吉田精一は余計なことをしないでほしい① 妙な具合に話を広げるな
芥川龍之介の『支那游記』に、
とある。
こちらは新橋の芸者なので湘南にはいまいし、年が合わない。
そしてややこしいのは、註解者が、
と余計なことを書いているのだが、
かなしかる初代ぽん太も古妻の舞ふ行く春のよるのともしび
かなしかる初代ぽんたも古妻の夜半は舞はめと春ふかみかも
どういうこと?
散りのこる岸の山吹春ふかみこの一枝をあはれといはなむ 実朝
これはそれはそれでいささか雅な歌になっている。単なる写し間違いとは思えないのだが、ここは本人の記憶がすり替わったのか。なんだかよくわからないところである。もしかしたら吉田精一が敢えて改作したのか?
そうでないとしても1921年と1947年に、
かなしかる初代ぽん太も古妻の舞ふ行く春のよるのともしび
なのだから昭和四十六年1971年に
かなしかる初代ぽんたも古妻の夜半は舞はめと春ふかみかも
とするのはやはりおかしい。
こちらは忙しいので余計な注釈をつけて話をややこしくしないでもらいたい。筑摩書房はしっかり反省してもらいたい。
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