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芥川龍之介の『長崎』をどう読むか② 凧はゲイラカイト?

凧はゲイラカイト

山の空にはやはり菱形の凧。北原白秋の歌つた凧。うらうらと幾つも漂つた凧。

(芥川龍之介『長崎』)

 この「北原白秋の歌つた凧」というのは、

 私の異國趣味は穉い時既にわが手の中に操られた。菱形の西洋凧を飛ばし、朱色の面(朱色人面の凧、Tonka John の持つてゐたのは直徑一間半ほどあつた。)を裸の酒屋男七八人に揚げさせ、瀝青(チヤン)を作り、幻燈を映し、さうして和蘭訛の小歌を歌つた。

(北原白秋『思ひ出 抒情小曲集』)

 にある「菱形の西洋凧」のことで、長崎の喧嘩凧、「長崎ハタ」とは別のものである可能性が高い。

 長崎のハタ、アゴバタは飽くまでハタ。北原白秋の凧は菱形の西洋凧で、朱色人面の凧とあるとおりハタとは言い難い。

 ゲイラカイトよりか。

麦稈帽子はバツクワンバウシ


運河には石の眼鏡橋。橋には往来の麦稈帽子。

(芥川龍之介『長崎』)

 フリガナのないことをいいことにこの「麦稈帽子」を意訳して「むぎわらぼうし」と読む人もいるかもしれないが、「稈」に「わら」の訓はなく、あくまでも意味が「わら」なので、読みとしてはバッカンが正しい。

ばっ‐かん【麦稈】バク‥ むぎわら。「―帽」

広辞苑

 いや森鴎外も田山花袋も「むぎわら」と読んでいるから「むぎわら」でもいいか。


夏蜜柑、バナナ、燕、矢車の花?


 芥川龍之介が二度目に長崎を訪れたのは大正十一年四月二十五日から五月二十九日。『長崎』の発表は六月。

穂麦に交じつた矢車の花。光のない真昼の蝋燭の火。

(芥川龍之介『長崎』)

 矢車草の開化期は三月から五月下旬で季節としては合う。穂麦も合う。

 夏蜜柑も夏のイメージだが収穫期は四月下旬から五月中旬で、実際に芥川が長崎に滞在していた時期にぴったり重なる。


 バナナは輸入品なら季節は問わないがイメージ的には夏の果物。まあ実際にバナナは売られていたのだろう。燕は渡り鳥で春から夏にかけて日本で過ごす。


 ここまではいい。

 しかし「敷石の日ざしに火照るけはひ」は表現としては夏のイメージ。「南京寺の石段の蜥蜴」も夏のイメージだ。そしてそもそも「麦稈帽子」が五月下旬では少し早いか。

 顱頂(頭のてっぺん)の禿げそめた斎藤茂吉と会ったのは五月五日のこと。沈南蘋は長崎ゆかりの画家だからその作を見たのだろう。

顱頂の禿げそめた斎藤茂吉。ロティ。沈南蘋。永井荷風。

(芥川龍之介『長崎』)

 しかし「ロティ」は、

 この麺麭のことではない。これはおそらく長崎に滞在したフランス海軍士官のピエル・ロチ(ピエール・ロティ)のことだろう。

 つまり芥川龍之介の『舞踏会』のネタ元となるピエール・ロティの『お菊さん』の中に描かれた奈落の底にある長崎が思いだされたところであり、斎藤茂吉とひょっこり出会ったように、その場にピエール・ロティが実在して、芥川と挨拶を交わしたわけではなかろうということだ。

 つまりこの『長崎』に描かれる光景は、必ずしも旅行で見たまま、その眼前にあったものそのものではなく、季節も「五月下旬」というかっちりしたものではないのではなかろうか。

 いわば見聞きしたものと長崎のイメージの詰め合わせであり、抒情詩であると見て良いのではなかろうか。

 つまり永井荷風の聞いた鐘の音をも、この『長崎』には含まれているのである。

 ならサント・モンタニが白頭山でもいい?

 流石にそうはならない。そういうことではないのだ。あくまでも長崎のイメージの詰め合わせなのだ。

 暑いから出鱈目を書いているのではない。

 いつもこんな感じだ。


[余談]

 燕は三月中旬の季語。夏蜜柑は初夏の季語。顱頂の禿げそめた斎藤茂吉はバナナ同様夏の季語である。(嘘)

 わろた。


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