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芥川龍之介の『邪宗門』をどう読むか22 引っ掛けに注意して読もう

 

天皇批判か?


 元よりこう嚇されても、それに悸毛を震う様な私どもではございません。甥と私とはこれを聞くと、まるで綱を放れた牛のように、両方からあの沙門を目蒐けて斬ってかかりました。いや、将まさに斬ってかかろうとしたとでも申しましょうか。と申しますのは、私どもが太刀をふりかぶった刹那に、摩利信乃法師が十文字の護符を、一しきりまた頭の上で、振りまわしたと思いますと、その護符の金色が、稲妻のように宙へ飛んで、たちまち私どもの眼の前へは、恐ろしい幻が現れたのでございます。ああ、あの恐しい幻は、どうして私などの口の先で、御話し申す事が出来ましょう。もし出来たと致しましても、それは恐らく麒麟の代りに、馬を指さして見せると大した違いはございますまい。が、出来ないながら申上げますと、最初あの護符が空へあがった拍子に、私は河原の闇が、突然摩利信乃法師の後だけ、裂け飛んだように思いました。するとその闇の破れた所には、数限りもない焔の馬や焔の車が、竜蛇のような怪しい姿と一しょに、雨より急な火花を散らしながら、今にも私共の頭上をさして落ちかかるかと思うばかり、天に溢れてありありと浮び上ったのでございます。と思うとまた、その中に旗のようなものや、剣のようなものも、何千何百となく燦めいて、そこからまるで大風の海のような、凄じいもの音が、河原の石さえ走らせそうに、どっと沸き返って参りました。それを後に背負いながら、やはり薄色の袿を肩にかけて、十文字の護符をかざしたまま、厳かに立っているあの沙門の異様な姿は、全くどこかの大天狗が、地獄の底から魔軍を率いて、この河原のただ中へ天下ったようだとでも申しましょうか。――

(芥川龍之介『邪宗門』)

 もう一度この関係性を確認してみよう。摩利信乃法師は地上界にあり、単なる伝道者であった筈だ。

 しかし「大天狗が、地獄の底から魔軍を率いて、この河原のただ中へ天下った」とはまさに天孫神話そのものではないか。摩利信乃法師は天上皇帝になり切ってはいまいか。そして今更のように「天上皇帝」という名前そのものが明確な由来を欠き、「天帝、玉皇大帝、天皇大帝」ではない何かを指し示す言葉であることが気にかかる。

 仮に「天上皇帝」を略してしまえば「天皇」である。甥と話者が切ろうしているのが摩利信乃法師であり天上皇帝なのだとしたら、まるで三島由紀夫みたいな話にならないだろうか。

 そして改めてこの摩利信乃法師が菅原雅平であることを想うと、どうも「何か」に欠いている感じがする。その「何か」を全部不思議で片付けることは出来まい。

恐怖による支配でいいのか?

 私どもは余りの不思議に、思わず太刀を落すや否や、頭を抱えて右左へ、一たまりもなくひれ伏してしまいました。するとその頭の空に、摩利信乃法師の罵る声が、またいかめしく響き渡って、
命が惜しくば、その方どもも天上皇帝に御詫び申せ。さもない時は立ちどころに、護法百万の聖衆たちは、その方どもの臭骸を段々壊に致そうぞよ。」と、雷のように呼よばわります。その恐ろしさ、物凄さと申しましたら、今になって考えましても、身ぶるいが出ずには居おられません。そこで私もとうとう我慢が出来なくなって、合掌した手をさし上げながら、眼をつぶって恐る恐る、「南無天上皇帝」と称えました。

(芥川龍之介『邪宗門』)


白髭・盛久・仏原・善知鳥・小塩 廿四世観世左近 訂正桧書店 1933年

 この「刀尋段段壊」という呪文は良く見つかる。しかし「その方どもの臭骸を段々壊に致そうぞよ」というところの「段々壊」は熟語ではなく、「剣のようなものも、何千何百となく燦めいて」とあることから「段々」はむしろ「きだきだ」の意味、

だん‐だん【段段】 [一]〔名〕
①だん。多くの段をきざんだもの。階段。「石の―」
②次第。箇条箇条。かどかど。狂言、鴈雁金「只今の―申上げたれば」
③多くのきざみがついたさま。また、きれぎれ。栂尾明恵上人伝記上「身肉―に切られて散在せり」
④かずかず。いろいろ。浄瑠璃、堀川波鼓「是には言訳―あり」
[二]〔副〕 順をおって。しだいしだいに。浄瑠璃、丹波与作待夜の小室節「与作殿は―に奏者役番頭千三百石までお取立」。「―と明るくなる」「―出来るようになる」
[三]〔感〕 (京都の遊里語から)ありがとう。

広辞苑

 この「多くのきざみがついたさま」に近いのではなかろうか。

 ここを「しだいしだいに」と解釈すると脅しとして弱くなる。

 さて、マックス・ヴェーバーに支配の三類型というものがある。「伝統的支配」、「カリスマ的支配」、「合法的支配」である。私にはこれが昔から全く理解できない。そういう類型があるという考え方そのものは理解できる。しかし例えば「カリスマ的支配」という時、支配者にカリスマ性があったとして「何が」人を支配するのかがよく分からないのだ。

 この摩利信乃法師の場合、明らかに恐怖によって支配しようとしている。恐怖による支配、これは分かりやすい。怖いから従う。

 あるいは金のために会社のお馬鹿な方針に従うということもあろう。馬鹿な上司に媚び諂う。金のために黒いものを白いと言う。そういう人は珍しくない。

 しかし天皇と云うものについて考えてみると明治維新は「伝統的支配」ではあり得ず、親しみやすい皇室は「カリスマ的支配」ではあり得ず、象徴天皇制では「合法的支配」とは言えまい。恐怖による支配でも金による支配でもない。だから今、大逆事件はなかなか起こりにくいのではなかろうか。

 例えば金の支配から自由になれば、つまり他に収入の見込みが立てば黒いものを白いと言わせるようなブラック企業からはさっさと足を洗うことが可能だろう。

 同じ意味で十分に反撃の余地があれば、恐怖による支配から逃れることは可能であろう。あるいは恐怖による支配は、常に反撃にあう可能性を秘めてはいないか。たとえばこの当時の天皇制のように。

 まあ天上皇帝が天皇の比喩であるかどうかは別して、芥川龍之介が摩利の教を「邪」なものとして描こうとしていることは確かだ。


わざと貶めているのか?

 それから先の事は、申し上げるのさえ、御恥しいくらいでございますから、なる可く手短に御話し致しましょう。私共が天上皇帝を祈りましたせいか、あの恐ろしい幻は間もなく消えてしまいましたが、その代り太刀音を聞いて起て来た非人たちが、四方から私どもをとり囲みました。それがまた、大抵は摩利の教の信者たちでございますから、私どもが太刀を捨ててしまったのを幸に、いざと云えば手ごめにでもし兼ねない勢いで、口々に凄じく罵り騒ぎながら、まるで穽にかかった狐でも見るように、男も女も折り重なって、憎さげに顔を覗きこもうとするのでございます。その何人とも知れない白癩どもの面が、新に燃え上った芥火の光を浴びて、星月夜も見えないほど、前後左右から頸をのばした気味悪さは、到底この世のものとは思われません。

(芥川龍之介『邪宗門』)

 て‐ごめ【手込め(手▽籠め)】  〘名〙
 ❶ 〔古風な言い方で〕強姦ごうかん。 「━にする」
❷ 腕力をふるって人に危害を加えること。

明鏡


 非人たちも白癩どもも摩利の教を「邪」に見せる飾りである。芥川龍之介は当時の感覚で気味悪いものとして白癩どもを描いている。「憎さげ」とは話者の白癩どもに対する憎悪の反映だろう。ここにはこの世のものとは思われないほど気味悪い者たちに担がれる摩利の教がある。

 ここで芥川龍之介は「非人」「白癩」を「大衆」のようなものとしては見ていない。明らかに被差別民として描いている。

 その後の「ろおれんぞ」は、「さんた・るちや」の内陣に香炉をかざした昔とは打つて変つて、町はづれの非人小屋に起き伏しする、世にも哀れな乞食であつた。ましてその前身は、「ぜんちよ」の輩にはゑとりのやうにさげしまるる、天主の御教を奉ずるものぢや。されば町を行けば、心ない童部に嘲らるるは元より、刀杖瓦石の難に遭あうた事も、度々ござるげに聞き及んだ。いや、嘗ては、長崎の町にはびこつた、恐しい熱病にとりつかれて、七日七夜の間、道ばたに伏しまろんでは、苦み悶もだえたとも申す事でござる。したが、「でうす」無量無辺の御愛憐は、その都度「ろおれんぞ」が一命を救はせ給うたのみか、施物の米銭のない折々には、山の木の実、海の魚介など、その日の糧かてを恵ませ給ふのが常であつた。由つて「ろおれんぞ」も、朝夕の祈は「さんた・るちや」に在つた昔を忘れず、手くびにかけた「こんたつ」も、青玉の色を変へなかつたと申す事ぢや。なんの、それのみか、夜毎に更闌けて人音も静まる頃となれば、この少年はひそかに町はづれの非人小屋を脱け出いだいて、月を踏んでは住み馴れた「さんた・るちや」へ、御主「ぜす・きりしと」の御加護を祈りまゐらせに詣でて居つた。

(芥川龍之介『奉教人の死』)

 この『奉教人の死』において「非人小屋」は落ち行く場所として描かれた。

 じゅりあの・吉助は、遂に天下の大法通り、磔刑に処せられる事になった。
 その日彼は町中を引き廻された上、さんと・もんたにの下の刑場で、無残にも磔に懸けられた。
 磔柱は周囲の竹矢来の上に、一際高く十字を描いていた。彼は天を仰ぎながら、何度も高々と祈祷を唱えて、恐れげもなく非人の槍を受けた。

(芥川龍之介『じゅりあの・吉助』)

 この『じゅりあの・吉助』において「非人」は処刑人だった。


「わたくしは一番ヶ瀬せ半兵衛の後家、しのと申すものでございます。実はわたくしの倅、新之丞と申すものが大病なのでございますが……」
 女はちょいと云い澱んだ後のち、今度は朗読でもするようにすらすら用向きを話し出した。新之丞は今年十五歳になる。それが今年の春頃から、何ともつかずに煩い出した。咳が出る、食欲が進まない、熱が高まると言う始末である、しのは力の及ぶ限り、医者にも見せたり、買い薬もしたり、いろいろ養生に手を尽した。しかし少しも効験は見えない。のみならず次第に衰弱する。その上この頃は不如意のため、思うように療治をさせることも出来ない。聞けば南蛮寺の神父の医方は白癩さえ直すと云うことである。どうか新之丞の命も助けて頂きたい。………
「お見舞下さいますか? いかがでございましょう?」

(芥川龍之介『おしの』)

この『おしの』において「白癩」は難病として描かれている。

「莫迦め!」
 甚内は一声叱ったまま、元の通り歩いて行きそうにします。わたしはほとんど気違いのように法衣の裾へ縋りつきました。
「どうかわたしを使って下さい。わたしはどんな場合にも、きっとあなたを離れません。あなたのためには水火にも入ります。あの『えそぽ』の話の獅子王さえ、鼠に救われるではありませんか? わたしはその鼠になります。わたしは、――」
「黙れ。甚内は貴様なぞの恩は受けぬ。」
 甚内はわたしを振り放すと、もう一度そこへ蹴倒しました。
白癩めが! 親孝行でもしろ!」
 わたしは二度目に蹴倒された時、急に口惜しさがこみ上げて来ました。

(芥川龍之介『報恩記』)

 この『報恩記』において「白癩」は罵倒語として用いられている。


尚古仮字用格 山本明清 編小林新兵衛 1880年


尚古仮字格 山本, 明清||山本明清 編岡田屋嘉七 1822年

 ……しかしそんなことはむしろどうでもいいのだ。どういうわけか芥川龍之介は「非人」「白癩」という言葉を切支丹ものに特異的に出現させ、新平民やハンセン病といった言葉にはおさまりきれない何か「異なるもの」として描こうとしている。

びゃく‐らい【白×癩】 (1)ハンセン病の一型の古称。身体の一部または数か所の皮膚が斑紋状に白くなるものをさす。しらはだ。(2)そむけば白癩になるという意で、強い決意や禁止を表す語。副詞的に用いる。「商ひ馬に乗らんとは、―ならぬ、ならないぞ」〈伎・矢の根〉(3)不意の出来事に驚く気持ちを表す語。感動詞的に用いる。「一文字に切り付くれば、―これはと抜き合はせ」〈浮・伝来記・七〉

大辞泉

 そもそも大正の昭代に「白癩」などという言葉を使うものが芥川龍之介の他にいないのだ。なのに何故芥川は切支丹ものにだけ「非人」「白癩」を持ち出そうとするのか。何と何をどう因縁づけようとしているのか

 その答えはまだ解らない。この続きにそのヒントがあるのかどうかさえ、誰も知らない。何故ならまだこの続きを読んでいないからだ。

[余談]

 楽しそう。


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