じんじん端折り
大抵の馬は人間より顔が長い。馬より顔の長い人間は見たことがない。ここに注はつかない。注は「じんじん端折り」につけられる。
……とある。語源については諸説あり、「神事端折」というのもある。「サンショウパサミ」というのもある。また帯に差し込む向きにも諸説ある。
〔爺端折リノ音便、氣ノキカヌ體裁カラ]。脊縫ヒノ裾カラ七八寸上ノ處ヲ摘マンデ帶ビノ結ビ目ノ下ヘ端折リ込ムコト
また「あづまからげ」というのもでてきた。
フランス語に訳されている。
また「おしょぼからげ」というのもでてきた。
さらに「勢多折」まで。「神事端折」「サンショウパサミ」「あづまからげ」「おしょぼからげ」「勢多折」……ここまで色々あるからには語源に関してはなお精査の必要があろう。それにそもそも現代では「からげる」が解らないかもしれない。何しろ私もからげたことがない。今、からげたことのある人はごくわずかだろう。まあ、からげる機会はなかなかない。ここの説明はもっと別の表現で、例えば「めくって」とすべきか。
それにしても帯の下から差し込むものだろうか。上からの方が取れにくいと思うが。
幾条の銀箭が斜めに走るなか
この「銀箭」に岩波書店『定本 漱石全集第三巻』注解は、
……としている。「現在ではこの用法は定着している」というのはたしかにそう。
なるほど。小林十之助が使っているくらいだから随分カジュアルな用法だということだ。ゲリラ豪雨とルビを振ってもいいかもしれない。しかし漱石のこの「銀箭」が露伴の用例によるものかどうかは聊か怪しい。たとえば、
この菊池澹如は、菊池淡雅(1828-1862 通称孝兵衛、字は介石、介之介)であり、幕末の豪商,尊攘運動家である。この表現は当然露伴に先んじていて、また現在の用法に近い。
またこれはどうか。1887年は明治二十年である。この時点で明らかに「水時計・漏刻の目盛りである銀製の矢・棒」という意味は捨てられている。
矢崎鎮四郎、矢崎嵯峨の屋は嵯峨の屋おむろである。この時点でほぼ完全に小林十之助の用法と一致している。1896年は明治二十九年である。
そして幸田露伴自身にも、
こうした用例が既にある。1901年は明治三十四年である。さらに、
同年、漢学者・久保天随、久保得二にやはりこうした「銀箭」の用法がある。してみるとまず疑われるのは漢籍に既に「銀箭」の雨の意味での転用がなかったかということだ。漢学の知識のない者が文字面だけで「銀箭」を雨のイメージで捉えなおしたと考えることがむしろ不自然であろう。
それに幸田露伴の性格を考えれば、むしろ本来の字義に拘る方なので、自分勝手に根無し草のアクロバティクな用法を編み出したとは考えづらい。
当然漱石が今今幸田露伴がひねくり出したばかりの珍表現を真似るものでもあるまい。まず「銀箭」の雨の意味での転用は明治以前にさかのぼることが出来るという前提で、あせらずじっくりと調べ直すことが必要ではなかろうか。まずは私の本を読み、そこから始めると良いだろう。
胡麻ねじと微塵棒
近代文学1.0は顔出しパネルと文豪飯だと何度も書いてきた。その証拠に、こういうことは必ず調べられている。
これに対して岩波書店『定本 漱石全集第三巻』注解は、
……としている。つまり微塵粉がもち米を細かくして炒ったものだという認識が欠如している。と、そこまで大袈裟に云うことではないな。
針を棄て去る蜜のごときもの
ここを岩波書店『定本 漱石全集第三巻』注解は、
……とする。針は棄て去ったのだからもう刺せないのではないか。
これは作品を解釈する上で極めて重要なポイントだと思うのだが、初期の漱石作品はかなり幻想的な味わいで、いわば何とも解釈のできないふわふわしたものだった。それが後に多少分かりやすくもなったところもなくはないとして、全部が解るということにはならない。
たとえばそれは、
こんな形で後期の作品にも残る。たとえばここを現代文の解釈として試験に出してはさすがにまずいのではないかと思う。「いわゆる楽しみは物に着するより起るが故に、あらゆる苦しみを含む」というところから、何とか意味は汲み取ることが出来なくもないとして「小賢しき蜂が甘く醸すと見せて、針を棄て去る蜜のごときもの」という表現は十分に意味に到達していない。「針を棄て去る蜜」では駄目で「針を隠した蜜」「針を含んだ蜜」「針が纏った蜜」……とでもしなくてはならないところを、漱石は「針を棄て去る蜜」と書いた。この十分に意味に到達していない感じそのものを受け止める必要があるのであって、ここは漱石が少しラフだなあ、巧く言えてないなあと読めばよいのではなかろうか。すこぶる解しにくいところも含めて漱石の味わいである。
[余談]
なるほど『草枕』はすこぶる解しにくい。
こんなものにすらすら注釈をつけられる人は凄いと思う。しかしこれは個人の職人技ではなんともならないもので、これからはテキストベースの検索機能によって精度を上げて行く必要があるのではなかろうか。
それにしてもこれを翻訳している人もいるんだから恐ろしい。DeepLなんか、そうとう端折るぞ。じんじん端折りだ。
ふーん星人か。