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岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する98 夏目漱石『行人』をどう読むか⑩

Hさんは迷惑な人だ

 どういうわけかHさんを悪く言う人はいない。だから私が「お喋り野郎」などと書くと不快に思われる方もいるかもしれない。しかし私ならHさんとは旅行をしたくない。

 我々はその晩とうとう山へ行く事になりました。山と云っても小田原からすぐ行かれる所は箱根のほかにありません。私はこの通俗な温泉場へ、最も通俗でない兄さんを連れ込んだのです。兄さんは始めから、きっと騒々しいに違ないと云っていました。それでも山だから二三日は我慢できるだろうと云うのです。
「我慢しに温泉場へ行くなんてもったいない話だ」
 これもその時兄さんの口から出た自嘲の言葉でした。はたして兄さんは着いた晩からして、やかましい隣室の客を我慢しなければならなくなりました。この客は東京のものか横浜のものか解りませんが、何でも言葉の使いようから判断すると、商人とか請負師とか仲買とかいう部に属する種類の人間らしく思われました。時々不調和に大きな声を出します傍若無人に騒ぎます。そういう事にあまり頓着のない私さえずいぶん辟易しました。御蔭でその晩は兄さんも私もちっともむずかしい話をしずに寝てしまいました。つまり隣りの男が我々の思索を破壊するために騒いだ事に当るのです。
 翌る朝私が兄さんに向って、「昨夜は寝られたか」と聞きますと、兄さんは首を掉って、「寝られるどころか。君は実に羨ましい」と答えました。私はどうしても寝つかれない兄さんの耳に、さかんな鼾声を終宵聞かせたのだそうです

(夏目漱石『行人』)

 小説なのだから、ここは笑うところだ。しかし大いびきをかく男と実地で十日間も旅行させられてはたまらない。相手は寝ているのにこちらは寝られない。こんな不平等なことは無い。Hさんは一郎と同輩くらいの年齢だろうから、家族もいるだろう。するとどうもHさんの「他人の迷惑に無頓着なお喋り野郎」というキャラクターが見えてくる。しかも悪気はないので始末に負えない。解説しますよと言って粗筋も捉えきれていないのにnoteに汚染データを書き散らす人のようなものだ。本人には悪気はない。しかしいびきをかく人間は他人を旅行に誘うべきではなかろう。
 ここには漱石のささやかな悪戯がある。


一郎は知っていた?

 Hさんは「一郎が直をなぐったこと」を手紙に書いて警告を与えながら、手紙には二郎の悪口は一言も書かなかったことから、それはHさんが省いたのだ、と私は既に書いた。

 しかしもしそうでなければ、そもそも昔からHさんと付き合いのある一郎ならば、この旅行が二郎によって仕組まれたものであり、自分が二郎と直を一晩一緒に泊まらせて直の本音を聞き出させようとしたように、二郎がHさんを利用して自分の本音を聞き出させようとしているのではないかと知っていて、あえて二郎に関する発言だけは避けていたという可能性もないではないと考えられる。つまりそういう設定だとして漱石が書いていたとも読める。むしろ漱石がそう言うところを全く意識しないで対を拵えているとは考えにくい。

 たまたまではなかなか対はできないものだ。

 一郎はHさんが「お喋り野郎」であることを三沢の接吻事件で知っていた。書かれてはいないところでそうした「Hから聞いた」話はいくらでもあっただろう。ならば少なくとも「Hに話すとnoteに書くよりたくさんの人に伝わる」ということが分かっていたのではなかろうか。Hさんはおそらく手紙に書かれていた以上のことを三沢に話すことだろう。そうしたHさんの性質を知っていてすら、言動に加減しない学者馬鹿として一郎を捉えると、やはり加減したのはHさんということになる。この疑惑はグルグル回る。

そもそも誠実さって何かね?

 そもそも他人を観察して報告するために旅行に連れ出しているのに、Hさんは岩波の注釈で誠実だと褒められている。しかしそれが誠実なのかね?

 やっていることはスパイ、探偵の類で、根本的な対処もないただの小刀細工なのではなかろうか。

 例えば二郎の立場で直の言動をありのままに一郎に伝えたとしたら、それは正直と云えば正直なのかもしれないが、余りに配慮に書くことにはならないだろうか。

 つまり「お嫂さんは私に無理心中を持ちかけました」と一郎に伝えることが、どれだけ一郎を苦しめることかと考えてみれば、まさにそう告げることの目的は誠実さを離れ、暴力に等しいのではなかろうか。しかし二郎はたまたまそういう状況に追い込まれ、直もたまたまぼろを出しただけだ。ここは沈黙こそが誠実なふるまいであろう。

 一方完全に仕組まれた探偵との旅行で、ぼろを出すまいとする一郎と云うものを思い浮かべてみると、これほど不誠実な関係はなかろう。Hさんはやたらと弁解している。

私は私の親愛するあなたの兄さんのために、この手紙を書きます。それから同じく兄さんを親愛するあなたのためにこの手紙を書きます。最後には慈愛に充ちた御年寄、あなたと兄さんの御父さんや御母さんのためにもこの手紙をかきます。

(夏目漱石『行人』)

 自分の為ではなく人の為だという。では三沢が死体に接吻した話は誰の為だったのだろうか。そこにあるのは単なるおしゃべり野郎という本人の性質だけではないのか。ホームランを何百本も打ったバッターに打ちたい球があるわけもない。彼はただホームランを打ちたいのだ。おしゃべり野郎はゴシップが好きなだけなのだ。中身がない日々の思いを書き綴ることのできるタイプなのだ。

 その様子はどうやら一郎はお貞が気に入っているらしいと知ってからのお貞に関する話の欲しがりように現れている。

「僕はお貞さんが幸福に生れた人だと云った。けれども僕がお貞さんのために幸福になれるとは云やしない」
 兄さんの言葉はいかにも論理的に終始を貫いて真直に見えます。けれども暗い奥には矛盾がすでに漂っています。兄さんは何にも拘泥していない自然の顔をみると感謝したくなるほど嬉しいと私に明言した事があるのです。それは自分が幸福に生れた以上、他を幸福にする事もできると云うのと同じ意味ではありませんか。私は兄さんの顔を見てにやにやと笑いました。兄さんはそうなるとただではすまされない男です。すぐ食いついて来ます。
「いや本当にそうなのだ。疑ぐられては困る。実際僕の云った事は云った事で、云わない事は云わない事なんだから」
 私は兄さんに逆いたくはありませんでした。けれどもこれほど頭の明かな兄さんが、自分の平生から軽蔑している言葉の上の論理を弄んで、平気でいるのは少しおかしいと思いました。それで私の腹にあった兄さんの矛盾を遠慮なく話して聞かせました。

(夏目漱石『行人』)

 どうしてもHさんはもう嫁に行ってしまったお貞と一郎の、存在しないスキャンダルを暴きたいようだ。今更何を言わせたいのかと不思議に思う。かなり欲しがっている。欲しがり過ぎだ。しかしお貞はもう嫁に行ってしまったのだ。このスキャンダル好き感覚にお喋り野郎の本質が滲み出てはいまいか。


一郎の警告

 一郎の死後、二郎は兄に対する尊敬を取り戻している。しかしどこにそんな深い教えがあったのかと説明している人が見当たらない。そもそも二郎の現在が明確にHさんの手紙より後にあるということさえ気が付いている人間さえかなり少ないからだ。
 そういう意味ではここはひとつ教訓にはなろう。

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