どう考えても靴べらはいらない。靴べら=コーンフレーク理論
こばです!
靴屋なのに靴べら使わないんですか?
というマウントを度々いただきます。
あからさまな態度に嫌な気持ちを覚えるのですが、
それでもわたしは靴べらをほぼ使いません。
使うとしたらヒモ靴以外の短靴のとき。
一応こういうのは持ってる
あと、こういうの
靴べらを使うメリット
よく言われるのが、「靴のカカト」を踏んで履かないようにするため。たしかに靴のカカトを踏み潰してしまうと
様々な意味で靴の価値が損なわれます。
これを回避するために靴べらを使う!
というのが一般的な考え方です。
わたしもそう思います。
でも、靴のカカトを潰す根幹にあるのは
足をねじ込むように靴を履く
踏み潰すように靴を履く
楽をしたいという妥協
だと思っています。
これらを助長する最大の原因は
靴ひもを解かないので「足入れ口が狭いこと」
ひもを解かないからねじ込むように履く
靴の紐を解いて
靴の履き口をガバッと開いて
そっと丁寧に足を入れる
こういう履き方をしたら靴って傷まないと思うんですよね。
だって、強く接触もしなければ強い力もかからないから!
靴べらはどうでしょうか?
靴べらを使ったとしても、ヒモを解かなければ「足をねじ込むようにして履くこと」には変わりがないように思います。また、立って履くということは結局「靴を踏み潰すように履く」と同じ力がかかりやすいです。
五十歩百歩ですね!
「靴のカカトを潰したくないなら
踏み潰すような力をかけないこと!」
これが重要だと思います。
そうでしょ?
足だけで履こうとするので雑な履き方にもなりやすいのも悪。それに、負担が少ないとはいえ、靴べらを使うことによって少なからず「靴に余計なダメージを、不自然な方向に負わせている」ように思います。
これは、靴ひもを解かず
狭いままの履き口に
靴べらで足を強引にねじ込んでいるから!
でしょ?
・
・
・
靴べらを肯定するのってどうなんだろう?って思うのですが
まぁ、靴べらを使いたいのはコーンフレークと同じだから
仕方がないのかなぁとも思っています。
靴べら=コーンフレーク理論
コーンフレーク・・・朝から楽して腹を満たしたい煩悩の塊
靴べら ・・・朝から楽して靴を履きたい煩悩の塊
一緒やんけ!!!
結局、楽して履きたい!という
徹しきれないところにあると思います。
レーシングカーなのにオートマに乗るような感じ
ここまでは戯れなのですが
わたしの最大の理由は
フィッティングを良くしたいから
わたしの足は小さく、踵の幅に至っては
10歳ぐらいの子とさほど変わりませんでした。
ですので、足に固定するように履かないと、儚いことになります。
だいたい抜ける!
靴べらが使える程度の隙間が死活問題
僅かな空間が「踵の抜け~靴ずれ」へと呆気なくたどり着きます。
ですので、毎回きちんと結んで履かないと
非常に履きにくい足をしているのが
靴べら不要論の根幹にある「わたしの足の悩み」です。
イアンノットでさっと履けると楽
この結びができると楽です
やりましょう。
余談ですが・・・
インソールは踵を基準につくる
これは、わたしのやり方です。再現性を高め、どのような靴にも同じような効果を与えるために、インソールや靴の調整は変化や変形の起きにくい「踵を基準」に設計します。
そう、逆に言うと、わたしのインソールは「踵を合わせてきちんと履く」。これが出来ていないと、その恩恵を最大限得られにくいのです。
ですので、お客様には「靴をきちんと履いた時に歩きやすく、足の負担が小さくなるインソールです。」「雑に履くと足に合いにくくなるのでご注意ください」
とお伝えしています。
靴べらの余裕もインソールに影響するかもしれませんね。
不安因子は排除したいものです。
実際問題
靴をきちんと履く人は稀です。
靴をきちんと履かない人が圧倒的に多いので
最低限の防衛ラインとして「靴べらを使いましょう」
と伝えられているように思います。カッコいから!は知らん
わたしのように
靴をきちんと丁寧に履く
足と靴を持って丁寧に靴を履かせる、脱がせる
これが出来ていたら「靴べらはいらない」のかなぁと思います。
楽して履きたい煩悩がないから!
なにより、フィッティングに影響するから!
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