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心配してもいいですか?

春の空は他の季節に見る空よりもきれいに見える。
人は何か心が疲れていると安らぎを求め、きれいなものを見てしまう生き物らしい。そう、どこかの心理学者が言っていた。インスタグラムを探せばいろいろな表情の空を見ることが出来る。それは、様々な表情がそれを写真に収める人の複雑で言葉に出来ない心境に寄り添ってくれるのだろう。
 

私の大学の後輩もインスタグラムにきれいな春空や夕焼け空を投稿していた。その子は普段から明るく誰に対しても態度を変えない太陽のような女の子だった。いつもは友達と楽しんでいる投稿しか見なかったので空の投稿が意外だった。
 
彼女は大学三年生、大学三年生の三月と言えば就職活動という大学生活最大のイベントがある。私はまだ就職活動を経験したことがないがそれの大変さはなんとなくわかる。でもなんとなくしかわからない。所詮なんとなく。仮に私が就職活動をしていたとしても結局なんとなくしかわからない。それは、彼女の大変さは彼女にしかわからないから。だって彼女と同じ会社を受けるわけでもないし、彼女と全く同じ性格の人はこの世に一人もいないし、彼女の感性も彼女だけのものだから。それでも私は彼女を心配せずにはいられなかった。
 
私も一度彼女から心配されたことがあった。それは私が大学院の試験にむけて勉強しているときだった。大学院の入試勉強は辛い。仲間もいなければ、過去問の答えもない、大学の先生も忙しくてあまり相手にしてもらえない。孤独という二文字をはっきりと感じるから辛かった。大学と家の往復だけでただ日々が過ぎていき、往復の間に見上げる空だけが私の心を癒やしてくれる唯一の存在だった。それほどまでに私の心は助けを求めていた。そんなことは知らないはずの彼女が突然「大丈夫ですか、勉強頑張ってください」と連絡をくれた。その言葉を求めていたかのように心の奥底までその言葉が沈んでいく。私は一度彼女の心配に救われていた。
 
だから、彼女の空の投稿を見たときにどうしても心配してしまった。でも彼女が私にしてくれたような心配ができる自信がなかった。どう考えても、どれだけ考えても彼女の大変さがなんとなくしかわからなかったから。それでも、彼女の心が助けを求めているかもしれない、私があの時求めていたように誰かからの心配を求めているかもしれないと思ってしまった。そして、気づいたら「大丈夫か」というメッセージを送っていた。数時間後に、「大丈夫ですよ!心配ありがとうございます」と返ってきた。それで本当に彼女の心に寄り添えたかはわからない。もしかしたら、全くの見当違いだったかもしれない。仮に私が見当違いな心配をされても同じように返していたと思う。だから、言葉にするのが間違いだったような気もする。
 
でも、彼女が置かれている状況、彼女がつくる表情、彼女がきれいだと言い投稿した春空から彼女の心境を真剣に考えたことは事実。人を心配するってすごく大変なこと。大変な割に求められていないかもしれない。それでも、私は人を心配できる人でいたい。真剣に考えて、その人のことを想いたい、たとえそれが言葉にならなくても。

2020.04.13

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