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五世紀の赫連勃勃十三階 芥川龍之介の俳句をどう読むか161

時雨るるや屡々暗き十二階

 大正八年十月三十日、小島政二郎宛の葉書に添えられた句だ。(これを大正九年のものとする説もある。)

 この十二階というのは冠位のことではなくておそらくは「浅草の十二階」のことであろう。


「淺草繁昌記」にも「凌雲閣は千束町一一丁目にあり、俗に淺草十二階と稱し、高きものゝ代名詞とせらる。高さ二百二十尺、十階までは八角形に積みたる煉瓦造にして、上層二階は木造なり。


浅草の灯
浜本浩 著コバルト社 1946

  五胡十六国時代に匈奴の皇帝赫連勃勃の建てた城の北塔にそっくり。

大正の大地震写真帖 大日本青年倶楽部出版部 編大日本青年倶楽部出版部 1923年

赫連勃勃蒸土築之從進等穴地道至其城下堅如鐵石鑿不能入。 蒸土築城。錐入一寸。卽殺作者。 晉末凶奴赫連勃勃。襲破關中。斬戮無數。師亦遇害。力不能傷。普赦沙門。悉皆不殺。而潛遁山中。修頭陁密行。未幾。 胡人也初姓劉改姓赫連、國號夏魁岸美勃勃魁岸美風儀先為後秦將軍既而據朔方自稱天王嘗伐南凉大敗涼兵名臣勇將死者什六七勃勃積ア而封之號觸結體場所髑體牽音臺以示


新修支那省別全誌 第7巻 甘肅省 寧夏省

 こちらの北塔は高さ一四丈五尺とあるので43.9メートル、十三層からなる。設計したのは恐らく中銀カプセルタワービルを設計した黒川紀章……。

 やがて「浅草の十二階」関東大震災では崩壊する。

関東大震大火実記 帝都復興協会 編帝都復興協会 1923年

時雨るるや屡々暗き十二階

 この暗きというのはなんだかわかるような気がする。巨大なものが暗がりにあると怖い。だから東京タワーなどもライトアップし、高層ビルで働いている人は遅くまで残業するのではなかろうか。

 しかし「浅草の十二階」なき今、この句はどのようなテイストで読まれているものだろうか。

タワマンに空き部屋出たり十二階 

 こんな感じだろうか。

やすやすと高速見下ろす十二階

 みたいな気色は東京では珍しくもないけれど、当時の十二階というのは本当に特別な建物であったはずだ。今では六十階のタワマンもあるので感覚が麻痺しているが、赫連勃勃の建てた城の北塔くらい威圧感があったのだと思う。それが時雨て薄暗ければなかなか鬼趣のあるところである。

 というよりまず赫連勃勃がすごいな。



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