漱石全集の編纂に当たっては、小宮豊隆らが夏目漱石独特の文法に苦慮したそうですが、「ぶれ」とも「間違い」とも判別できない独特な表現というものが『三四郎』にも見られますね。
中国系の外国人の方がよく助詞をぬかしますね。語順でなんとか意味を決めようとして時々戸惑わされます。
そしてここ、
「二階にいる」
「二階に何をしている」
は、
「来て、二階にいる」
「二階で何をしている」
……という意味でしょうが、これは単なる間違いなのでしょうか。
しかし「二階に火をつけている」と続けば、間違いではなくなりますね。この格助詞の「ニ」の方言の可能性について調べてみましたが
この記事のように考えていくと、ここも妙な手拍子が起きたと考えるべきでしょうか。
この「おい」は昔は呼びかけにも返事にも使われていて、
……と『こころ』でも使われています。これは間違いではなく単に次第に見られなった表現ですね。一部でヤクザでは使われているとする未確認情報がありました。
この「入れそくなった」が厄介で、
……という表現も見られます。これは『趣味の遺伝』『門』『草枕』などにも見られる漱石独特の表現と片付けたいところなんですが、
江戸弁? と疑うも、
それにしちゃあ、使用例があまりにも少ねえってんで、こちとら大弱りでさあ。
こうなると、江戸弁とは言うものの、ちょいと古い江戸、灰汁の強い江戸弁じゃあねえかと当て推量を始めたところ、
この芥川龍之介というのが味噌で、芥川の使う言葉で、「おや」っというものを調べると大抵正しいんですよ。谷崎の「噛んでホキ出す」みたいに。
ということで念入りに調べたところ、小田原出身の福田正夫や仙台市出身の南部修太郎、山口県出身の林芙美子にも用例が見つかり、「しいそくなう しいそこなう【為損なう】 為損じる 失敗する」は天草弁であることも解って、
現時点の判断としては、これは漱石の癖などではなく、広く使われているが、頻度の低い表現と見做さざるを得ないのかなあ、と言うところです。明日には判断が変わるかもしれませんが。
[余談]
一日に何度も、しかも立て続けにグーグルにロボットかと疑われる。お前のとこもロボットにクロールさせているだろよ、と文句を言いたくなる。全く何を警戒しているのやら。