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岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する125 夏目漱石『道草』をどう読むか① 今無料にしています

 これまで『道草』に関してはこの本と、そしてこの記事、

 で、ある程度のことは書いて来た。まずはそちらを読んでから、今日以降の記事を読んで貰った方がいい。
 私は意外と親切なので、分かりやすくかみ砕いてこんな記事も書いた。

 最低でもこのレベルの話が解らないと、これ以降の記事を読んでも「この人は何を書いているのだろう?」ということになってしまうので、ともかく以上三点は読んで貰いたい。上のキンドル本は今日の夕方には五日間無料の設定にしておく。これでコンテンツには一切お金を払わない主義の人でも読むことは出来るだろう。

[追記] 今2023.3.28 時点で無料になっています。とりあえず落としておいて高評価宜しく。

 
(しかしこれまでの経験では本に金を払わない人間と云うのは総じて作品を読む力に乏しく、時々頓珍漢な文句を言ってくるので、無料設定にする都度不愉快になる。ただで読んでおいて何を文句を言っているのかと思う。あまりひどいようだとこういうことは多分最後になる。)

自伝的小説

 
 岩波は注解の冒頭でやはり「従来、『道草』は自伝的小説とされてきている」と奥歯にものが挟まったような書き方をする。そして「漱石自身においては約六年間にわたることが、作品では一年間にも満たない期間に圧縮されている」として「現実世界とは異なる時間に支配されている」と見る。

 しかしそれは当たり前のことなのではなかろうか。
 一般に随筆と見做されている芥川龍之介の『彼』および『彼 第二』を読んでみると、どうも事実ではないようなことが書いてある。単に事実に角度をつけて切り取った随筆ではないことが解る。『道草』は確かに自然主義の正宗白鳥らに「自伝的小説」であることが評価されてきた作品である。しかし正宗白鳥が基本的な読解力に欠けていることは間違いない。

 今更自伝的小説ではないことを確認するまでもない。『道草』が自伝的小説なら、笹原に捨てられる吾輩を描いた『吾輩は猫である』も塩原に捨てられてざるか何かに入れられていた金之助を描いた自伝的小説である。

待ち受ける話者

 健三が遠い所から帰って来て駒込の奥に世帯を持ったのは東京を出てから何年目になるだろう。彼は故郷の土を踏む珍らしさのうちに一種の淋し味さえ感じた。

(夏目漱石『道草』)

 毎度毎度漱石作品の書き出しにはいろいろな細工がある。書き出しに気を使わない作家はあり得ないとして、やはり漱石はリチャード・ブローティガンの影響からか、作品ごとに違ったスタイルを試みているようだ。(※ほんの冗談だが、逆にそう思えるくらいスタイルが違うので、外国人読者は『吾輩は猫である』と『こころ』の落差に驚くようだ。リチャード・ブローティガンの小説もそのくらいの落差がある)

 ここで話者はなんと健三を待ち受けている。岩波はスルーしているがこれは物凄いことではなかろうか。話者にはプロローグの記憶があり、日本で健三を待ち受ける身体性があり、なおかつ「何年目になるだろう」と結構いい加減で神の視座を持たない。時々健三の心に入り込み、外側からも観察する。こんな話者のスタイルは実は、『三四郎』でも使われていたのではないかと私は考えている。

  健三という名前については既にこんな記事を書いた。漱石はどうも「三」という数字を名前に付けることが好きらしい。

後に見捨てた遠い国


 彼の身体には新らしく後に見捨てた遠い国の臭いがまだ付着していた。彼はそれを忌んだ。一日も早くその臭を振い落さなければならないと思った。そうしてその臭いのうちに潜んでいる彼の誇りと満足にはかえって気が付かなかった

(夏目漱石『道草』)

 ここでは何か入り組んだ事情のようなものがあっさり書かれている。夏目漱石自身は英文学の研究の為ではなく英語の研究のために英国留学した。かの地でこれでもかと研究をし、帰国後も洋書を取り寄せて読んでいた。教師を辞め職業作家として新聞小説を連載するうちに、最後は漢詩と日本語の小説の小説を書く生活になった。それでも生涯英文には接し続けていた筈である。しかし健三は、この話者の言い分を信じれば、遠い国を後に見捨てるのである。

 この見捨てるの意味は定かではない。坊ちゃんが不浄の地を去るようなものなのか、白井道也が越後を去るようなものなのか、作中では掘り下げられない。(※現時点では掘り下げられている印象がない。注意深く読み進めて確認しよう。) 

気が付かない男


 この『道草』に限らず、夏目漱石作品の主人公や主要な人物は「気が付かない男」というボケ役を任されている。苦沙弥先生が吾輩を描いた一枚の絵端書に「一体何をかいたのだろう」と惚けるところから始まり、兎に角気が付かないことで芝居を成立させる。
 ことに『道草』に関しては「気が付かないこと」が特に重要な筋を運ぶ。そのルールが冒頭で確認されていると見てよいだろう。
 しかし岩波は単に気が付かない。
 ここにも注解がない。


駒込の奥

 
 岩波は駒込は本郷区の一部であり帝国大学の北西だと注解する。そして健三の家は「駒込の中でも別の町名や別の区になるような、境界に近い奥まった場所」だとする。

 んー。

 そう読むか。

 彼はこうした気分を有った人にありがちな落付きのない態度で、千駄木から追分へ出る通りを日に二返ずつ規則のように往来した。

(夏目漱石『道草』)


 ここは「千駄木から追分へ」とあるので、「駒込の奥」≒「千駄木」でいいのではなかろうか。「駒込の奥」を「千駄木」と言い換えたようには読めないものだろうか。これは私がおかしいのかな?

 ここは「駒込の中でも別の町名や別の区になるような、境界に近い奥まった場所」とわざとややこしく考える必要があるのだろうか。素直に根津神社の裏、千駄木林町あたりという設定だと考えてはどうだろうか。


アゝ腰弁当 : 滑稽小説 五峰仙史 著大学館 1908年


[余談]

 

 駒込の奥といえば石川啄木も正岡子規もそう呼ばれるところに住んでいた。これが「駒込内の奥の方」なのか「駒込のそのさらに奥」なのかについては意見が分かれるところだろう。

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