見出し画像

私の大切な事はみんなにとっての無駄な事

あるコメンテーターが「テレワークによって今まで無駄だったことに気づけて良いんじゃないですか」と言っていた。ウイルスが変えた世界のなかでそのことに気づいた人も多かったらしい。通勤時間、同僚達とたわいもない会話をする時間などがその今までの無駄にあたるみたいだ。
 
私にとって大学生活の4年間で通学時間という時間は大切な時間だった。というより、知らない人の中で無駄な時間を過ごすことが大事だった。たまたま座った席の向かいに座るサラリーマンが読んでいた本を読んだことがあり、勝手に親近感を持ったり、毎日同じ時間に電車に乗ってくる受験生であろう高校生が単語帳を開いている姿を見て応援したくなったり、失恋したときに電車内で楽しそうに会話するカップルを見て悲しくなったり、とたくさんの喜怒哀楽が通学時間には詰まっていた。
 
この知らない人の心に勝手に共感する時間が本当の自分でいられている、と実感できる唯一の時間だった。
 
普段生きていると、家では三人兄妹の長男としての自分、学校では少し人見知りでまじめな自分、友達の前では相手の期待に応える都合のいい自分、といった何かしらの肩書きや仮面を被った自分が思うことしか感じることが出来ない。そのような時間しか感じられないくらい必死に生きていると、たまに本当の自分を見失ってしまう。ふと、あれ自分はどうしたいんだろう、とか本当はどう思っているのか、を自分に問いかけても返事が返ってこなくなってしまう。だから、私のバックグラウンドも性格も知らない人達が私に仮面を付けることを求めてこない時間が大切だった。
 
私の大学院も前期の授業はオンラインで行われることが決まった。みんなにとって無駄だけど私にとっては大切な時間が失われていく。これからどんどん知らない他人に共感する時間は無くなっていくんだろう。この効率を求める時代に無駄な時間で得たことを大切にしていきたい。

2020.04.11

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートは執筆に必要なコーヒーに使います!