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卒業式に教えてくれたこと

卒業式で泣きながら抱き合う。
 
私が夢見ていた光景。仲の良い関係だから出来ること。いざ、大学の卒業式を迎えてみると私は知らない他人が泣きながら抱き合う光景を眺めるだけだった。これが私の努力の結果。
 

大学に入学してそれなりに頑張ってきた。頼まれたことは嫌だと思っても出来るだけやったし、相手が求めているであろうことも考えてやった。ただ友情を築けると思って。

でも、それは結局都合のいい人になるだけだった。
 
大学3年生の時に大きく人間関係が広がる機会があった。友人に「大学祭実行委員ってゆうのがあって、今人が足りていないからたすけてくれへん?」と連絡があった。そのころ、丁度大学院へ進学することを決めて毎日勉強漬けの日々でそんな余裕はなかった。それでも、友達の

「もう他におらんから頼むわ」
 
という言葉に思わず「いいよ」と返事をしてしまう。これがだめなことだと思っていてもやってしまう私の悪い癖。そしてこの"私は頼られているという気持ち"が"私のあまり乗り気でない気持ち"を心の見えない所まで蹴飛ばす。
 
大学祭へ向けた準備と大学院試験へ向けた準備が同時並行する日々が始まると、なんでも断れないけども、やるからには何か得ようと思うことで蹴飛ばされた私の本当の気持ちを慰めるようになっていた。

そして、ここでなら思い描いていた卒業式が迎えられるんじゃないかって思えてきた。それからは大学祭へ向けた準備も頑張れるようになった。人に貢献することが仲を深める方法だと信じていたから。

あるとき違和感に気づく。それは、いくら準備を頑張っても一向に仲が深まる気配がしない。表面上は仲の良さを感じさせてくれるがその表面の中にある深い絆が私には感じられなかった。
 
実行委員会の一人と夜遅くまで二人で作業することがあった。そのまま一緒に帰ろうと思うと「あ、まだ仕事あったから先いってて」と言って作業してた部屋に戻る。きっと偶然だろう、そう思いたかった。

それから、みんなでタコパをする機会があり、その子が「もうすぐ終電」っていうから「俺も」と言ってみた。本当はもう少し後に終電があるのに。私は信じたかった、あれが偶然だと。そうこうしていると終電に間に合うギリギリの時間がやってきた。その子とは違うメンバーが「もう終電じゃない?」って私に言ってきた。そのまま帰る身支度をして一人で友達の家から駅までを歩いた。その姿をあざ笑うかのように満月が私を見下す。
 
その後も表面上を突き抜けた仲の良さを模索し続けた。人をいじってみたり、いじられたり、笑わせてみたり、大声で笑ってみたりした。大学祭中も、大学祭が終わってからも。そして、結果発表の卒業式がやってきた。今年は式自体は無くなったが、卒業証書の授与はあった。大学に行くと、袴を着た人、スーツを着た人でごった返していた。泣きながら大学名を背に写真を撮る人を眺めながら、ひたすら待った。人気がなくなる夕方まで待った。彼らから連絡が来るのを。なぜか自分からは連絡できなかった。それでは友情を、絆を確かめることが出来ない気がしたから。でも来なかった。その日の終わり、グループラインにアルバムが作られていた。タイトルは「卒業式」、そこには私を除くみんなの晴れ着姿があった。私以外はちゃんと友情を築けていた。
 
どうすれば人と仲良くなれるのかが22年間生きてきて全然わからない。学校では教えてくれないし、正解もない。でも友情って築こうと思って築くものじゃないと思う。というかそうであってほしい。築こうと思っても築けなかったから。その写真に写るみんなの笑顔がそれを教えてくれた気がする。

2020.04.10

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