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芥川龍之介の『点心』をどう読むか⑥ 芥川はどこまで知っていたのか?


托氏宗教小説

 今日本郷通りを歩いてゐたら、ふと托氏宗教小説と云う本を見つけた。価を尋ねれば十五銭だと云ふ。物質生活のミニマムに生きてゐる僕は、この間渦福の鉢を買はうと思つたら、十八円五十銭と云ふのに辟易した。が、十五銭の本位は、仕合せと買へぬ身分でもない。僕は早速三箇の白銅の代りに、薄つぺらな本を受け取つた。それが今僕の机の上に、古ぼけた表紙を曝してゐる。托氏宗教小説は、西暦千九百有七年、支那では光緒三十三年、香港の礼賢会(Rhenish Missionary Society)が、剞劂に付した本である。訳者は独逸ドイツの宣教師 Genähr と云ふ人である。但し翻訳に用ひた本は、Nisbet Bain の英訳だと云ふ、内容は名高い主奴論以下、十二篇の作品を集めてゐる。この本は勿論珍書ではあるまい。文求堂に頼みさへすれば、すぐに取つてくれるかも知れぬ。が、表紙を開けた所に、原著者托爾斯泰の写真があるのは、何なんとなしに愉快である。好い加減に頁を繰つて見れば、牧色、加夫単、沽未士なぞと云ふ、西洋語の音訳が出て来るのも、僕にはやはり物珍しい。こんな翻訳が上梓された事は原著者托氏も知つてゐたであらうか。香港上海の支那人の中には、偶然この本を読んだ為めに、生涯托氏を師と仰いだ、若干の青年があつたかも知れぬ。托氏はさう云ふ南方の青年から、遙かに敬愛を表すべき手紙を受け取りはしなかつたであらうか。私は托氏宗教小説を前に、この文章を書きながら、そんな空想を逞くした。托氏とは伯爵トルストイである。(一月二十八日)
「西洋の民は自由を失つた。恢復の望みは殆んど見えない。東洋の民はこの自由を恢復すべき使命がある。」これは次手でに孫引きにしたトルストイの書簡の一節である。(一月三十日)

(芥川龍之介『点心』)

※「渦福の鉢」……高台の銘が渦を巻いたような「福」の鉢。ただし明治十八年以降は柿右衛門窯の鉢という意味になる。
※「白銅」……大正六年発行の大型五銭白銅貨のことか、あるいは大正九年発行の小型五銭白銅貨のことか。どちらとも判断しかねる。

※「剞劂に付した」……上梓した。


 さて、この話の肝はどこにあるのだろうか。

 私は「香港上海の支那人の中には、偶然この本を読んだ為めに、生涯托氏を師と仰いだ、若干の青年があつたかも知れぬ。托氏はさう云ふ南方の青年から、遙かに敬愛を表すべき手紙を受け取りはしなかつたであらうか」が皮肉になっているのではないかと見ている。つまりあんなトルストイなのに、という意味だ。

 トルストイと言えば『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』の作者であり、まずは人道主義の人として広く知られていた。質素な生活をして、農作業もした。芥川の「物質生活のミニマムに生きてゐる僕」は、トルストイの質素な生活にかかっているところであろう。


現代文鑑教授参考 下 光風館編輯所 編光風館書店 1925年


 トルスイト伯発見!

 そして共産主義国・社会主義国においては先進的な英雄だ。ある意味理想的な仙人、ありうべき人、理想の人と言っても良いであろうか。

 では何故「あんなトルストイなのに」なのかというと、後にトルストイの聖人のような虚像が崩れ、案外性欲の強い男なのではないかと芥川が気がついたのではないかと、そんなことを思うからだ。芥川はトルストイの神聖を信じてはいなかっただろう。

 トルストイの『性欲論』は日本でも大正七年に出ている。これそのものを読むまでもなく、その頃にはトルストイが「女は性欲を起こさせるから恐ろしい」というような勝手な理屈を唱えていたことはかなり知られていたろう。こんなものはDJ.Sodaの乳をもむ痴漢の言い分である。

 しかし芥川がどこまでトルストイの実像に迫っていたのかということは定かではない。大正九年十二月、つまり『点心』の直前に書いた小説ではトルストイとツルゲーネフを描きながら、むしろツルゲーネフを好色に描いている。

「さう云へばあなたこの頃は、さつぱり煙草を召し上らないやうでございますね。」
 トルストイ夫人は夫の悪謔から、巧妙に客を救ひ出した。
「ええ、すつかり煙草はやめにしました。巴里に二人美人がゐましてね、その人たちは私が煙草臭いと、接吻させないと云ふものですから。」
 今度はトルストイが苦笑した。

(芥川龍之介『山鴫』)

 この「も」が「うちの旦那だけでなくあなたも」の「も」であればトルストイの苦笑の意味が変わってくるのだが、ここはどちらかはっきりしない。というより、その意味だと余りにもさりげなさすぎる。

 ただし数日後に明らかになるように、芥川龍之介は徹底的に調べ尽くす作家である。(『点心』ではこの後芥川が時代考証に賭ける意地のようなものを見せつける。)ただ偶然読んだトルストイにお熱を上げる南方の青年ではない。少なくとも『山鴫』を書くにあたっては一通りのことは調べ上げて、その人物像を摑んでいた筈である。

 ならば『性欲論』もざっと読んで、「あれ、自分と同じではないか」と気が付いていてもおかしくない。いやむしろ気が付いていなければおかしい。

 そして、これだけ短い話だとして「あんなトルストイなのに」というひねりがないと成立しないのだ。

 この話はトルストイが托氏と訳されていて、杜翁より坊主臭い表記になっているところが味噌である。托氏がふりならば落ちはその逆、そう考えてもおかしくはなかろう。




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