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〈絶対者〉は空洞か 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む92

北村透谷の引用に関して


 平野啓一郎の『三島由紀夫論』「Ⅰ『仮面の告白』論」注記40に『厭世詩家と女性』(北村透谷)とあり、

春心の勃発すると同時に恋愛を生ずると言ふは、古来、 似非小説家の人生を卑しみて己れの卑陋なる理想の中に縮少したる毒弊なり

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 と透谷の一文が引用されていた。青空文庫からの引用であろうか。しかし北村透谷作品が長らく改ざんされていたことを思えば、北村透谷作品はけして時代を代表できる言説ではありえないので、ここはさらに注記が必要となろう。

 少なくともこれから北村透谷作品を引用する場合は何年のどこの出版社のものを参照し、改ざんされた部分との付け合わせを行い、改ざんされていた部分ではないことの確認が行われていることを明記すべきなのである。(ただしそれでももはや時代や受容を前提にして北村透谷作品を引用することはできないのではないかというのが私の考えである。例えば宮沢賢治で言えば「日取りの時は」と引用しして、その言葉がある時代に受容されていたかのように書いてしまえば嘘である。)

 それにしても気になるのは平野の引用文の欺瞞性である。平野は近代以降のキリスト教の影響を受けた恋愛観が恋愛の精神性を強調し、「真の愛を単なる性欲と区別し、序列化するというのが近代以降の基本的な発想」であるという文脈において件の引用を行ったように見せかける。

 なるほど引用部分は「春心(好色な気持ち)」と「恋愛」別のものであると言っているように見える。キリスト教の影響を受けた恋愛観として北村透谷の話を持ち出すこと自体はさして不自然なことに見えないかもしれない。しかし『仮面の告白』に関する議論に関してこの部分の引用はかなり不自然なことなのだ。

 それは何故か。

 引用文の直前はこうあるからだ。

生理上にて男性なるが故に女性を慕ひ、女性なるが故に男性を慕ふのみとするは、人間の価格を禽獣の位地に遷す者なり。

(北村透谷『厭世詩家と女性』)

 ここは、

①恋愛が生理上のものではないこと
②恋愛が自然なのは禽獣においてであること
③性別が恋愛の対象の決定要因にはならないこと

 という非常に興味深いロジックが現れている。これを無視したとしたら意図的な無視である。
 さてこの引用の欺瞞をどうとらえるか?


透谷全集 北村透谷 著||星野慎之輔 等編博文館 1902年

「慕ひ」の後に読点なし、「春心」の前に句点あり。傍点は引用部のみ。


透谷集 北村透谷 著||星野慎之輔 編文学界雑誌社 1894年

「春心」の前に読点あり。博文館 1902年版は既に改ざんされていたものであることを見てきた。この1894年版は「世界は一たび我を」の改竄がない。

透谷集 北村透谷 著||星野慎之輔 編文学界雑誌社 1894年

 つまり

生理上にて男性なるが故に女性を慕ひ、女性なるが故に男性を慕ふのみとするは、人間の価格を禽獣の位地に遷す者なり、春心の勃発すると同時に恋愛を生ずると言ふは、古来、 似非小説家の人生を卑しみて己れの卑陋なる理想の中に縮少したる毒弊なり。

 と一文で引用するのが正しいやり方なのではなかろうか。できれば傍点をつけて。改ざんとまでは言えないが、もともとあった傍点はいつのまにかどこかへ行ってしまったようだ。

「最期の言葉」について


 注記を読んでいて、きのう漸く平野啓一郎が『最後の言葉』、図書新聞社の古林尚とのインタビュー風対談、いわゆる「死の一週間前のインタビュー」のCDを一部わざわざ書き起こしていることを知った。

 これは実に奇妙なことではないか。それはつまり『最後の言葉』と「死の一週間前のインタビュー」の内容が食い違っていることを知っているもののやり口だ。

 平野啓一郎は「Ⅱ『金閣寺』論」注記9において、

天皇でなくても封建君主でもいいんだけどね、つまり「葉隠」におけるつまりその殿様ですよね。それはつまり階級史観における殿様だとかなんとかいうものじゃない。ロイヤリティの対象ですよね。

(死の一週間前のインタビューより聞き書き)

 を、

天皇でなくても封建君主だっていいんだけどね、「葉隠」における殿様が必要なんだ。それは、つまり階級史観における殿様だとかなんとかいうものじゃなくて、ロイヤリティの対象たり得るものですよね。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 こう引用している。ここは大きな改ざんもなくただ語調を整えたかという程度の誤差なので大きな問題がなさそうだ。
 しかし問題はこの直後に語られる三島由紀夫の天皇観の決定的な要素をやり過ごしていることである。

で、まあね、あの古林さんの天皇観と僕の天皇観がどこでちがっているか解かりませんがね、僕は戦後一番嫌いな天皇観と言うのはね、あれはつまりヨーロッパの制度を真似て、あるいはカソリズムを真似て、明治になって作られたあの、創作品だっていう考えが非常に強いんですね。

(死の一週間前のインタビューより聞き書き)

 これで三種の神器が宮中三殿というロジックとの矛盾が生じてくる。飯沼勲が宮城に尻を向けて日輪を拝したこととも齟齬が生じてくる。古林が「事実そうなんじゃないですか?」と問いかけると、三島は「ぼくは、絶対そうは思わないんですね。それと国学をよく研究し、あるいはずっと天皇観変遷を見てくればね絶対に違います。」として例の天照大神直結説を持ち出す。しかしこの天照大神直結説では歴代の天皇の神聖が保証できないことをおそらく三島由紀夫は知っていた。
 この三島天皇論の無理に踏み込まなければ、そもそも三島由紀夫論にはなり得ないのではなかろうか。

 どうも平野はこのすれすれで「三島天皇論の無理」に踏み込むことを回避しているように見える。最終的に『豊饒の海』で天皇を見失っていることを掘り下げられない。ここは理屈が欠けているなと思えば、そこを調べるべきなのに調べない。宮中三殿は江戸時代にはない。宮中三殿に保証される天皇が明治より前にどのように可能だったのかと掘り下げない。

・大嘗会で天照大神と直結する天皇 → 大嘗会を行っておらず天皇ではなかったのに後で天皇であったていにされている天皇がいる

 これだけで三島天皇論は完全に無理だろう。

 


何度目かの『金閣寺』論


 〈金閣〉とは即ち、「巨大な空っぽの飾り棚」であり、「丹念に構築された虚無に他なら」ず、「内に暗い冷ややかな闇」、「夜のような闇」を孕み、「人の住まぬ金閣」のその「究竟頂」は「何もない小さな空間」に過ぎない。*16

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 ようやく平野啓一郎の『三島由紀夫論』の入り口付近くらいには辿り着き、概要くらいはつかみかけてきたかと思いきや、やはり読めば読むだけ解らなくなる。これでもし私が何の根拠もなく自分が間違っていると思い込むことが出来るタイプの人間であれば寧ろ良かったのだが、生憎私はそういうタイプの人間ではない。

 しかしここで言われていることはほぼ事実そのままであってもおかしくはない。私は現在の金閣寺の中に入ったことはない(外観も写真でしか見たことはない)ので細かい付け合わせは出来ないが、恐らく金閣寺の中身というものは大したものがないだろうと思っている。逆にイカメシやなにかのように具が詰まっていたら恐ろしい。

 ただ平野啓一郎は「*16」として、何か言い訳がしたいらしい。おそるおそる「*16」を見てみると……

〈金閣〉を〈天皇〉として解釈する立場からは、夜の京都の街全体を「灯火ばかりでできた透明な一つの大建築」に喩え、「大きな黒い洞のように、御所の森にだけは灯が欠けていた」と指摘する場面が重視されよう。当然に、これは、戦後の東京のメタファとしての京都である。都市としての京都は、東京よりもずっと早くから〈絶対者〉の抜け殻だった。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 冗談好きのアイロニストの悪ふざけでなければ、京都は金閣寺という理屈になる。京都が金閣寺で天皇が絶対者で、それでどうして京都が絶対者の抜け殻になれるというのだろうか。天皇が猫で乳房で有為子なのだから、こうなると京都は乳房でもありうる。では猫は京都なのか。京都のメタファが戦後の東京ならば、戦後の東京は有為子のメタファにもなりうることになる。

 だからいったいなぜ〈絶対者〉のメタファである金閣寺が空洞の構造物であることの注記に、京都御所に天皇がいないことの説明が倉えられねばならなかったのか。

 例えば平野は三島由紀夫の天皇観に関わらす、「天皇制というのは一つのことば、あるいは比喩であって、そういうものがないことはたしかですよ。」と主張したいのだろうか。

 確かに三島由紀夫自身がそう言っていた。空洞の構造物とは言っていないが比喩だと言っていた。

 平野はさらに踏み込み「天皇とは空洞の構造物と三島由紀夫は捉えていた」とでも言いたいのではないだろうか。

〈金閣〉とは即ち、「巨大な空っぽの飾り棚」であり、「丹念に構築された虚無に他なら」ず、「内に暗い冷ややかな闇」、「夜のような闇」を孕み、「人の住まぬ金閣」のその「究竟頂」は「何もない小さな空間」に過ぎない。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 この本文に対して注記の、

〈金閣〉を〈天皇〉として解釈する立場からは、

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 という前提を当てはめると、

〈天皇〉とは即ち、「巨大な空っぽの飾り棚」であり、「丹念に構築された虚無に他なら」ず、「内に暗い冷ややかな闇」、「夜のような闇」を孕み、「人の住まぬ天皇」のその「究竟頂」は「何もない小さな空間」に過ぎない。

 こんな奇妙な文章が出来上がり、「人の住まぬ天皇」という表現はまるで天皇の非人間性を指摘しているようでさえあり、「究竟頂」は「何もない小さな空間」に過ぎないという言い分からは「頭が空っぽ」というただの悪口まで聞こえてきそうである。

 なんなのだこの本文と注記の関係は?

それは東京大空襲の置き換えなのか


 平野啓一郎は金閣消失の可能性に関して、

 筆者が仄聞した限り、大戦中、空襲の危機感は、京都では余り現実味を持たなかったようである。主人公の恐怖は、作者の東京大空襲の記憶による差し替えではあろう。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 と「Ⅱ『金閣寺』論」の注記17で述べる。前半は事実その通りであろう。調べてみると京都では何故か空襲が報道されず、生粋の京都人でさえ京都の空襲について知らなかったと思い込んでいる人が少なくないらしい。「京都には空襲はなかった」というデマは確かに私もどこかで見聞きしたような気もする。

 しかしさらに調べてみると京都への空襲は41回に のぼり、死者302名、負傷者563名と、さすがに東京大空襲とは比較にならないが「京都には空襲はなかった」というのは明らかなデマのようである。

http://vinaccia.jp/umamachi/tosyokan-syusyu/syusyu071-087.pdf


 では実際、三島由紀夫が取材からどの程度「京都空襲の危機感」というものを把握していていたのか、というところは解らない。

 ただし「主人公の恐怖は、作者の東京大空襲の記憶による差し替えではあろう。」というのはどうか。それはむしろ群馬県の中島飛行機小泉製作所に勤労動員された三島由紀夫が体験した空襲の記憶なのではないか。
 

それはね、ま、意地悪な人が見ればね、あいつは苦労を知らん、戦争も知らん、目の前で貧乏も知らん、そうようなことからなったと言うかもしれないけれど、僕は僕なりに戦争を見ている。例えばまあ勤労動員に行ってですね、あの解からんが今機関銃でやられた、行くとつまり魚の血みたいなものがね、いっぱいあってね、箒でみな穿いている。僕らもあの艦載機が来たってぱっと穴の中に入ると穴の端にバババババと弾の跡が残っている。多少はねつまり、多少は見ている訳ですね。

(死の一週間前のインタビューより聞き書き)

 この部分が三島由紀夫におけるもっともリアルな空襲の表現であると私は思う。それに比べると『仮面の告白』における表現はやや生々しさに欠ける。この距離感が見えれば「東京大空襲の記憶による差し替え」とは書かない筈だが。

残酷さは確かにある。目の前で人が苦しんで死ぬ、あるいは焼死体になる、もう見るも無残ですね。しかし同時にね、それを処理する方法は数えるしかないんですよ。僕はそれが末世の心情だと思うんです。

(死の一週間前のインタビューより聞き書き)

 これが群馬かどうかは解らない。ただどうも三島にとっての戦争とは中島飛行機小泉製作所で受けた空襲なのである。

[余談]

 休日の区役所に入って出てくると出口調査のNHKがいた。

「よかったら出口調査に……都知事はどなたに?」
「いや、うんこしただけです」
「う、うん、……大変失礼しました」 

 あとはロボット電話にどう対応するかだ。

 そういう意味ではnoteという環境が一番避けるべきものなのか。

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