私と農業との出会い その②〜十勝へ帰る〜
農業無関心の私でしたが、何故農業に関わるようになったか。
そもそも何故嫌いだった地域に目を向けるようになったのか。
それは私が社会人デビューの、21歳まで遡ります。
<キャプション>21歳の若かりし頃。地元の屋台村にて</キャプション>
専門学校卒業するタイミング。丁度3.11が起きたタイミングに価値観がガラリと変わりました。
都会が経済の中心で、挑戦できる場所。
しかし、日々ネットやテレビで入ってくるのは、お金があっても生活物資が買えない現実。日々の食料が手に入らないかもしれないという不安定な日常に晒されている東京を見て、
「私が憧れていた町は果たして今後目指すべき場所なのだろうか」
これからは小さくても、確実に自分達の暮らしを作っていくことができる、地域に、これから人が幸せに生き続けることができるヒントがあるのではないか。
そう感じ、地元十勝に帰りました。
「まぁバイトしながら、ゆっくり仕事を探そう」
「就職するの27~8歳くらいでいいや」
と思い、当時、帯広の屋台村の焼き鳥屋で働き、焼き鳥を食べながらお客さんとお酒飲みながらきゃっきゃしていました
↑当時焼き鳥屋で働く私
とりあえず履歴書を出して色々受けてみようと思い、
まさかの一番最初に履歴書を出した新聞社に一発で採用いただいてしまいました。
それがこちらの新聞社でした。
当初の私は、「まちづくり」や「地域活性化」等の単語は知らず、
とにかく「十勝(地域)のために何かしたい。それは働きながら何をどうすれば良いか分かってくる」
そう考えていた、私にとっては、一番十勝の情報が集まり、発信しているこの会社は当時の私にとって最適だったのかもしれません。
また、地域について理解するために、誘われた交流会や勉強会には積極的に参加し、十勝について。地域づくりについて。体当たりで吸収していきました。
倒れるヒマもないくらい、毎日外に出て十勝を駆け巡る日々。
出会ったのは元気過ぎる十勝の町や企業、農業の経営者の方や担い手達。
↑十勝の若手150人が集まる大交流会
地域は夢を持てる場所だし、
それが実現する場所なんだ。
どんどん地域の可能性にも気づいていきましたし、
地域に対して明るく感じました。
農業にも明るいイメージを持ち始めました。
農業=お年寄りの仕事、
だったのが、若くて、夢のある後継者の人達がいるんだ!
この人達といるの、楽しい!
と、イメージが変わっていきました。
当時は農業に関わろうとか
農業に可能性がある、という思考までは追いついいませんでしたが、20-30代の農関係の方と関わりの中で、農業って楽しいのかもと思い始めました。
そんな、地域で楽しく働く私に、
本当に地域に必要とされることとは?
まちづくりってなんだろう?
そんな疑問がぐるぐる頭の中で巡っていました。