる


何の話をしたかとかは、もう覚えてはいないのだけれど。旅先で初めて出会った人たちが、どこの誰かもわからない自分を、もう2度と会わないかもしれない人間を、当たり前のように温かく受け入れてくれた。

旅での出会いは、まさに一期一会である意味刹那的だけれど。だからこそ、その一瞬に、優しさや温かさが凝縮されて感じられるのではないかなと思う。

短く儚いけれど、時が止まったような熱を持った瞬間。心が震えるような瞬間。そんな記憶は、ずっと残り続けて、自分の心を支えてくれたり、明日を生き延びる理由になってくれる。

もちろん、沖縄での旅は出会いに恵まれていたんだと思うし、毎回こんは風に強烈な出会いや体験があるわけではない。


それでも、悲しみに満ちた部屋から一歩でかけて、少しだけ日常から物理的に距離を置くだけでも、普段全く出会わなかったものやひと、見たことがなかったもの、目を向けていなかったものに気がつく。遭遇する。


「自分に見えていたものだけが、世界の全てではないのかもしれない。」


そう思えるだけでも、暗闇の中で星を見つけたような、少しだけほっとした気持ちになれるのではないかと思う。

「旅人」を迎え入れる場所

旅の中でも、「宿」は私にとって少し特別な存在だ。旅人を迎え入れ、もてなすための場所。良い宿というのは、いつ何時でも訪れた人を、人として大切に接してくれる。

1日限りの関係性だけど、だからこそ、そのおもてなしの中に嬉しさや喜びがあると思う。

その土地の素晴らしい何かや、素敵な人たちと出会えたとき。とびきり美味しい食を味わったとき。涙が出そうなほど美しい景色を見たとき。短い滞在の中で、凝縮された熱を持つ感動がいくつも湧き上がる。

良い宿やホテルは、その土地の案内人となり、初めて訪れた旅人とその場所とを、自然なかたちで繋げてくれる。ひとりぼっちの旅だったとしても、そこに寄り添ってくれる。ホテルや宿には、そんな魅力やパワーがあると私は信じている。

私自身が、何度もそんな体験に、心を救われてきた。


もちろん、誰ともあまり関わらず、ひっそりと静かにする旅にも良さがあると思う。でも、これはわたしの経験則でしかないのだけれど、「もうダメだ」という時には、自分ひとりの力では迷子から抜け出すことは難しい。(少なくとも、私はそうだった。)


どこかの誰かが意図せずとも「こっちだよ」と元のコースを教えてくれて、自分がコースを外れて走っていたことに気づかせてくれた。(まるでマリオカートのジュゲムみたいだな、っていつも思うのだけど。笑)だから、しんどい時こそ、他人と少しでも関わる旅をすると良いのではないかと思う。

私はホテルをつくる仕事をしているので、そんな旅に、少しでも寄り添える場所を作っていきたいし、そうなれれば良いなと心から願っている・・・。


温かな場所が、どこかに必ずあるということ

数年前、大切な友人を亡くしてしまったことがある。もし、その時に一緒に旅に出て、ただただ時間を共有していたら、何かが違っていたのではないか。おこがましいかもしれないけれど、そんな想いがずっと、いまでも胸に渦巻いている。


大袈裟じゃなくて、その地域にそのホテルに来たことで、生きてて良かった、明日からも頑張ろうと思う人が、ひとりでもいてくれたら良いなと思う。そんな願いを込めて、わたしは場を創っている。届けられなかった彼のことを、頭の片隅で思い出しながら。

楽しい時間の中に、小さな感動や小さな喜びをたくさん忍ばせて、なんだかしんどいな思った人の心にそっと届けられたら。そんなことができたら嬉しいなと思う。


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なんだか重たい話を書いてしまって、申し訳ないような恥ずかしいような気持ちなのだけれど。

小難しい話は抜きに、旅は、ただただ何も考えずに楽しいと思えれば、それだけで良い。束の間のリフレッシュになれば、それが1番良い。


ただ、そんな余裕もなくて、何か苦しさを抱えている人や、息が詰まってしまっている人がいたら、どうか、”旅”があることを、心の片隅でも良いので忘れないでいてほしい。

もうダメだ、という時こそ、旅に出てほしい。

できれば遠くが良いかも知れないけれど、それが難しく叶わない人は、ほんの少しだけの旅で良い。美しい場所に想いを馳せるだけでも良いかも知れない。

そして、どんな時も、どんな人でも、短くとも温かな時間を過ごせる場所がどこかに必ずあるということを、忘れないでいてほしいなと願っている。


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