天上皇帝ときたか
天帝、玉皇大帝、天皇大帝という言葉はあるが、「天上皇帝」とは聞きなれない言葉だ。
どうやら「天上皇帝」はベトナムの「為楊龔」と秋田の「無極主尊」に絞られるようだ。しかし残念ながら「無極主尊」の資料は他に見つからず、
結局「竹内文書」のようなところに辿り着く。ここは芥川が天帝、玉皇大帝、天皇大帝という言葉を避けて、神さびた偉い人という意味で「天上皇帝」という文字列を選んだと見るべきであろうか。
今日私はゴミ捨て場でしゃがんでトウモロコシを齧る長髪の老婆を見た。痴呆症だろうか。そうでないとしても何かの感覚が麻痺しているのだろう。人は誰しも老いるし、なかなか死なない。だから呆けることもあるだろう。何でもかんでも「ふーん」で賺して私の本を買わない人は呆ける確率も高い筈だ。ゴミ捨て場でしゃがんでトウモロコシを齧るようになれば、もう私の本を読むことは出来まい。
しかしそんなお婆さんが「天上皇帝」であり、女菩薩でないとは限らない。そして女菩薩が出てくるのならば『邪宗門』が切支丹もの出ないとは限らない。
この「気違いじみていてまともでない」沙門が担ぐ「天上皇帝」「女菩薩」とは一体誰なのか?
どんな仕掛けだ?
天諸童子という言葉はある。修験道者が唱える呪文に出てくる。ここで芥川の書いている「諸天童子」は持国天、増長天らの天王、童子は明王や菩薩を指し、諸々の仏神を指すものと解釈して良いだろうか。それとも単に諸天と童子が切れて、天上界の仏神の眷属を意味するのだろうか。
横道者にばちが当たったという構図だがここには仕掛けは見えない。ただ「不思議」である。それにしても地蔵菩薩も菩薩なので、ここには仏教信者の内ゲバしかないようにさえ見える。
この人は何がしたいのだろう?
この人は一体何がしたいのだろうか。辻説法で摩利の教を説き弘めようとするならば、まずはトイレットペーパーや卵、麺麭やジャム、お米やマンゴーを百円で売って手懐けておいてから爽健や丹参仙を売りつければいいのではなかろうか。
がんが治るとか糖尿病が治ると宣伝して、「食品」を売ればいいのではなかろうか。
童部までを泣かせてしまったら布教どころではない。大衆はシンプルに御利益を求めるものだ。罰だけ与えられてはかなわない。
まず『邪宗門』の「邪宗」の感じはしてきた。危険で怪しい。どこか真面ではない。何処で儲けているのか、何で飯を食っているのかが解らない。
それにしても「摩利信乃法師」とは「摩利の教え」を信じる法師という文字の並びではあろうが、どうも馬琴の『南総里見八犬伝』の「犬塚信乃戍孝」を連想させる。しかしキャラクター的にはここは意味を産まない。
これはSF商法なのではなかろうか?
SF商法は五十年以上前から続いている。そのSFはサイエンス・フィクションの略でもなく、スペース・ファンタジーの略でもない。「新商品普及会」の略である。最新型のSF商法では、実際に「大病が治った」というOBが応援にやってくる。「治りますよ」ではなく「治りました」なのでどうも信用させられてしまう。似たようなものにガマの油売りというものがあった。
わざわざ摩利信乃法師に難癖をつけて挑みかかり、泡を吹いて倒れたところに子供まで出してきた鍛冶は昼間から何をしているのだ。揉烏帽子や立て烏帽子の貴族は暇だからいい。しかしこの鍛冶は何をしているのだ。働かなくても食べて行けるのか?
FIREなのか? それにしても昔はfireって昔は「首にする」という意味だったのに、わざわざ「Financial Independence, Retire Early」でFIREってなんか紛らわしくないか?
いや、なんだか紛らわしいのだ。糞も摩利も天上皇帝も諸天童子も。そしてこの鍛冶の親子もサクラなのか何なのか紛らわしい。
さてこの後見物客が買わされるのは蒲団なのか電気の椅子なのか、それとも万病に効くクリームなのか、まだ誰も知らない。何故なら私がまだここまでしか読んでいないからだ。
[余談]
徘徊老人を見かけたら警察に知らせてもいいようだ。近くに交番があったのにそのままにしてしまった。
明日もトウモロコシを食べていたら警察に知らせようか。
歯が丈夫そうだからほっておいても良いか。