江藤淳の漱石論について⑥ 「明治の一知識人」
明治の知識人とは必ずしも夏目漱石一人を差すものではない。知識人は多い。例えば田中正造や内村鑑三なども明治の知識人として論われる。しかし江藤淳の漱石論において夏目漱石は「明治の一知識人」というキャッチフレーズにはめ込まれて論じられる。このカテゴリーには他に森鴎外が入れられるが、島崎藤村や幸田露伴は入れられない。しかし私はこの「明治の一知識人としての夏目漱石」という捉え方そのものに、微かな違和感がある。それは何も森鴎外や夏目漱石が知識人ではないという意味ではけしてない。彼らが膨大な知識の持ち主であることは否めない。ただ取り立てて島崎藤村や幸田露伴を「明治の一知識人」と呼ばないぼんやりとした理由があるのだとしたら、そんなようなものが夏目漱石にもあるからだ。
夏目漱石の同時代人であり、少なからぬ因縁があった有名人に西田幾多郎と南方熊楠がいる。この二人も乱暴に括れば「明治の一知識人」となるのだろうが、どうも「明治の一知識人」というカテゴリーに収まり切れないものがある。それは二人を哲学者、博物学者と呼んでみたときに明らかに足りないものがあるという感覚と同じである。西田幾多郎は最終的に絶対矛盾的自己同一論において論理式からはみ出し、反哲学学者となる。
このようなことを考える人を「明治の一知識人」と呼んでしまうことに私は大いにためらう。そういう意味では物我一体の真実からか物事を考える夏目漱石も真面ではないのだ。
この『思い出すことなど』は「朝日新聞」に1910(明治43)年10月~1911(明治44)年4月の間連載された「エッセイ」として扱われている作品で、江藤淳の漱石論に関わらず、私が漱石の作家としての人生の中間地点と見做す、『門』の後に書かれ、前期三部作と後期三部作の間に位置する。「吾らごときものの一喜一憂は無意味」「吾ら人間の運命ははかないと云わんよりも、ほんの偶然の命と評した方が当っているかも知れない」というありふれた結論を得るために持ち出された「無慈悲に運行し情義なく発展する太陽系の歴史」をはったりだと言うのでなければ、漱石に「自己抹殺の願望」があったとか、『こころ』の先生の死には、作品の主題とは無関係に漱石自身の自死に対する願望が滲み出ているというような解釈はいかにも筋違いであろう。
無論、この「無慈悲に運行し情義なく発展する太陽系の歴史」が絶対に文学的装飾でないと言い張るつもりはない。寒月の壮大な話のソースは寺田寅彦ばかりにあるのではなく、「真性変物で、常に宇宙がどうの、人生がどうのと、大きなことばかり言って居る」(『処女作追懐談』)高等学校の同級生の米山保三郎などにも由来するものではなかろうか。彼らの「脅かしっこ」が姿を変えて『思い出すことなど』にも表れたと考えることはさして不自然なことではない。米山保三郎の癖が感染したとして、これを書いている漱石はやはり単なる一知識人ではなく、真性変物である。
そのことを確認するためには漱石全集で断片、ノート、メモ眺めれば良いだろう。漱石の関心がいかに抽象的かつ形而上学的なところにあったか、という気配は明確に伺うことはできる。無論断片やメモから漱石の考えていたことそのものに迫ることは私にはできない。ただ漱石が日本語と英語のちゃんぽんで何やら深遠なものに迫ろうとしていること、そのあまりの真剣さ、真面目さに驚くばかりだ。ここにはさすがにはったりはなかろう。おそらく漱石は最も困難な哲学的問いである時空の問題、そして「自己」と人類、道徳と美の問題を本気で考えていたのだ。今、そんな問題を考えているのは「中二病」と呼ばれる人たちと本当の哲学者だけであろうが、どうも漱石は本当に考えていたようだ。
漱石は『文学論』序において、
と述べる。して、
とまで語る。いったいどのくらい努力すれば、「充分なる研鑽の結果を大成し」とまで語り得るのだろうか。一日二十四時間本を読み続ければ片付く問題ではなかろう。南方熊楠の博覧強記は、澁澤龍彦や種村季弘の比ではない。これもまた比較すべきことではないが、漱石もまたその世界の人ではなかったかと、柄谷行人の『夏目漱石論集成』の余りの幼稚さにあきれながら思う。間違いを集めても何にもならない。それをなったと思い込むことほどみじめなことはないだろう。
江藤淳は夏目漱石の聖化に抗するためにあえて「明治の一知識人」というカテゴリーに夏目漱石を押し込めようとしたのかもしれないが、その論は夏目漱石を一旦「明治の一知識人」という無機質な記号に変換することによってのみ成立するものであったのではなかろうか。江藤淳は漱石をナショナリストに仕立て上げたい。しかしすでに書いているように夏目漱石・森鴎外の乃木大将夫妻の殉死に対する態度は、これまで俗に言われてきたことの真逆であり、懐疑であり、反論なのだ。多くの明治の知識人たちが、幸徳秋水の二の舞になることを恐れて口を噤んだのに対して、夏目漱石・森鴎外(そして芥川龍之介)は堂々と異議申し立てをしたのだ。
夏目漱石の聖化に我慢がならなかった江藤淳がものした『夏目漱石』も、和辻哲郎ら漱石信者らが「私だけの漱石先生」として思い描く漱石像と理屈の上では何ら変わらないもの、自分に都合が良いだけの漱石像ではなかっただろうか。江藤淳は「則天去私」についても漱石が幼少のころから求め続けてきた隠れ家的なものであり、現実逃避であるとしている。
しかしこのことも『明暗』が極めて哲学的で実験的な小説であり、『文芸の哲学的基礎』で語られた主観的実在論を超越したものであることが理解できていないことの証明となろう。
サリンジャーの小説の登場人物は失神(フェイント)を恐れる。筒井康隆の『虚人たち』では主人公が気絶している間はページが真っ白となった。ローレンス・スターンの『紳士トリストラム・シャンディ氏の生涯と意見』では黒塗りとなる。『明暗』ではお延が代わりを務める。確かに私を去っている。そして現実をしっかり進行させている。失神していて片付くものなど何もないのだ。
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