『彼岸過迄』を読む 4348 須永市蔵は何故東京語が嫌いなのか?
神戸から来た客が何故東京語を使うのかという問題はさておくとして、何故須永市蔵は東京語を嫌うのでしょうか。須永市蔵の言葉は「こてこて」とは言わないまでも矢張り東京語であり、東京語以外の何語であるとも言えません。
これはまあ、東京語でしょう。
しかしここで須永市蔵の言う「東京語」というのはいわゆる標準語とは少し違うものなのかもしれません。
この須永市蔵の母親の言葉が江戸弁で、神戸から来た客の言葉は江戸弁が滓取りされた上澄みのような東京語なのだということでしょうか。
こののたくるような直接話法を交えた語りは落語そのもので、当然DeepLなんかはこれを翻訳できません。
I told her to go to Kohinata and visit the temple on her way back home, but she came out to tell me that her mother had become indolent recently, and that she had sent someone else to take her place the other day, and that it was probably because she was getting old. I've had a cold and a sore throat all through the day, and I've tried to talk her out of it, but young people are cautious but somewhat self-centered, and they don't pay any attention to what the old people say. ......
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やはり伝聞になってしまっています。このことは須永市蔵の母親の言葉がロジカルではないということを意味しません。昔から重詰めにして蔵の二階へしまっておいたものを、今取り出して来た日本語をDeepLが理解していないというだけの話です。
わざわざ「僕の厭な東京語ばかり使って」と書く、須永市蔵の中では育ての母の愛嬌のある語りに対する深い思慕が見られると解釈して良いでしょう。
[余談]
人生は短い。そしてたった一度だ。読書好き、夏目漱石好きを自認していた人が死ぬ間際、自分は夏目漱石作品をただの一冊も正しく読めていなかったと気づかされることはどれほど残酷なことなのだろうか。
美禰子の下駄の鼻緒が色違いであることの意味にも、就職活動に飽いた田川敬太郎がビールをぽんぽん抜いた「ふり」にも気が付かず、それで夏目漱石好きを自認している人には、これからどんな残酷な未来が待っていることだろう。田川敬太郎には「むしゃくしゃすると普段あまり飲まない酒を飲む」という性質があり、探偵の不首尾にはむしゃくしゃしていて、それで二日酔いなんだなと読まなければ、話の筋さえ追えていないことになる。
あるいは『坊っちゃん』に出て來る延岡が山奥ではなく海辺の街であることを知らないまま生きることは幸福なことなのだろうか。いや、そこには馬のような幸福があるだけだ。絵は象でも書くことが出来るが、夏目漱石作品を読むことは人間にしかできない。反省は猿にもできるが、後悔はどうだろう。まだ間に合うのに始めないのは恐怖ゆえであろうか。いや、恐怖はもう提示したはずだ。
大抵の漱石論者に対して、この記事はテロそのものだったはずだ。しかしあなたの見落としはそれだけではない。
今ならまだ間に合う。
何故脱いだのか思い出せ。
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